ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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センセ、と永遠のキスでささやいて_8

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 体育館の中はあふれるほどの生徒や一般客でごった返していた。
 制服を脱ぐタイミングもないまま、一番後ろの隅っこの壁際で身を隠すように立って眺める。

 特に多いのはうちの高校の生徒たちだ。
 先生の姿もちらほら見える。

 ふと、私の立つ位置からは離れた壁際に、髪の長い生徒がちらりと見え隠れした。
 たぶん米川さんだろう。
 3人くらいの女子と一緒に前を見つめている。
 なんとなく顔を見られないように、そっと彼女たちの死角に近い位置にずれる。
 逃げる必要なんてどこにもないけれど、それでもやっぱり苦手だ。

 ステージには、中央にマイクがたてられている。
 袖の辺りでちらちら見える生徒がいるから、何か準備しているのかもしれない。
 プログラムを見ようとして、さっきのいざこざでフードコートに忘れてきたと気づく。
 仕方なくぼうっとステージを見ながら蒼くんが戻ってくるのを待つ。
 さらに人が増えてきたみたいだった。

「あのー……」

 声をかけられて、そっちに顔を向けると、2人の女子生徒が立っていた。
 その顔に思わず硬直する。

「杏、ちゃんだよね?」

「やっぱり先生だ」

 私が受け持つ2Cの女子生徒たちだった。

「ち、違います」と無駄な抵抗と思いつつ真っ赤な顔で言うも、「クラスのみんな心配してたんだよ!」と抱きつかれた。

「先生、大丈夫? 学校に来れる?」

 他にも生徒が駆け寄ってきた。

「先生だ! え、なんで慶林高の制服着てんの?」

「似合う、かわいい! うちらと同級みたい!」

 いろんな声に取り巻かれ、でもそのどれもが嬉しそうで私も自然と笑みがこぼれた。
 他の生徒もちらちらとこっちの様子を伺っている。

 ここにいる生徒のほとんどは、私と橘先生の事件のことを知っているに違いない。
 それでもその時のことを持ち出すよりも、私のことを案じてくれる言葉ばかりだ。

「杏ちゃん先生、まだ学校来れない?」

「そろそろ行きたいとは思ってるよ」

「ほんと? なんかあっても、うちらがいるから。なんでも言ってよ!」

 そう笑ってくれる子たちに、胸の奥が熱くなる。

「いろいろ心配かけてごめんね」

「いいんだよー。杏ちゃんだもん」

 女子たちと少しばかりの男子たちに取り巻かれていると、ステージ上に誰かがあがってきた。
 司会進行の生徒らしい。

「さあ、次に登壇するのは、我が校の女子たちをあっさり虜にしやがりました、せんせ、いや、生徒なのか? つうか、とりあえずこの人! いろいろあって、トリだ!」

「そういやこれ、何やってるの?」

 聞いた声は体育館が揺れるほどにドンッと湧いた音にかき消された。
 女子からの黄色い悲鳴と、男子のひやかしやざわつきにステージに顔を向けると、そこにいたのは。

「1B教育実習生、成瀬蒼!」

 マイクに向かって、蒼くんが宣言するように名乗った。

 呆然とステージを見つめる。
 まさか用があると言っていたのは、あのステージに上るため?

「成瀬先生、かっこいいー!」と複数の女子が声をあげて、蒼くんがその方角に軽く頭を下げて、さらに悲鳴があがった。

「こんな格好してるけど、いちおう3年前はオレも高校生だったんで。今日はちょっとこの場をオレに貸してください」

 蒼くんがそう言うと、体育館の中がゆっくり静まっていく。

「今日で、オレは実習を終えます。オレの拙い、つうか適当な数学につきあってくれた1年、ありがとう。感謝してます。オレの方はそれなりに楽しい時間過ごさせてもらいました。あとは、神田先生がしっかりフォローしてくれます。よろしく、神田先生」

「大変だよ、お前の後始末!」

 太い声がして、また体育館全体が湧いた。

「すみません」

 蒼くんが神田先生の方に笑いながら頭を下げて、生徒たちからも笑いが起きた。

「4週間。本当は3週間だったけど、よいことも悪いことも本当にいろいろありました。多くは語りたくないので、知りたい人は直接聞きに来て。まあ来られてもオレの口からは何も言わないと思うけど」

