6 / 49
6、生きていて
しおりを挟む* * *
火の手はもうすぐそこまで迫っていた。
額に滲む汗を手の甲で拭ったエデルは、馬の上で歯噛みする。
もう、とうにわかっていたことだった。これは悪足掻きにすぎない。
人間は敗北する。魔族に蹂躙される。
数も力も、向こうが圧倒的だったのだ。最初から勝ち目がない戦いだったが、奇跡を信じてエデルは戦い続けた。
辺境伯として普段から戦いの中に身を置き、時折現れる魔族を斬っていた。経験があるからこそ早々に理解した。
もはや、これまでだ。
眼下に広がる景色には、あちこちから黒い煙と炎が上がっている。どの町も村も焼かれているのだ。丘から見下ろしてみると、黒い粒のようなものがどこでも蠢いているのがわかる。あれが全て魔族なのだ。別の部隊も飛来してくるだろう。
エデルは剣を握る手に力をこめた。どれほど力んだところで、何も得られない。救えない。
数え切れないほど魔族を斬ってきた剣は名刀だったが、刃こぼれが酷く、血や脂がこびりついて使い物にならなくなってきている。
「エデル様……」
名前を呼ばれてはっとした。
隣には馬に乗る少年がいる。唯一残ったエデルの従者で、名前はユリウス。腰には剣を帯びていたが、エデルは一度も彼に剣を抜かせなかった。まだ戦闘に耐えられる技術を持っていないからだ。才能の片鱗は見せていたが、今の時点では足りない。
――この子だけは、生かさなくては。
絶望に冷えていた心に、願いが燃える。ユリウスだけには生きていてほしい。何もかも失って、しかし自分にはまだこの子がいるのだ。
「ユリウス、よく聞いてくれ」
「はい。俺、エデル様のためなら何でもします!」
剣を鞘におさめると、エデルはユリウスに笑いかけた。
「私とお前はここでお別れだ。私は今から陽動で東に走る。お前は西に行け。そちらはまださほど荒れていないから、身を隠す場所もあるはずだ。少しおとなしくして、それから周りがいくらか落ち着いたら……」
「待ってください!」
ユリウスが目をむきながら大声をあげる。
「陽動って、なんですか? 応援も来るはずがないのに! 敵をおびき寄せて、どうするつもりなんです? それに、どうして俺だけ逃げなくちゃならないんですか!」
「私は生き残りと合流するよ。王都はもう落ちたが、全員殺されたわけではないはずだからな」
「でも……でも、奴らは人間を皆殺しにするつもりなんだ! 殺されちゃいますよ、エデル様!」
「ここにいても殺される」
「俺も一緒に死にたい!」
ユリウスが目に涙をいっぱいためながら訴える。そんな彼が愛おしくて、とても厳しい言葉などかけられそうになかった。
結婚してすぐ伴侶を失い、子供もいなかったエデルは、ユリウスを我が子のように思ってきたのだ。
「そう、魔族は人間を皆殺しにするつもりだろう。けれどユリウス、お前は半分、人間じゃない」
エデルの言葉に、ユリウスがはっとする。エデルは続けた。
「その事実が、どれほどお前を傷つけただろう。魔族にも人間にも虐げられて、さぞ辛かっただろうな。だが、今はそのことに感謝しているよ。半魔人は確かに魔族の中では嘲られているが、殺戮の対象にはなっていないという話だ。お前なら逃げられる。逃げてくれ」
おそらくこの先は魔人が支配する世界となる。その中で差別の対象となっているユリウスが生き抜くのは容易ではないだろう。しかし半魔人も少ないがいるにはいるそうだし、どうにか生きる道が見つかるかもしれない。
それが、それだけが今のエデルの希望だった。
馬を降りて、エデルは自分の荷物から使えそうなものを分けてユリウスの馬に積む。
「待ってください……! ねえ! 嫌だ! エデル様、そんなこと言わないで! 俺を一人にしないで! あなたのいない世界で生きてたって、意味なんてない!」
泣き叫びながらユリウスも馬から飛び降りて、作業をするエデルにしがみついてきた。
「どうして俺を引き離そうとするんですか?! 俺が嫌いになった? 半分魔人だから? 嫌いでもいいです、お願いだから、あなたのそばにいさせてください!!」
胸が引き裂かれそうな声に、エデルは強くユリウスを抱きしめた。
「わがままを……許してくれ。お前の気持ちは、よくわかっているけれど、お前には死んでほしくないんだよ……」
一緒に死ぬか、ユリウスを逃がすか、そのニ択しかない。ユリウスの希望は一緒に死ぬことだろうし、それを叶えてやる方がいいのだろう。
だが、エデルには耐えられなかった。
敗北を受け入れて、全てを壊され、最後の大切なものまで八つ裂きにされるなど。
「私は酷い男だ。お前の願いを叶えずに、私の願いを叶えてくれと頼むのだから」
生きてくれ、生きてくれ、とエデルは繰り返す。
抱きしめられながら、ユリウスはしゃくりあげていた。
ひとしきり泣いてから、ユリウスは言った。
「お、俺……、あなたに救ってもらってから、何一つ恩を返してない……。ここであなたの言うことを聞いたら、恩返しをしたことになりますか……?」
エデルは涙をこらえながら頷いた。自分がどれほど酷なことを言わせているか自覚はある。
恩など返す必要はないと、言ってやれない。頷くしかなかった。
「じゃあ、俺……、行きますよ。一人で、行きます。そうしたら、エデル様は幸せなんですね? 俺、あなたのこと助けてあげるような力がないから、これくらいしかできない。弱くてごめんなさい」
震えているのがユリウスなのか自分なのかわからない。きつく抱きしめて、ユリウスの柔らかい髪を何度も撫でる。小さな角が手に触れた。
――私こそ、すまない。救ってやれなくて。お前をひとりぼっちにさせてしまう。
大軍が移動する気配がする。おそらく一帯を焼け野原にでもするつもりなのだろう。背後の森が燃え上がっている。
