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亡霊と夢に沈む白百合
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ディルラート・リトスロードの手によってファラエナ伯爵から救い出されたリーリヤは、リトスロードの地へと連れて来られた。場所によっては瘴気が濃いため、耐性のないものはいられない。リーリヤもそこには足を踏み入れられず、リトスロードの館より離れた村に向かった。
郷の者達は何組かに分けられていくつかの村に分散している。
リーリヤが訪れた村には、ノアやアンリーシャの分家の者が集まっていた。
「リーリヤ!」
馬から降りたリーリヤの元に走り寄ってきたのは、ノアだった。ノアはリーリヤに飛びつくと、きつく抱き締める。
「心配したんだぞ、リーリヤ……。いなくなったりしたら、駄目じゃないか……!」
合わせる顔がない、と落ち込んでいたリーリヤは、ノアと再会した際の言い訳を道中いろいろと考えていた。
だが、ノアの涙声を聞くと、何も頭に浮かばなくなる。リーリヤも涙を浮かべ、「ごめんなさい、ごめんなさい」とただ謝った。
もう大人になったはずのノアの目には、涙がいっぱいに溜まっていた。こうして泣かせてしまったのは自分だと思うと、胸が痛かった。
「よく無事で戻ってきた。私の大事なリーリヤ。お前は何も悪くないよ」
いいえ、私が悪いのです。私が過ちを犯したのです。
けれど、もう選択を誤ってはならない。優しいノアを悲しませてはならないのだ。自分の気持ちと折り合いをつけるのは難しく、先のことは不安でたまらない。
それでも、本当に大切なものは何か、今、気づいた気がした。
サイシャも駆けてきて、ノアと一緒にリーリヤを抱き締める。皆も安心したようにこちらを見つめている。
「私は、皆と一緒にいてもいいんですね」
「当たり前だろう」
どこへ行くのか、何になるのかはまだわからないけれど、大切な人が自分のために涙を流さないように、前を見て歩んでいかなければならない。
それが精一杯の恩返しだ。
「私はディルラート様に忠誠を誓う。あの方のもとで働こうと思う。私がディルラート様の片腕となろう」
ノアは皆にそう宣言した。
ディルラートの腕の火傷は重傷だった。一生かけても完治はしない。犠牲になったその腕の代わりになりたいとノアは申し出た。
アンリーシャの誰も、それに異存はなかった。ディルラートがいなければ、アンリーシャに未来はなかったのだ。
郷の者は新しい土地を授けられ、新生活を始めることとなった。固まって住んでいた分家も解散することになる。また似たような危機が訪れた時、一網打尽にされないよう、各々離れて力をつけ、生きていこうという話になったのだ。
そのうちの一部は、リトスロードの助力によって建てられた山奥の館に移り住んだ。近在の村には郷の者の一部がやってきた。
リーリヤは館に住むことが決まった。静かで、空気が澄んで、落ち着いた場所だ。女性や老人と一緒に、十数人で暮らし始めた。
ノアやディルラートが時折訪ねてくる。ノアはリトスロード家の者の護衛や、諜報活動のようなことをしているらしい。なかなか刺激が多くていい、とノアは生活に満足しているらしかった。術にも磨きをかけているそうで、ディルラートも頼りにしていると褒めていた。
そんなある日のことだった。忙しいのか、半年以上顔を見せていなかったノアが館を訪れた。
その手に赤子が抱かれているのを見て、リーリヤは心底驚いた。
「私の子だよ」
ノアは少しはにかみながら言う。
「相手は行きずりの男だが、武芸に秀でていたようだからいい子に育つかもしれない。名前はノルだ」
そしてノアは、ノルをリーリヤの手に預ける。
「頼みがある。お前がノルを育ててくれないだろうか」
「私が……?」
「仕事が忙しいし、あっちじゃおちおち子育てなんか出来ないんだよ。この子も可能ならば将来、リトスロード家に仕えてほしいんだ」
突然の話にリーリヤはろくな反応もできず、ただおくるみにくるまった乳児を呆然と抱いていた。
小さいのに手にずしりとくる重みは、そのまま重責となってリーリヤの身にのしかかりそうになる。
「そんな大役を、このリーリヤが……」
「お前ならやれるさ。ノルを一人前にしてやってくれ」
もっと他に適任がいるのではないかとおろおろとしたが、ノアがそう言うのに否定しては失礼だろう。
もぞもぞと赤子が身を動かすのでリーリヤははっとする。
「ノ……ノル様」
声をかけると、ノルが笑った。かえでの葉のような小さな手を、リーリヤに向かってのばす。
(なんて、愛らしいんだろう)
子供は好きだ。それが尊敬するノアの子であればなおのこと愛おしく感じる。一気に胸に温かいものがこみあげて、不意に涙が出そうになった。
(こんなに大切な子を、ノア様は私に預けると言う。私を信用してくださっている)
リーリヤは頬を紅潮させて、ノアへ誓った。
「私は必ず、この子を立派に育てます! アンリーシャの名に恥じない、立派な若者にします。命に替えても守りましょう」
ノアは笑って頷き、リーリヤの頭を撫でた。
役目が出来たリーリヤの日常は、以前にも増して輝いた。
年月は流れ、ノルは成長し、館から送り出す日が来る。
いくつもの別れと出会いを繰り返した。
ノアが死に、リーリヤはノルの子供のノイトを育てた。その頃になると、リーリヤが老いない人間らしいということが誰の目から見てもはっきりしていた。
アンリーシャの男から生まれた男は大体が長命で、五十を過ぎるまでは驚くほど見た目が若い。それからぐっと時間が急速に追いつき、まともな壮年の姿になる。
リーリヤも似たようなものなのかと思われたが、確実に異常であった。二十代の最も美しい時に、その見た目は永遠に凍りついたのだった。
リーリヤはアンリーシャの子を育て続けた。
早くに死んだ者もいたが、大体が健やかに長生きをしてリトスロード家の家令を勤め上げた。長寿だったノトリクなどは途中で息子にその役目を譲り、アンリーシャの館で余生を過ごした。
ノル、ノイト、ノース、ノアテル、ノギ、ノトリク、ノスタル、ノドル、ノア。
(一人残らず、皆、私の大切な子だ――)
彼らを育ててきたことを、誇りに思う。
「リーリヤ」
小さなアンリーシャの少年が、懸命に足を動かしてリーリヤに向かって走ってくる。リーリヤはそれを抱き上げる。
「よく聞いて下さい。そして覚えておいて。私のもとをいつか離れることになっても。私を追い越して、私より先に光になってしまったとしても。いいですか、リーリヤは、あなたのことを、永遠に愛していますからね」
私に生きる意味を与えてくれたあなた達を、リーリヤは誰一人忘れないでしょう。
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