 少しおどけたような物言いに、神妙なようでいて、またそこかしこでクスクスと笑う声が起きた。
 そして少し言葉を切ってから、蒼くんはまた続けた。

「不純な動機で悪いけど、……オレがここを実習先に選ばせてもらったのは理由がありました。どうしても会いたかった人がいた」

 ざわりと体育館が揺れた。
 どきりとして、なんとなく居心地の悪さからステージから視線をそらしてまた戻した時。

 まっすぐ私を見ている蒼くんがいた。
 ステージまでずいぶん遠いのに、蒼くんは、私を見つけ出して、その視線を外さない。

 思わず息をつめて見つめ返す。

「片桐杏先生」

 呼ばれて、心臓が破裂しそうなほどどきどきしはじめる。
 私のそばにいる2Cの女子たちが息を飲むのが聞こえて、ざわつく体育館のみんなの視線がさまよいながら蒼くんの視線をたどって、私を探しあてようとする。

「……オレ、センセに会いたくてここに来た。4年前からずっと、あなたを追いかけてた。4年前はなんの力もない、何も考えてない高校生で未成年で。守りたかったのに、オレのこの両手は非力すぎてあなたを守れなかった」

 こんな場で、何を言い出すんだろう。
 戸惑いながらもその切々とした声に、目をそらせない。

「センセ。今度は、あなたを守れたと、思っていい?」

 まっすぐな言葉に、私は私を見つけたたくさんの視線の中で、恥ずかしさに顔を伏せたくなるのを抑えて小さく頷いた。
 その瞬間、蒼くんが心底ホッとしたような、でも泣き出しそうな顔で頷きかえした。

「離れてた過去の分、それからこれから先。……オレはセンセとずっと一緒にいたい」

 逃げ出したくなるほどに心臓が締め付けられて、ほおがすごく熱い。

「センセ」

 まっすぐ響いた声は切実で、少し緊張を孕んで。
 蒼くんが少し「あー……センセじゃないか」と口ごもりながら俯いて、でもまた意を決したようにしっかり私を見た。

 ステージは遠いはずなのに、その真剣で切なげな瞳が私を捉えて。

「杏」

 名前で呼ばれて、周りの音も空気も、そして時間さえも止まった気がした。

「オレと、結婚して」

 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。
 しん、と異様なほどの緊張が体育館に張り詰めて、誰もが息を飲んで私を見た。

 その中で蒼くんがステージを軽やかな足取りで降りて、それからまっすぐ体育館を縦断するように歩き出す。
 その道を開けるように、気づいた生徒たちがどよめきながら自然と脇に避けていく。
 それは、まるでわかっていたかのように私へと続いていて。

 真剣な顔でただ私だけをひたむきに見つめる、あの無邪気なのに大人びた光を帯びた目が私を向けたまま近づいてくる。
 もうずっと、私を捉えて離さない。

 4年前、放課後の教室でキスをしたあの日から、もう、ずっと。

「ね、センセ。オレじゃだめ?」

 蒼くんが目の前に立って軽く首を傾げた。
 そんなふうに甘えられたら、断るなんてできるはずがない。
 頭を振ると、蒼くんがわかってたとでも言うようにかすかに笑った。

「じゃあ、返事は?」

「……はい……!」

 蒼くんが今度こそ嬉しそうに「センセ、最っ高」と笑って、泣き出しそうに顔を赤らめた私を抱き寄せた。

 その瞬間、両隣にいた女子たちから「きゃあ、やった! 杏ちゃん先生!」と嬉しそうな声があがって、同時に体育館が黄色い悲鳴や歓声に大きくわいた。
 あまりの恥ずかしさに顔をあげられないままでいると、蒼くんの腕が緩んだ。

「センセ、顔あげて」

「無理、恥ずかしすぎる!」

「いいから」

 蒼くんに促されて顔をあげると、蒼くんや私が教えている生徒たちが周りを取り囲んでいて、その中から2Cの文化祭実行委員である浅野さんが「杏ちゃん先生」と前に進み出た。

「先生。今から成瀬先生と一緒に中庭に来てください」

 楽しそうに浅野さんが私の手をとって、戸惑いながら蒼くんと顔を見合わせた。
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