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12 ゼリーを作ろう
しおりを挟む「次にどんな料理をしようか決めてるの? イリス」
「うーん、そうだねぇ……」
出来ればまた、セフィドリーフに食べてもらえるようなものがいいと思っていた。茶漬け同様、食べやすいものが望ましい。
「ゼリー……煮こごりってわかる?」
「ああ、見たことあるよ。水晶みたいに透き通ったやつの中に、野菜とか肉とかが入ってるやつだよね。あれは面白いね」
煮こごりというのは肉や魚のゼラチンで固める料理で、イリスの実家の食卓にも並んだことがある。前の世界でも煮こごりはローマ時代からあったとされていて、日持ちがする料理として古い時代から親しまれていたようだ。
ただ、イリスが作りたいのはデザートとしてのゼリーだった。
「顆粒タイプのゼラチンなんてないしなぁ」
イリスはぼやく。
顆粒が手に入らないのは勿論のこと、この山では豚皮もウナギのような煮こごりに向いているコラーゲン豊かな魚もいない。
「あれっ、蝶々だ」
イリスの横を、純白の蝶が羽根を羽ばたかせながらゆったりと通り過ぎていく。
「食べてごらんよ、美味しいよ」
アエラスがそんなことを言うのでイリスは眉をしかめた。
「虫はあまり食べたいと思わないんだ」
「あれって、虫じゃないよ。植物だよ」
「飛んでるじゃないか」
「植物だって飛ぶじゃないの! 君、花の綿毛が飛ぶとこ見たことあるでしょう?」
それはあるが、羽ばたきはしない。
あれは素揚げにするとパリパリして甘い、とアエラスが自信たっぷりに言う。いまいち信じられなくて、イリスは蝶を追いかける。
そっと両手で包みこむように捕獲して見てみると、確かに蝶ではなかった。薄い羽根みたいなものが二枚、蝶番のように繋がっているが、胴体とか触覚といったものはない。どちらかといえば葉っぱに近いかもしれない。
「離しておあげ。そうしたら、また飛ぶんだよ」
蝶もどきを乗せた手を掲げると、その白いものは飛び立った。ふわりふわりと羽ばたいて、羽根は陽光を透かして輝いている。
時折煌めいて、音もなく目指す場所もなく、幻想的に飛んでいく。
その優雅な浮遊を見送って、イリスはため息をついた。本当に、この山は美しいところだ。
(ゼリー……、ゼリーか……)
アエラスの後をついていきながら、イリスは頭の中で何度も呟いていた。
(ゼリーなら食べやすい。それにここの食材を使えば、きっと見目良いものになるだろう。固める材料が見つかったとして、問題はどう固めるかだ)
今まで目映かった景色がふとかげる。顔を上げると、洞窟の前まで来ていた。光るキノコなどはこの中に多く生えており、他にも愉快な植物がたくさんあるとアエラスは言う。
洞窟の中は暗かったが明かりはいらなかった。地面が燐光を放っていて、踏むとそこが強く光る。岩壁も夜空のように輝く微細な石が含まれていた。
(そうか、動物性のゼラチンにこだわる必要はなかったんだ!)
「寒天だ!」
「何か言った?」
「いや、何でも……」
寒天ゼリー。
寒天は海藻が原料となっている。他にもアガーというものがあって、海藻やマメ科の種子から抽出されるものが原材料だったはずだ。
要するに、植物性のものからもゼリーが作れる希望はあるわけだ。動物はほとんどいない聖なる山だが、植物は豊富だ。醤油の出る貝があるのだから、固める海藻があったっていいはずだ。
寒天はテングサを煮出し、ところてんにしてそれを更に凍らせて乾燥させる。自分で作るとなると手間がかかりそうだが、製法をすっ飛ばした醤油があるのなら寒天に近いものもあると期待したい。
(それをさがすのが、骨が折れるかもしれないけどな……)
苦笑しながらイリスは歩みを進めた。
光るキノコや苔などを見つけては籠に入れる。外は色のないものがほとんどだったが、比べてここはやや色彩豊かであった。光が当たる場所のものが白で、暗い場所のものがカラフルだなんて変わっているなと思う。
「この花の蕾の中を開けてみなよ」
アエラスにすすめられて、黒いチューリップに見えるものに近づいてみた。中に何か発光するものがあるらしくて、花弁の向こうから光が透けている。
そっと開くと、白く輝くビー玉に似たものがあった。
「それは生で食べられるんだ」
アエラスが別の花からビー玉のような実を取り出して、微笑みながら口へと運ぶ。その唇が閉じられる前に、口内がほんのりと白く照らされて並びのいい歯が光って見えた。
それにならってイリスも実を口にする。甘さと酸味があり、柑橘系の果物に近い味である。
他にも食べられるものを教えてもらいながら奥へと進んでいく。すると地底湖が目の前に現れた。
光る魚が泳いでいるが、あれも植物というのだからお手上げである。底の方には白い草のようなものが揺れている。
(あれって藻草じゃないのかな?)
「あの白い草みたいなやつ……あれが欲しいな」
「あれは美味しくないよ。味がないし、火にかけると溶けちゃうからね」
溶ける。イリスは思わずアエラスの肩をつかんだ。
「それって冷やしてみたことはある?!」
「え? いいや……だって溶けちゃったから流しに捨てたよ。そういえば、容器に残ってたものがちょっと固まってたっけな」
「近い! それっぽい!」
運良く寒天に近い植物をさがしあてたかもしれない。僥倖である。欲しい。是非とも欲しい。
興奮がおさまらず、イリスは服を脱ぎ始めた。
「何してるの?」
「何って、あれをとってくるんだよ!」
服を着ていてはずぶ濡れになってしまう。そんなイリスを押しとどめて、アエラスは首を傾げた。
「で、君は泳げるのかな?」
「……」
泳げないかもしれない。
前世はカナヅチだった。今世では泳いだ試しがない。伯爵領は海から離れたところにあり、泳げるような川も近くになかった。
言葉を失っているイリスを見つめると、アエラスは手を振った。
「僕がとってこよう。精霊だから、濡れないしね。イリスっておとなしそうだけど、案外向こう見ずだよね」
ごめんなさい、と顔を赤くして小声で謝るイリスをそこに待たせ、アエラスは湖に飛び込んだ。水面は微かに揺れただけで、飛沫は立たない。
しばらくすると白い植物の束を手にしたアエラスが浮上してくる。
『まだ、いる?』
水中からアエラスが尋ねてくる。精霊は濡れないし、息を止める必要もないし、水の中で喋ることも出来るらしい。
もう十分、と伝えると、アエラスが陸にあがって植物を手渡してきた。
「よくよく気をつけるんだよ、イリス。君に何かあったら、リィ様も悲しむから」
そうだ、自分は夢中になると周りが見えなくなりがちだ。いい歳なのだからしっかりしなくてはならない。
「自分が泳げないことも忘れてしまうような君が、僕は結構好きだけどね!」
アエラスは一滴の水も滴らせずに笑っている。
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