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25 友人
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「セフィドリーフ様についての文献が一冊もないって、どういうことですか?」
イリスは驚いて司書に聞き返した。聖獣について書かれている本は、この書庫には一切ないのだと司書が言い張るのである。
そんなことってあるだろうか?
聖獣達は今の国より古くからいて、昔はもっと崇められていて、今よりは人と交流があったのだ。まるっきり存在しないはずがない。
「だからね、トリーヴェルダさん。聖獣様についてのことは、口でしか伝えられてないんだよ。我々神官の間でも」
納得がいかない。ないはずがないではないか。そんな不満を表情から読みとったらしい司書の神官は、説明を加えた。
「あったにはあったんだよ。昔はね。それなりの蔵書が存在した。けれどそれはみんな廃棄されてしまったんだ」
それってどういうことだろう。
また、あれか。聖獣を嫌う人間達の仕業だろうか。
しかしイリスの予想は外れた。
「セフィドリーフ様のご指示だ。大昔に山にこもることを決めた時、あの方は地上にある聖獣に関する資料を、出来る限り全て処分しろと仰せになった。そして聖獣の存在を忘れるようにと命じられたんだよ。忘れるのは無理だったけどね。そこの山にいらっしゃるし、我々にとっては崇めるべき存在だし」
イリスはそれ以上何も言えずに黙りこんだ。
セフィドリーフはどんな思いでそれを命じ、そしてすっかり去ることをせずに聖なる山にとどまっているのだろうか。
もしかしたら、神殿のどこかに書物は存在するのかもしれない。処分せよと言われても、完全に従っていない可能性は高い。けれどまだあったとして、イリスごときが閲覧を許可してはもらえないだろう。
文献の方は諦めるしかなさそうだった。そうこうしているうちに約束の時間になっていたらしく、別の人がイリスを呼びにやって来た。慌ててイリスも部屋を移動した。
面会のために用意された部屋へ足を踏み入れると、イリスと会うことを希望していた女性はもうそこで待っていた。
リリアーナという女性神官は、イリスの母マデリンと同じくらいの年齢のようだった。足が悪いようで、車椅子に乗っている。
この世界の車椅子は、イリスが前世で知っているような車輪が大きいものではない。椅子の脚の先に小さな車輪がついていて、後ろには押してもらうためのとってがある。自走できるようには作られていなかった。
「イリス、こんにちは。会いたかったわ」
リリアーナが手を差し伸べるので、イリスはその手を握り返した。彼女は柔和そうな笑みを浮かべてイリスを見つめる。
「実は、あなたと私は初めましてではないのよ。あなたが小さな頃に何度か会っていたの。久しぶりね。随分大きくなって……」
いいえ、大きくなったのはここ最近で、それまではずっと小さかったんですよ。余計な説明をしてしまいそうになったが我慢をした。リリアーナはイリスの発育が悪かったことなど知らないだろう。
「今は、セフィドリーフ様の守護騎士を任されていると聞いたのだけど、本当かしら?」
「ええ」
「あの方のところで暮らしているの? 本当に?」
「本当ですよ。セフィドリーフ様は、温かく私を迎えてくださいました」
「まあ、そうなの……。それは、素晴らしいことね。とても良いことだわ」
リリアーナは笑みを深める。偽りなく心から喜んでくれているようで、イリスも嬉しくなった。この事実を手放しで喜んでくれる人はあまりいないのである。
話によると、彼女は元々貴族の娘だそうだったが、事故に遭って足を悪くし、その後神官となって神殿で生活をすることになったのだそうだ。信仰心が厚い女性だ、とは事前に神官長から聞いている。
「私は幼い頃から精霊の欠片が見えていて、いつかは神官になりたいと夢見ていたのよ。実は一度、セフィドリーフ様をお見かけしたことがあるの」
「そうなんですか?」
数十年に一度くらいは、セフィドリーフも山を離れて空を駆けることがあったという。そんな時に、リリアーナは彼を見たのだそうだ。
「セフィドリーフ様はお美しい方よね」
「はい。そして、思いやりがあって優しい方です」
リリアーナは目尻に皺を刻んで頷いている。嬉しさのあまり、イリスは彼女にセフィドリーフや精霊との生活についてを語った。
これまでイリスは自分と同じように精霊の欠片を見ることができる人と会ったことがなかったのだ。気持ちを分かち合えるような相手と会話をするのは楽しかった。
そこでふと、あることを思い出す。
「そういえば、私が幼い頃に会ったと仰いましたが……」
「そうよ。実は私、マデリンの友人だったの」
思わぬ事実にイリスは言葉が出なかった。彼女が貴族だったというのなら、母と交流があっても不思議ではない。そして友人であったのなら、息子のイリスとも顔を合わせただろう。
けれど、イリスはこれまでリリアーナという名前を家で耳にしたことがなかった。彼女の噂話すら聞いた覚えがない。
当然、リリアーナが伯爵邸を訪ねたこともなかった。
「神官長からあなたの話を聞いたわ。可哀想に。お母様から冷たく当たられていたそうね。だったら、私が謝らなくてはならないわね。あなたがお母様に嫌われた原因は、間違いなく私にあるのだから……。私があなたのことで、余計なことを言ってしまったの」
言って、リリアーナは自分の動かない足をさすっていた。
イリスはどう答えていいのか困惑した。
ーーマデリンの友人「だった」。
過去形のその言葉が示しているのは、亀裂である。二人はいつからか友人としての交流をやめてしまったのだろう。
イリスとしては、リリアーナが話さない限りは根ほり葉ほり尋ねようとは思わなかった。しばし待っても、彼女はそれ以上の事情を説明しようとしない。
ただ数回、「ごめんなさいね」と重ねて謝った。
イリスは口を開いた。
「リリアーナ様。母上の方はともかく、私は母上を嫌ってはいませんから、ご安心ください」
するとリリアーナは目を見開いて、それから切なげに微笑んで見せた。また手を差し伸べて、今度は両手でイリスの手を包み込む。
「あなたは、強くて優しい子なのね。愛をたくさん持っていて、素晴らしい子だわ。どうかその心で、セフィドリーフ様も愛してちょうだいね。そうすれば、もっと良く変わっていくかもしれないわ。私は予言を信じています。良い方の予言をね。あなたはきっと、天と地の絆になるはずよ。イリス・トリーヴェルダ。あなたと聖獣様の幸いを祈ります」
リリアーナの言っていることの一部はよくわからなかった。予言って、何のことだろう?
けれど祈ってもらうのはありがたい。
自分はセフィドリーフ様のために、せいぜい工夫した料理を作ることくらいしかできないけれど、愛はいっぱいこめよう、今まで以上にこめようと、イリスはこの場でまた誓うのだった。
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