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亡霊と夢に沈む白百合

18、助けて

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 * * *

 サイシャは、昼も夜も関係なく馬を走らせ続けた。馬が走れなくなると無理をさせたことを心から詫び、是非とも自分を恨むように言い残して新しい馬に乗り換え、また進む。

 親が殺され、突如として宗主となったノアはまだ若い。サイシャからしてみれば子供も同然で、まだ一族の長としての責務を負うには酷な歳だ。

 しかも今、アンリーシャは滅ぼされようとしている。それを皆が肌で感じている。
 悪に利用され、アンリーシャはただの道具となり、そうでなければ根絶される。それが滅びでなくて何だと言うのか。
 すがれるならば藁でも糸でも何でもすがる。

「リトスロードは諸悪を許さない。助けを求める者には分け隔てなく手をさしのべる」

 そんな噂を耳にした。
 ただしリトスロード家は世界の全てを対象にした救世主ではない。彼らは神ではなく、ただの人間だ。救える範囲は限定的である。あくまでも、訴え出た者にのみ関心を寄せるのだろう。

 だから、会わなければ。リトスロードの当主に。
 縁もゆかりもない、山奥の一族になど手を貸しはしないだろう。そんな意見も痛いほどわかっている。それが普通の考えだ。

 サイシャとて、リトスロードがどのような一族であるかよく知らないのだ。評判をあてにして、勝手にこうして走っている。

 現実から目をそらしているだけなのかもしれない。動いていれば罪悪感が薄れるから。
 リトスロードの者に会えるかどうかもわからないし、会ったところで追い返されないとも限らない。
 なにゆえ我らがお前達を助けるのか、と。

 当然だ。助ける義理はない。けれど。

 ――助けて。誰か。助けて、助けて、助けて。お願いだから。

 差し出せるなら何でも差し出すだろう。ノアと一族の誇りを、どうしても取り戻さなくてはならないのだ。このまま踏み潰されてなるものか。
 いよいよリトスロードが支配する地域に入ったが、その旅路は壮絶を極めるものだった。黒い荒野には魔物が湧く。

 サイシャは優れた魔術師だったが、魔物退治は経験がなかった。魔物は人を相手にするのとは勝手が違う。様々な形態のものが存在し、下手に倒せば飛散した毒にやられそうになることもあった。
 満身創痍で馬を駆り、魔物の集団に襲われているうちにどこを走っているのかもわからなくなってしまった。

 陽は明るくとも魔物は出現する。植物もほとんど見られない静寂に満ちた荒野にはびこるのは、異形のものどもだけ。
 牙を生やした猛獣のような黒い魔物が飛びかかってきて、サイシャは剣を抜き、魔法で強化してそれを切り捨てた。

 数が多い。術を使って小物を排除するが、次から次へと湧いてくる。

「この……どけ!」

 馬が尻をひっかかれて立ち上がった。サイシャはどうにか落ち着かせようと手綱を引くが、馬は、どう、と地面に倒れ込む。
 ここで馬を失ってはもうおしまいだった。
 だが絶望するという反応が出来るほどの余裕がもう残っていない。

 前へ、前へ。ただ前へ。前へ進めばどうにかなる、と。朦朧とした意識のまま、一歩でも進もうとする。
 立ち塞がる魔物を一体斬ると、それが爆ぜて、巻き込まれたサイシャは吹き飛ばされた。
 四つん這いになった魔物が迫ってくる。

「行かなければ、私は……私はっ……!」

 立ち上がろうとしたが足に力が入らずに転んでしまう。それでも剣からは手を離さず、上体を起こした。
 目の前で魔物が大口を開ける。

 おしまいだ、などと思わなかった。最後の一瞬まで諦めないこと。それだけが残された誇りなのだ。
 剣の柄を強く握った時だった。

 近くにいた魔物が、一斉に燃え上がった。目前にいた魔物は、真横に二つになって崩れていく。

「……大丈夫?」

 空中から、誰かがサイシャの傍らに飛び降りる。長い髪の女性だった。まだ若く、十代半ばといったところだ。

「ああ、酷い怪我。どうしてこんな危険地帯にあなたはいるの? 私達が通りかからなかったら死んでいたわ。見たところ、旅の人のようだけど……。東に行くならもっと安全な道があったでしょう?」

 道はあるが、サイシャはリトスロードの者が住むという館への最短距離を選んだのである。危険の少ないルートを選べば、何週間も遅くなるからだ。
 少女は剣を鞘におさめて辺りを見回している。彼女がこの魔物達を倒したというのだろうか。だとしたら、とんでもなく強い力を持っているのだろう。

「あなたは……?」

 サイシャが尋ねると、少女は小首を傾げる。

「私? 私はルフィリーナ・リトスロード」

 リトスロード。

 その名を聞いたサイシャは、雷に打たれたような衝撃を覚えて茫然自失となった。

「とにかく、そんな怪我じゃもう動けないでしょう。私達と一緒に来なさい。手当てをするわ」

 ルフィリーナと名乗る少女に、サイシャはすがりついた。

「リトスロードの当主の方を探しているのです! あなたはリトスロード一族の御方でしょう? どうか会わせて下さい、今すぐに! 時間がないの!」

 ルフィリーナは驚いたように目を瞬かせたが、不審そうに眉をひそめたりはしなかった。ただあんまりサイシャの姿がぼろぼろで哀れを誘ったのか、気の毒そうな顔をしている。

「大きな声を出さない方がいいわ。あなた、自覚しているよりとても大変な状態よ」
「お願いします! 今すぐに……、私はどうなってもいいんです!」

 ほとんど悲鳴だった。ルフィリーナはサイシャの肩をさすると、首だけ振り返る。

「父上。この方の話を聞いてあげてくださいませんか」

 空から、黒い馬に乗った男がゆっくりと降下してくる。
 厳しい顔つきをした美丈夫だ。肩幅が広く、いかにも強健そうで、見る者を怯ませる迫力がある。

「貴方がリトスロード一族をまとめている御方でしょうか」
「いかにも」

 では、この人こそがサイシャのさがしていた人物なのだ。
 サイシャは名乗る礼儀も忘れ、地面に手をつくと声をあげた。

「後生です、どうか……力をお貸し下さい! 我々を悪魔の手から救っていただきたいのです! このまま我々がエンデリカ大公国の道具となって利用されれば、必ずや大陸の戦火は広がるでしょう。どうか我々を……仲間を……」

 ノア様を。助け出せなかったあの罪なき青年を。

「助けて下さい!」

 血を吐くように絶叫した。
 うなだれるサイシャを、厳めしい男はマントをはためかせて見下ろしている。
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