かつての主人が売られていたので買いました

muku

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8、意味がないから

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「それに」

 ユリウスは顔を歪めて、茶を飲み干したカップを卓に置いた。

「意味がなかった。あなたを見つけるのに、こんなに時間がかかってしまったのだもの」
「そんなことはない。こうしてお前は私を見つけて、助け出してくれたじゃないか」
「もっと早く見つけるはずだったんです。簡単だと思ってた。でも…なかなか見つからなくて……。その上、もしかしたらあなたは本当に死んでしまったんじゃないかって、考えてしまうことも多くなって……」

 ユリウスがどんどんうつむいていく。
 無理もなかった。エデル・フォルハイン辺境伯は性奴隷にされ、初めの頃こそ魔人の間で珍しい玩具として取り引きされていた。
 しかし、彼らは飽きっぽい。

 人間との戦争はすぐに過去のこととなり、エデルは飽きられた。扱いは雑になり、次々に別の者の手に渡る。途中から名前を変えられ、二束三文で手放されたりといったこともあった。見た目が気に入られて高値がつくこともあったが、一方でゴミのように引き取られることも多かった。

 今回の競売は、エデルがかつてそれなりの地位にいた人間だったと売人が証拠を集めてきたのだろう。それでユリウスの耳にも入ったらしい。
 ユリウスはエデルを買った魔人を次々にたどったが見つからず、殺したとか処分したという話ばかりを聞いて半ば諦め始めていたのだそうだ。

 魔人がどれほど残虐な性質か知っていれば、エデルなどとうに生きていないと思うだろう。エデルがこうして命を奪われずにいたのは奇跡に近いのだ。エデルにとっては辛苦を伴う奇跡ではあったが。

「あなたはこうして生きていたのに、ちょっとでも諦めそうになっていた自分が許せそうにありません」
「そんなことを言わないでくれ。お前も頑張ってくれたんだろう? 再会できてよかったよ」
「……本当ですね。俺、もう少しで……」

 ユリウスがゆっくりと顔を上げる。黄金の瞳が、ぎらりと酷薄に光った。

「全ての魔人を皆殺しにするところだったんです」
「……え?」
「だって、あなたがいないと意味がないから。エデルがいると思うからこそ、俺は地上で奴らと生きてきたんです。我慢できたんです。あなたがいないなら、みんないらない。あなたがいないのに、あなたを滅ぼした奴らがいるなんておかしいでしょう? だから俺、全員……」

 エデルは手をのばして、ユリウスの手を握った。ユリウスがはっとして、エデルの顔を見る。きょとんとしているが、どこか不安そうでもあった。
 以前、ユリウスが妙なことを言い出すと、エデルの家の使用人が彼を化け物となじったのだ。そして主人のエデルを呼んだ。

 そうして向かい合った時、ユリウスはよくこんな顔をしたのだった。

「ユリウス。私はここにいるよ。だから、そんなことをしなくていいんだ。そうだろう?」

 ユリウスは目をしばたたいていたが、目を細めて笑った。どこかほっとしたように。

「そうですね。全員は、時間がかかってしまいますから」

 ユリウスがエデルの手を包み込んでさすってくる。

「憎い相手の名前を覚えていたら、俺に教えてください。今すぐそいつらみんな、八つ裂きにしてきますから」
「その必要はない。……忘れてしまったからな」

 嘘ではなかった。
 自我が崩壊しそうになって、相手を認識できない時期が多々あった。顔も名前も思い出せない自分を買った主人が何人もいたし、自ら覚えないようにしていたこともあった。

 憎しみより絶望が勝っていて、心に刻みつけておけなかったのだ。しかし覚えていたとして、ユリウスには教えなかっただろう。彼がどんなに望んでも、復讐の道具になどしたくない。

「美味しかったよ、ユリウス。私に土産を持って帰ってきてくれてありがとう。お前は優しい子だな。いい子だ」

 そう言って笑うエデルを、ユリウスは切なそうに見つめている。
 表情がなくて気味が悪いと少年の頃はなじられていたユリウスだが、毎日少しずつ、変化が現れていたのをエデルは知っていた。

 人間らしさを真似ているのではなく、素直な彼の感情が表出してきているように思えた。今はその頃以上に、豊かな感情が見られる。

「遅くなって、ごめんなさい」
「謝らないでくれ。その言葉はもう、これっきりだ。お前のせいじゃないんだから。お前は私との約束を果たしてくれた。生きていてくれて、ありがとう」

 ユリウスが唇を引き締めて大きく息を吸った。何か言いたげだったが言葉にはせず、笑って頷き、何度もエデルの手をさすっている。
 沈黙がしばらく続き、エデルは話題を変えることにした。これ以上彼に責任を感じてほしくなかったのだ。

「そういえば、ライムのことだが。後、他の使用人だな。私のことを、エデル様と呼ぶように命じたんだって?」
「はい」
「即刻やめさせてくれ」
「どうしてです?」
「お前にとっては私は主人だったかもしれない。まあ、昔のことだが、その時の印象が強いからユリウスが態度を変えられないというのは理解できる。けれど、彼らは関係ないじゃないか。買われてきた奴隷に礼節を尽くすように言ったら自尊心を傷つけるぞ」
「ジソンシン? 俺が使っている者達に、そんなものはありませんよ。万が一あったなら捨てさせます」
「自尊心をか?」
「命をですよ」

 軽くめまいがした。改めて思うが、ここは魔族の世界であり、彼はそういう世界で生きてきた。この言動は魔人にとってごく普通である。

「いや、だから、ユリウス。どう考えたって、私が丁重に扱われるのはおかし……」
「あなたは世界で一番丁重に扱われるべきですよ! 割れやすい卵よりも大事にしてくれって、みんなに命じているんです。当然じゃないですか。あなたは俺の主人です。主人の主人は、主人です!」

 どう言い含めればいいのか、エデルは考えあぐねた。昔であればもっと上手く喋ることができたのだが、どうもこうした会話が久々というのもあって言葉に詰まる。

「エデル、ここは俺の館ですよ。そしてあの者達は、俺の従僕です」
「ああ、そうだ。でも……」
「俺が好きなように命じる権利がありますよね?」
「もちろんだ。しかし……」
「じゃあそうします。ここは妥協しませんからね! 俺、もしもライムがあなたのことを呼び捨てにして仕事を命じているところを目撃なんかしたら、ついあいつの首を飛ばしてしまうかもしれません」
「首を飛ばすというのは……」
「そのままの意味です」

 そうだろうな、とうなだれた。
 ユリウスが人間の世界にいた時は、人間社会の倫理観を教えたが、今は違う。魔人社会の倫理観を考えれば、彼の言動は常軌を逸していなかった。むしろユリウスは優しいくらいだ。
 執事長の命を守らなくてはならない。聞いた感じでは、理屈以前にユリウスはエデルがぞんざいな扱いを受けている光景を目にすると頭にくるらしいのだ。であれば、仕方なかった。

「受け入れよう」
「やった!」

 子供みたいに手を叩く。こんな無邪気な青年が魔の国の諸侯の一人というのだから笑えてしまう。
 気まずいことこの上ないが、使用人達を救うためにはエデルも我慢するしかないようだった。
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