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30 二つの予言
しおりを挟む「では正直に話そう。確かに私は、聖獣セフィドリーフが危険な生物でないかを確かめに来た。あなたのことをよく知らなかったからな。知らないのに民に説明も説得もできん。それに予言のことを思い出して、それが気になったのだ」
「予言って?」
「聖獣の王がいずれ人を滅ぼすだろうという予言がある」
「ああ……」
だからフェリクスは人間を滅ぼす気があるのかどうかと聞いたのか。ある程度根拠があって尋ねたとは知らなかった。
だが、それについてはやはりセフィドリーフは否定も肯定もできない。五聖の中で誰が王になるのか知らないが、その王が滅ぼすと決めたら他の者は従うのだから。その前に誰かが勝手にやり始めるかもしれないし。
「しかし、予言はもう一つある」
フェリクスの唇が弧を描いた。
「聖なる者――聖獣の王と人間が結ばれ、和平が訪れるというものだ。そしていつか楽園が出現する」
それは聖獣の間で語られているものとかなり異なっている。聖獣達は人間が滅びれば楽園が見つかると考えているのだから。それに――。
「それって、随分適当な予言だな。君達が滅びるんだか救われるんだかわからない」
「どちらかが当たるのだ」
「ズルい予言だな」
馬鹿馬鹿しいなと思い、セフィドリーフも酒を飲んだ。
「で、結ばれるってどういう意味だ?」
「私が思うに、聖獣の王に人間の番ができるということではないかと」
「番?」
セフィドリーフは顔をしかめて聞き返した。かつて聖獣に番などいたことがない。それもそのはずで、聖獣は長寿だから子孫を残す必要がないのだ。
「私達は繁殖しないんだ。番なんていらないよ」
「わからんぞ。私は世の中の大半のことは、結局愛が解決するのだと信じている。聖獣の王とどこかの人間が愛によって結ばれて、その結果皆が望む楽園が現れるのだろう」
「残念だが、聖獣に君達のような愛情は持てないんだよ。番に対する愛情っていうのが、ないんだ」
人間は夫婦となって、互いをよく愛する。まあ、例外も多いのは知っているが、これと決めた相手を大事にする習性があるのだ。
聖獣にはそれがない。何か施してやったり同情してやったりという感情はあるが、特定の誰かを特別な存在としてそばに置きたいという願望を持たないのだった。
「今まではそうだったかもしれんが、いずれ見つからないとも限らない」
「ないよ。わからないもの。その、愛っていうのがさ」
「守りたい、守られたいと思うことだ」
「だとしたら永遠に思わないな。だって、守られたいなんて望むはずないじゃないか。こう言っては悪いけど、君達は我々よりうんと弱いんだから」
「守るというのは何も肉体だけのことではないからなぁ。伴侶は互いに相手の心と魂を守り、安息を与えるものだ」
さっぱりわからない。
それにこれはフェリクスの勝手な予言の解釈に過ぎず、「結ばれる」というのが番を意味しているかどうかは不明だ。けれどフェリクスは絶対そうだと自説を曲げない。
「愛する者がいる人生というのは素晴らしいものだぞ、セフィドリーフ」
と力説されても羨ましくないし、愛する者というやつが想像がつかないのである。
「聖獣は二つ足の姿だと人間らしく見えるだろうけど、一方でやはり獣だからね。感覚が違うんだ」
「いいや、魂は獣より我々に近しい」
「誤解してるんだよ、フェリクス。たとえば私は君のことが好もしく思えるけど、それだけだ。すごく愛おしい、なんて感情は芽生えない」
するとフェリクスはきょとんとしてまばたきを繰り返していたが、腕を組んで首を傾げた。
「そうよのう、私が独り身であればあなたを慕ってもよかったが。妻も子供もいるからな……。私は側妃も迎えず妃一筋なのだ。すまんな……」
「誰が君と番になると言った」
とんでもないことを言い出す男である。フェリクスは楽しそうに笑い声をあげていた。
たとえば川の水面にいくつもの石が見えていて、誰もが慎重にそこを渡るのだが、この男は楽しそうに軽々と飛び跳ねて渡っていく。そういう話し方をする男だった。
「だがなぁ、あなたと友になりたかったというのは本心だ。あなたは美しく穏やかで優しい。平野まで吹き渡る風のように爽やかだ。あなたに私の国が見守られているのは嬉しいし、誇りなのだ。こんな素晴らしい友ができて、私は幸せ者だな!」
「いつ友になったんだ?」
「酒を酌み交わせばそれはもう友になった証だ! 私と飲む酒は旨いだろう。私と共にする食事は美味いだろう。それは友になったからだ」
「君は言うことなすこと無茶苦茶だと臣下からよく言われないか?」
「直接は言われないな。だが陰で言っているのはよく聞くぞ」
だろうな。
フェリクスはやや強引で一本気である。巻き込まれる者は大変だろう。
「愛する者との食事はもっと美味いものだ。幸福がスパイスとなるからな」
「しつこいな。聖獣に番なんてできるわけがない。そんな予言は当たらないよ」
「いいや、これがまたよく当たるのだよ。大昔に力のある者が残したやつで、滅多に外さない。私についての予言もある。フェリクス王はほどほどに愉快に生きて、よく統治し、いずれ討たれて国のために殉ずると予言されている」
セフィドリーフはフェリクスの顔を見つめた。朗らかな表情に一切のひびは現れていない。
「……そんな予言があるのなら、早いところ王座など誰かに譲るといい」
「そうはいかんな。私は王で、責務がある。父上が暗殺されて急遽王位を継ぐことになり、これまでいろいろなことがあったがどうにかこうして国をまとめられている。いいのだ私は。国のために命を捧げると決めているから。それに、ほどほど愉快に生きると保証されているのだから、悪くはない人生だ」
セフィドリーフにはわからない。命を大切にして、表舞台からさっさと引っ込めばいいと思う。彼が去ったところで別の誰かがその座につくだろう。そして、なるようになる。
人間の寿命は短い。次々に人は入れ替わる。セフィドリーフは知っている。
フェリクスは立ち上がると歩いていって、手すりに身をもたせかけた。
「私は国と民を愛しているのだ。私の夢は、争いのない世の中を作ることだ」
それは空しく響いて夜の空気に溶けていく。生存競争や縄張り争いから抜け出せる生き物などいないのをセフィドリーフは知っていた。
「実現できない夢だ」
「いいのだよ、夢だから」
笑いながらフェリクスは振り返る。
こんな王なら、民は幸せなのかもしれないな。セフィドリーフはそんなことを思いながら酒を口に含んだ。
確かに、彼と共に飲む酒は、不思議と旨かった。
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