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09 朝食
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結局、一睡もしなかった。
イリスはあれこれ考えていろんなものを作って試してみたが、一番良いのはこれではないかと決めて、あるものを完成させて盆に乗せると、セフィドリーフの部屋に向かって歩き出した。
「セフィドリーフ様。起きていらっしゃいますか?」
「うん……まあね」
室内から低い声が届く。
廊下に射し込む白い朝陽の光に姿を紛れさせているアエラスが、「リィ様って、ろくに眠りもしないんだよ。いつも眠ってるふりなんだから」と耳元で囁いた。
「入っても宜しいですか? ちょっとお話があって」
「いいけど」
両手が塞がっているのでアエラスに扉を開けてもらう。
湯気が立つ皿をおそるおそる運びながら、イリスは寝台に寝転がるセフィドリーフの元へと進んだ。
「それは?」
「ご存知ないものかとは思いますが、私が幼い頃に食欲がない時に食べたもので……」
(お茶漬けです、って言っても伝わらないだろうしな。それに見た目はあんまり茶漬けっぽくないし)
深い皿に盛りつけられているのは例の、さざれ石(米)を炊いたものだ。それに、しなしなした宝石のようなキノコ(沢庵)。見た目を華やかにさせたかったので、肉厚の花弁をたくさん散らせている。
ちなみにこの花は何故か遠くに鰹出汁に近い香りを感じて非常に合う。
イリスからしてみると、これは漬け物茶漬けなのである。前世に食べた味を再現している。素朴で、非常に食べやすい。
それでいて見た目は地味ではない。ほかほかと湯気を立てていなければ、飾り物としてもいけそうなくらい輝きが美しい。特に鰹出汁風味の花弁が優雅で目を楽しませる。
セフィドリーフは難しい顔をして、イリスが捧げる皿の中を覗いている。
「それで、これは?」
「ええと、厚かましいこととは存じますが、もしよろしければ召し上がっていただけたらな、と……」
イリスの言葉に、セフィドリーフの眉間の皺は深くなった。眉の形が表しているのは、不快、というより、困惑だ。
「イリス。本当にすまないんだけど、私は食事をするのが……」
「ああ、ああ、いいんです! 謝らないでください! 召し上がっていただけるような状態であればと思っただけですので! 突然こんなことを言って失礼しました」
それはそうだろう、と内心イリスは思う。付き合いの長い精霊達が言ったところで彼は食べることができなかったのだから。自分のような新参者が用意したものなんて、そう簡単に口にできないだろう。
食べてもらえたらいいな、と思っただけであり、本当に口にしてもらえるとは初めからさほど期待はしていなかった。
「私が朝食として食べるので大丈夫ですよ。セフィドリーフ様には私が食べるところを見ていただきたいのです」
イリスは寝台の隣にある小さな台の上に盆をのせると、皿を手にした。
「自分で言うのもなんですけど、これは結構美味なんですよ。料理した、というほどの手数はかけてないのですが、聖なる山で採れる素材がみんな素晴らしいからこんなに美味しいものができるんでしょうね」
いつの間にか姿を現していたアエラスが、イリスの隣に並ぶ。
「僕も味見させてもらいましたけどね、リィ様。この粥みたいなやつはとても食べやすくて美味しいですよ。こういう組み合わせは見たことがないから、物珍しくて楽しいですし」
この世界にも粥はあるが、セフィドリーフはそれも食べないとアエラスから聞いていた。この国の人間が食べる粥は甘い味つけをする。
見慣れた食べ物は駄目なのだと聞いていたから、少々風変わりなものの方が拒否反応も少ないのではないかという目論見だ。
イリスはその神秘的な茶漬けを一口食べた。
「やっぱり、美味しいです! この石はとても石とは思えないほどもっちりしているし、沢庵……キノコも歯ごたえがあっていい。山にいるのに、不思議と海の幸の香りを感じるんですよね。さらっとしていて、あっさりしているんですけど柔らかい味が複雑に絡んでいるんです」
セフィドリーフは足を組み、そこに肘をついてこちらに目を向けていた。
「何で君が食べてるの? 私のために作ったものだったんじゃないの?」
「ご無理をさせようと思ったわけではないので」
「どうしてここで食べてるの?」
「目障りでしたら退散しますが……」
「あのねぇ、私が一度でも君のこと目障りだなんて言ったかい?」
「いいえ」
セフィドリーフはくしゃりと自分の前髪を握る。
食べなければ匂いくらいは平気だとアエラスに確認をとった上でやって来たのだがどうなのだろう。念のため本人にも尋ねると、「大丈夫だよ」と返される。
「広い食堂で一人で食べると、時々寂しくなるんです。アエラスや他の精霊が話に来てくれることもありますけど、私は誰かと話をしながら食事をするのが好きなので、セフィドリーフ様とお話しながら食事をしてみたいなと思ってしまって。申し訳ありません、わがままを言って」
無茶苦茶な言い分だとは思った。けれど少しでも、食事というものに対して良い印象を持ってほしくて、精一杯美味しそうに食べようと茶漬けみたいなものを口に運ぶ。
「うーん、美味しい。セフィドリーフ様の綺麗なお顔を見ていると、更に味が良くなります」
そんなわけないだろ、とセフィドリーフが呟くが、イリスは実際そんな気がするので笑顔を返す。
「……その重い金属の盆を、わざわざこの部屋まで運んで来たの? 非力な君が」
「あはは、そこまで重くありませんよ」
実はかなり重かったし、手がぷるぷる震えていたのはセフィドリーフには見られていたかもしれない。情けないことである。しかし苦労の甲斐あって、彼の元には届けられた。
初めから食べてもらえない可能性が高いと思っていたけれど、作ったものを拒否せず見てもらえたのが嬉しい。
隣にいたアエラスが、ずいっと体を乗り出してきた。
「あー、我慢できない。ねえイリス、もう一口ちょうだい。君ばっかり食べてズルいよ。僕も五十年ぶりくらいにいっぱいかきこみたくなってきたな」
「そう? じゃあ、残りは君にあげようか」
などとアエラスとイリスが会話していると。
「待ちなさい」
セフィドリーフが遮った。
イリスとアエラスは揃ってセフィドリーフの方に目を向ける。
「私のために作ったんだろう? 貸して」
「え? いえ、しかし……」
「こっちに寄越しなよ」
セフィドリーフはイリスの手から皿を奪い取ってしまった。
「あの、でしたら私、作り直してきますので……。それは私の食べかけですし」
「いいよ別に」
そう言ってセフィドリーフはスプーンで皿の中のものをすくって、さほどためらいもせずに口に入れてしまった。さすがのアエラスも少々驚いている。
何を言う暇もなかった。唖然とするイリスの前でセフィドリーフは顎を動かし、飲み下す。
すると。
ふわりとセフィドリーフの頭に何かが「生えた」。
当のセフィドリーフはというとその変化に気づいているのかいないのか、皿を見下ろして目をむいている。
「……美味しい。確かに」
イリスは迷った。まず、何に驚くべきなのかということで。
彼が躊躇なく久方振りの食事をしたことだろうか。美味しい、と感想を述べたことだろうか。それとも、頭に生えたふわふわの耳のこと?
イリスもセフィドリーフも共に呆然として、沈黙が続いていた。その静けさを破ったのはアエラスだ。アエラスが思い切り吹き出したのだ。
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