「さあ、もう行け。気をつけて」
エデルはユリウスを馬に押し上げ、自分もすぐに馬にまたがった。
「エデル様も、どうか生きてください」
真剣な眼差しで、ユリウスが振り返る。約束はできなかったが、エデルは「ああ」と返事をした。最後まで戦うつもりではいるが、おそらく生き残ることは不可能だろう。
「また会いましょう。いつかあなたをさがしに戻りますから」
「行け、ユリウス!」
一帯の気配に神経を集中させながら、エデルは剣を抜いた。ユリウスが逃げるのにはまだ間に合うはずだ。自分もまだ大軍と接触せずに安全な方へ抜けられる。
馬を走らせるユリウスは、名残惜しそうに振り返りながら声をあげた。
「必ずですよ、エデル様……! 俺、あなたのことを……!」
何を言ったのかは聞き取れなかった。
はるか遠くより、遠雷のような雄叫びが響いてくる。魔王の復活を祝う声が地をどよもす。血に飢えた悪意が迫ってくる。
エデルも馬を走らせ始めた。
これでいい。あの子さえ生きていてくれたらいい。私は潔く散ろう。
すまない、と繰り返しながらエデルは馬を駆った。
まだこの時は、死よりも辛い運命が待ち受けているとは想像もしていない。
生き残りの人間と合流し、最後まで徹底抗戦した。その後、「最も魔人を手にかけたとされるエデル・フォルハイン辺境伯を差し出せば他の者は助けてやろう」という提案を受け、人間に裏切られたエデルは魔人に引き渡されたのだった。
6
お気に入りに追加
201
あなたにおすすめの小説
姉が結婚式から逃げ出したので、身代わりにヤクザの嫁になりました
拓海のり
BL
芳原暖斗(はると)は学校の文化祭の都合で姉の結婚式に遅れた。会場に行ってみると姉も両親もいなくて相手の男が身代わりになれと言う。とても断れる雰囲気ではなくて結婚式を挙げた暖斗だったがそのまま男の家に引き摺られて──。
昔書いたお話です。殆んど直していません。やくざ、カップル続々がダメな方はブラウザバックお願いします。やおいファンタジーなので細かい事はお許しください。よろしくお願いします。
タイトルを変えてみました。
【完結】帝王様は、表でも裏でも有名な飼い猫を溺愛する
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
離地暦201年――人類は地球を離れ、宇宙で新たな生活を始め200年近くが経過した。貧困の差が広がる地球を捨て、裕福な人々は宇宙へ進出していく。
狙撃手として裏で名を馳せたルーイは、地球での狙撃の帰りに公安に拘束された。逃走経路を疎かにした結果だ。表では一流モデルとして有名な青年が裏路地で保護される、滅多にない事態に公安は彼を疑うが……。
表も裏もひっくるめてルーイの『飼い主』である権力者リューアは公安からの問い合わせに対し、彼の保護と称した強制連行を指示する。
権力者一族の争いに巻き込まれるルーイと、ひたすらに彼に甘いリューアの愛の行方は?
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう
【注意】※印は性的表現有ります
キスから始まる主従契約
毒島らいおん
BL
異世界に召喚された挙げ句に、間違いだったと言われて見捨てられた葵。そんな葵を助けてくれたのは、美貌の公爵ローレルだった。
ローレルの優しげな雰囲気に葵は惹かれる。しかも向こうからキスをしてきて葵は有頂天になるが、それは魔法で主従契約を結ぶためだった。
しかも週に1回キスをしないと死んでしまう、とんでもないもので――。
◯
それでもなんとか彼に好かれようとがんばる葵と、実は腹黒いうえに秘密を抱えているローレルが、過去やら危機やらを乗り越えて、最後には最高の伴侶なるお話。
(全48話・毎日12時に更新)
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!
古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます!
7/15よりレンタル切り替えとなります。
紙書籍版もよろしくお願いします!
妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。
成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた!
これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。
「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」
「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」
「んもおおおっ!」
どうなる、俺の一人暮らし!
いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど!
※読み直しナッシング書き溜め。
※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。
好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。
人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください!
チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!!
※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる