ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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異常な執着の最後_2

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 どうして、という気持ちと、油断していたという後悔とに苛まれながら振り返った。
 ちょうど放送室内のガラスで隔たったスタジオのドアを開けて橘先生が出てくるところだった。

「どういうことですか? まさかさっきの彼女を使って……」

「いえ、単に杏さんを呼びに行ってもらっただけですよ?」

「名前で呼ばないで。こんなだますようなやり方しておいて!」

 唇を噛み締め、もう一度放送室のドアを開けようとドアノブをがちゃちゃとした。

「これからホームルームという時間に、こんな理由で呼び出しておいて許されると思ってるんですか? ここを開けてください」

「まあ落ち着いて。せっかく明日から文化祭でしょう? 映画上映、というのはいまさら難しいかもしれませんが、2人だけで楽しめる動画なら撮れるかと」

「そんな私的な理由ならなおさらけっこうです。ここを開けてください」

「開けられませんよ。動画を撮り終えるまでは、誰にも近づかせません」

 橘先生の声が近づいてきて、さすがに背を向け続けるわけにはいかなくなった。
 壁に身を寄せるようにして、目の前の男を睨みつける。

「スタジオに、ほら準備万端でしょう?」

 橘先生がガラス越しのスタジオの方を見た。

「ここは防音ですからね、杏さんがどんな声を出したところで誰も気づかない」

「私が協力するとでも?」

 じりじりと橘先生との距離を詰められないように壁を背中にしたまま移動する。

「鬼ごっこをするつもりですか? 演出としてはそれでもいいですけどね」

 含むような笑いをたてて、橘先生が手を伸ばした。
 それを避けて、横に飛び退く。
 でもドアが開かなければ、本当に鬼ごっこ状態のままだ。
 疲れるまで、となったら、分が悪いのは圧倒的に私だった。

「ここから出してください。こんなことをしてる場合じゃないんです。教師だったらわかりますよね? 文化祭の準備の監督もあれば、それが終わった後の試験の準備もある。なにより、今、ホームルームをそのままにしてきてるんです。開けてください」

「……杏さんは真面目ですね。たかが先生の1人や2人、どこで何をしていようと、なんとかなりますよ。そんなことより大事なことが、ぼくとあなたとの間にはあるでしょう?」

「ありません」

 少しずつ追い詰められている。
 分かっているのに、ドアからじょじょに遠のいていた。

「つれないなあ……」

「いい加減にしてください」

 タイミングを見計らって、また放送室のドアのほうへ行こうとした瞬間、橘先生が俊敏に動いて、手首をとられる。
 そのまま背中側にねじあげられ、痛みに小さく呻いた。

「せっかくスタジオに機材を用意したんだ。あなたとぼくが睦み合う、その撮影のための」

 全身に鳥肌がたった。

「な、何を言ってるの。ここ学校ですよ?!」

「いい設備が揃ってて、一度、ハメ撮りというものをね、本格的にやってみたいと思っていて」

 橘先生がぎりぎりと腕をねじりあげながら、私をスタジオの方へと押しやる。

「いや、やめてください! こんなの犯罪です!」

「その嫌がるのもすべて、演出ですね。ああ、こんなものなんかして……」

 橘先生が何かに気づいたように私の指に触れ。

「やめて! 返して!」

 成瀬くんがくれた指輪が抜き取られた。

「こんな安物、あなたには似合いません」

 そのまま握りしめたかと思ったその手を、大きく振りかぶって強く放り投げた。
 きらりと光った指輪が飛んで、いろいろとある機材か調整卓の隙間にか、落ちた。

「いやあっ離して!」

 指輪の方に手を伸ばした瞬間、無理して体を伸ばしたせいで、ねじあげられた腕に息が止まるほどの痛みが走った。
 あまりの痛みに涙が浮かんだ。

 どんな顔で成瀬くんが選んでくれたのか、どんなに大変な中で私のために走ってくれたか。
 その成瀬くんがプレゼントしてくれたものなのに!

 悲鳴に近い言葉でなじりながら、怒り任せで橘先生の胸やすねを殴ったり蹴ったり夢中で暴れた。
 その私に手を焼いて、先生の私を掴む力が緩んだ。
 腕が痛んだのも構わず思い切り先生を突き飛ばして、指輪が飛んだ方向へと走り寄った。

 どこに行ったのか、わからない。
 せっかく成瀬くんがくれた、小さくても想いのこもった指輪。
 泣きそうになりながら床を探す。

「そんなものより、新しいものを買ってあげますよ」

 探すのに必死になっていた私の背中に近づき、橘先生がぐっと私の髪を掴んだ。

「うぅ、痛ぃ……。はな、して」

 髪をひきあげられるようにされ、痛みと悔しさで涙がにじんだ。
 引っ張られている頭の根本を抑えて痛みを堪えても、橘先生は容赦なくそのまま私を背後から首に腕を回して歩き出した。

「くるし、せん、せ。はなし、て」

 殺されるかもしれない。
 首を締められ、息もできない状態に必死で腕を叩いた時、橘先生は私をスタジオの中へ突き飛ばした。

 スタジオの真ん中にお情け程度に敷かれているシーツか毛布かの上に無様に転げる。
 喉が急に解放されて入ってきた埃っぽい空気に激しく咳き込んだ。

「こ、こんなことして。今度こそ、警察が、」

「ええ、そうですね。本っ当に余計なことを。だからですよ! だから、この動画にあなたとの思い出を残したいんだ!」

 笑い声がして慌てて振り返ると、ネクタイを外し、ワイシャツを脱ぎ捨てながら近づいてくる橘先生がいた。
 その目はすでに常軌を逸しているようにぎらぎらと燃えていて、恐怖がぶわりと膨らんだ。

「やめて。本当に……本当に、こ、こんなことしても意味がありません」

 橘先生が私の前で膝をついた。
 後ろにいざり、何か武器になるようなものを手で探る。

「意味なんてどうーだっていい。ぼくはあなたがほしい。ぼくのものにしたい。あなたを誰にも渡しはしない。あなたはぼくのものです。ぼくのものだ」

 ゾッとして逃げようとした瞬間、足首をわし掴まれた。

「やめて、やだ! 橘先生! やめてください! 誰か、誰か!」

 強い力で、下にしかれた布ごと橘先生の方にひきずりこまれた。
 必死で抵抗しようと暴れる私の手首を片方の手で抑え込み、それからもう片方の手でブラウスの前を乱暴に引きちぎった。
 ボタンが飛んで悲鳴をあげた。

「誰にも渡さない。誰にも。一度ヤれば、あなたもぼくしか考えられなくなる。ぼくのものに。ぼくだけのものに」

 橘先生の手がブラジャーをおしあげ、顔が近づくのに激しく足をばたつかせ、体をよじらせて抵抗した。
 悔しさと悲しさと怒りと絶望とがないまぜになった感情が体の内側を熱くして、その分橘先生を煩わせる。

 これ以上、触れさせたくない。
 私の体は、私のもの。
 誰かに勝手に触られていいものじゃない!

「い、い加減に……諦めろ!」

 橘先生がわずかに身を離した隙に、逃れようとした。
 その瞬間、パンッと激しくほおを張られた。

「暴れるからですよ。ほら、暴れたら痛いでしょう? ああ、赤くなってかわいそうに……」

 呆然として、橘先生を見上げた。
 橘先生は自分が何をしているのかわかっていないのか、自分がしたことに興奮したのか、さらに顔を紅潮させていた。

「あなたが悪いんですよ、杏さん」

 もう片方のほおを張られ、悲鳴をあげた。
 またほおを張られ、両方のほおがじんじんと痛みと熱を帯び始める。

「あなたがおとなしくぼくのものにならないから」

 殴られたショックで放心する私の唇に、橘先生の唇が重なる。
 ぬるりと舌が滑り込んできて、全身に寒気が走った。

「い、……いやあっ」

 顔を背けた。
 舌打ちの音が聞こえた。

 自暴自棄になったかのように、暴れる私の手首をネクタイで縛り、私のパンツスーツの下を脱がし始める。
 私がどんなに暴れても身をよじっても、男の力にかなわない。
 それでも悲鳴をあげ、助けを請い。

 橘先生の手が素肌をまさぐるたびに、涙が目尻をこぼれ落ち、絶叫が喉の奥から迸り。
「蒼! 蒼!」とただ成瀬くんの名前を呼んだ。

 その時。

「杏! 杏!! てめえ、橘あっ!!」

 怒号が聞こえた。
 私の体の上から重みがふっと消えた。

 同時に激しく物がぶつかる音と、成瀬くんの怒号。
 それから足が入り乱れる音、誰かの声、ざわつく音、悲鳴や喧騒が私を取り巻いて。
 見慣れた背中が現れた。
 ホッとした瞬間、ふ、と気が遠くなった。
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