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02 聖獣様とご対面
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イリスは変わった子供だった。
みんなには見えないものが見える。それが精霊のようなものだと本人は気がつかなかった。
本来精霊というのは聖なる山にいるもので、人々が住む地上ではほとんど見られない。だからイリスが見ていたものは、精霊未満の淡いエネルギーのようなものだった。
「何をしているの?」
幼いイリスはその、キラキラ光って浮遊する珠によく話しかけた。イリス以外には見えないものだから、周りは気味悪がった。
その中で唯一、恐れではない反応を見せたのは母マデリンだった。マデリンは気味悪がるというより――酷く怒った。怒りを爆発させた。
「でも母上、すごく綺麗な、キラキラしたものが、笑っているんです」
「おかしなことを言うものではありませんよ!」
そう言って、したたかにイリスの頬を殴った。父親もイリスの言動にうんざりしていたようだった。
絵に描いたように優秀な弟のアルベルトに比べて、イリスはこれっぽっちも期待されていないどころか、もはや伯爵家の恥ですらあった。
どこに出しても恥ずかしくない次男と、どこに出すのも恥ずかしい長男といったところだ。
異様に発育の悪いイリスは、あっという間に背丈を弟に抜かれ、実際の年齢よりはいくつも幼く見えた。
病気なのではないかと早くから周囲に囁かれ、見えないものが見えると言い張ることもあって、知能にも問題があるとみなされていた。
「よその方の目に触れると妙な噂が立ちますでしょう。イリスは隠しておく方がいいわ」
と母はこう判断した。貴族は世間体というものを特に重んずるわけで、そんな選択がなされるのも無理からぬ話ではあった。
父も反対はしなかった。
こうしてイリスは誰にも会わず、伯爵邸の奥でひっそりと暮らすこととなったのである。
実際のところ、イリスの知能には少しも問題はなかった。軟弱な体で弟のように武芸の才はないに等しいが、勉学については人並み以上に出来てはいた。ただどうも不器用なところがあって、おっとりしているので愚鈍な人間には見られてしまっていたのだが。
* * *
馬から降りたイリスは、大きなため息をついた。そのため息は兜の中でこもり、音が反響する。
「……うう」
一歩足を踏み出すと、ガチャリと重々しい音がする。
イリスが今身につけているのは、白銀の甲冑だ。
素晴らしく美しい武具であり、普段は神殿の奥に保管されているそうだ。
聖獣の騎士に選ばれたものが装着することを許される。腰に帯びた真っ白な剣も同様である。
イリスはもう一歩踏み出したが、つんのめりそうになって冷や汗をかいた。
「重すぎる……!」
その見事な白銀の甲冑は、イリスには大きすぎた。重量もかなりのもので、イリスにしてみれば石でも背負っているような負荷がかかる。
「弱ったな。こんな立派なものを授けてもらって恐縮だけど、僕が身につけたんじゃ、かえってみっともなくなってるんじゃないかな……」
この聖なる山に足を踏み入れる前、イリスは神殿に立ち寄って甲冑と剣、それに白馬を与えられた。甲冑を着るのを手伝ってくれた神官達も、何とも言えない表情をしながら、「しかし大きさはどうにも変えられないからなぁ」と嘆いていた。
今日からイリスは聖なる山に赴き、守護騎士として聖獣に仕える立場となる。家からの見送りは素っ気なく、神殿での説明は慌ただしかった。
イリスは神官とのやりとりを思い出す。
「一人で行くのだよ。イリス、大丈夫かね」
「大丈夫です、神官様。私はこう見えても実は、大人なので」
「聖獣様は気難しい御方だ。苦労するだろうが」
「精一杯お仕えします。わたくしめのような者が仕える許可を頂き、大変にありがたく思います。粗相をしないように気をつけます」
「無理はしておらぬか」
「しておりません。まだ始まってもいないのに、無理かどうかは判断出来ませんし」
神官達は揃って不安そうな顔をしていたので、イリスも少々居たたまれなくなる。まるで頼りない子供をおつかいに送り出すかのような眼差しだった。
「あの……アルベルトではなく、私が守護騎士を務めることになり、大変申し訳ございません」
「ああ、いや、何もそれでお前を責めているわけではないよ」
聖獣の守護騎士だなんて名誉ある仕事は、アルベルトのような立派な青年に任されるべきだろう。しかし両親は絶対に頷かないから、仕方がない。
間違いなく力不足だろうが、イリスは出来る限り役目を果たそうと誓った。
そうして今に至る。
聖なる山はとても美しい山だった。伯爵領より北に位置し、峰から山裾まで年中白く雪をかぶっているように見える。しかしその白さは雪ではなくて、そこに生える木々や植物の類が皆白いせいであった。
(綺麗だな。みんな白い石で出来ているかのようだ)
そう思いながらまるで物見遊山でもしに来たかのようにきょろきょろとあちこち見回していたイリスは、ついに目的の場所へとたどり着いた。
純白の城である。
外壁にはくすみも染みも一切なく、普通の白い建材で建てられたようではなさそうだった。聖獣の住まうところだから、やはり何らかの魔力がこめられているのかもしれない。
様式は見たことのないもので、古い時代に建築されたのだろうが、古めかしさなどは感じなかった。
さっきから周囲がさわさわと騒がしい。葉擦れの音かと思ったが、風はほとんど吹いていないのだ。気にはなるが、うろうろしている余裕はない。時間的な余裕も、体力的な余裕もだ。
馬を木に繋いで、城の門までたどり着くだけでへとへとになる。聖獣に顔を合わせる前に倒れるわけにはいかなかった。
城門の前で立ち尽くしたイリスは、どうにか息を整えて建物を見上げた。
「セフィドリーフ様! 守護騎士のイリス・トリーヴェルダが参りました! お目通り願います!」
イリスは声を張り上げる。
しばし待つと、豪奢な門が軋んだ音を立てながら開いていく。しかし向こうには人の姿はなく、ははあ、やっぱり魔法なんだ、凄いな、とイリスは感心した。
扉も勝手に開く。誰もいない広間をのぞきこみながらまごついていると、耳元で「真っ直ぐの階段を上がるんだよ」とくすくす笑う声が聞こえてきた。
周りを見回しても誰の姿も見えないが、「ありがとうございます」ととりあえず礼を言って進んでいく。普通の人間であれば飛び上がるほど驚くのかもしれないが、何せイリスはこの手のことに慣れている。
子供の頃から見ていたもののように笑うだけでなく、はっきりとした声を聞いたのは初めてだったがそこではしゃいでいる場合ではない。
息を切らしつつ、聖獣を待たせないよう精一杯急いで移動した。
城の主の部屋とおぼしき場所を発見し、その扉の前に立つ。
「セフィドリーフ様! 守護騎士のイリス・トリーヴェルダが……」
「さっきそれは聞いたよ。入りなさい」
「はっ……」
内側から怠そうな声がして、イリスは背筋を伸ばす。
今度は扉が自動的に開かず、開けてもらえる気配もないのでイリスは自分で押し開けなければならなかった。
これがまた重い。ただでさえ重い甲冑をつけているのでつらかった。心の中でうんうん言いながら押していく。
かなり手間取って開けた隙間から、甲冑をがちゃつかせつつ滑り込む。危うく転びそうになりながらも姿勢を正して前を見ると、広い部屋の奥に貴人用と見られる、装飾の施された大きな寝台がしつらえられていた。
そこに――青年が横たわっている。上体を起こしてこちらを訝しげに見ていた。
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