ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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哀しいほどの空回りの先_8

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「…… 幼馴染?——あぁ、そうね。久しぶりだったから直ぐに思い出せなかったみたいだわ、ごめんなさいね?」
 焦点の合わぬ目を少しした後、クリシスはそう口にした。だが同じ言葉を間近で聞いたにも関わらず、更紗は少しの頭痛も違和感も感じず、ピンピンしている。記憶が無理矢理書き変った様な感覚も無い。ただ少し、変な音のする声を聞いてしまったなといった感想を抱いただけで済んだのは、クルスが飾りボタンに加工し直した魔装具がきちんと効力を発揮したおかげだろう。

「いいんだよ、君は昔っからものすごーく忘れっぽいからね。ホント、ボクの更紗とは大違いだ」

 最初はニコッと笑っていたが、『更紗とは大違いだ』と口にした頃にはカイトの表情がクリシスを酷く見下したものに変化していた。そんな、ゴミか虫ケラでも見る様に真っ黒な瞳をすっと細める。クリシスを心底蔑んでいる気持ちを隠す気など、彼には微塵も無さそうだ。
 カイトのそんな無礼な態度を前にしてクリシスは少したじろいだが、自分だけに甘い環境下で培われた図太い精神の持ち主である彼女は、めげずに口を開く。

「まぁ、す・こ・しは、そうかも、ね。でも姉さんは過ぎ去った事をいつまでもしつこく覚えているし、今でも復讐とばかりに周囲へ迷惑ばかりかけているから…… それよりはずっとマシなんじゃないかしら」

 何の話?と更紗の頭に疑問符が浮かんだ。実家を追い出されて以降一度も帰省なんかしていないのに、『今でも、とは一体?』と不思議に感じたが、現在進行形で起きている学校内外でのトラブルを全て自分に押し付けようとしているんだったなと思い出し、更紗はカイトの腕に抱かれたまま、呆れながらため息をついた。

「…… それよりも、カイトまで私達の家族ってどういう事?」
 訝しげに首を傾げるクリシスに、カイトが笑顔を向けた。彼が『言葉通りだろうが』と考えているのが更紗には読み取れたが、クリシスにはわからないみたいだ。

「どういう事って、そのまんまの意味だよー。更紗とボクは相思相愛のオシドリ夫婦なんだから。ね?更紗」

 嬉しそうに微笑み、カイトが更紗の手を取って、手の甲にちゅっと優しくキスを贈った。発言内容は随分事実と異なる気がするのだが、珍しく胡散臭さの感じられぬ瞳と、不覚にもときめいてしまいそうな行為とを同時に向けられ、彼と目が合った更紗の胸がきゅんっと否応無しに高鳴ってしまう。『あ、コレはまずい。すっかり彼のペースに流されてる!』という考えが一瞬頭をよぎったが、カイトの幸せそうな顔を前にするとそんな不安な気持ちがドロッと溶けて消え去ってしまった。

「深く愛し合っていた二人が結婚するのは自然な事だろう?更紗も、そう思うよね」

 二度目の『とっとと同意しろ』の意味を込めた笑顔を向けられ、更紗が硬直する。ここは『うん』と答えるべき流れなのだろうが、その言葉を後押しする記憶も根拠も彼女の中には乏しいせいで返事が即座に出てこない。
「姉さんと…… 結婚?」
 きょとん顔でそう口にしたクリシスだったが、直ぐに「…… あぁ、なるほどねぇ」とこぼし、ふふっと可愛らしい顔で笑った。

(ワタシの気を引こうと随分遠回しな事をしたのね。そんな気味の悪い手段に打って出る気になる程必死だったのかしら)

 経験則で更紗にはクリシスが何を考えているのかが表情だけで読み取れてしまい、彼女の背中に悪寒が走った。わかってしまう考えに対し吐き気までする。どこまでも自己中心的で、世界中から自分だけが愛されていると思い込んで揺るがないその精神にはもういっそ感服するレベルだ。

(ふむ。カイトって瞳は特殊だけど、それ以外の見た目と声はかなり良いのよね。それに、義兄って立場なら男と同居していても世間体的にも悪くないわ。家の中でならカイトに何をさせていようが、聖女っていうレッテルに影響は無さそうだわ…… 。うん、悪くないわね、ふふふっ)

 誰もが不快に感じそうな算段をクリシスが組み上げ、一人で勝手に納得する。コレならカイトも喜ぶし、すぐにでも家に帰れそうだとすっかりご満悦だ。
「なら、二人とも実家に戻って来たらどうかしら。幸い家は広いんだし、家族三人で暮らすなんて最高じゃない?」
 そうなれば、『ワタシを好きなカイトは堂々と一緒に暮らせて幸せだし、姉さんは今まで通り妹の為に尽くし続けられて嬉しいはずだわ!』と考えているのが丸わかりだが、クリシスが身に付けている魔装具のせいで周囲に集まっている人達は、この結婚の報告と家族の再会を、まるでドラマでも観る様な感覚でただただ喜んでいるみたいだ。もちろん、精神作用のある魔装具の効果が及んでいないクルスと七音を除いてだが。

「【え、何それ。気持ち悪い事言わないでくれる?】」

 口元に手を当ててカイトがクリシスを見下し、蔑んだ表情を再度向ける。その瞬間、一気に周囲の反応がガラリと変った。口々に「そうよね、確かに気持ち悪いわ」「普通そんな事言う?」などと、カイトに賛同する言葉を隣同士で言い合っている。

「だって、あんな成金趣味の生家は更紗には似合わないよー。でもそうだな、【あんなの早々に全部売っ払って、そのお金を結婚祝いとしてくれるって言うんなら、喜んで受け取るけどね】」

 普段なら絶対に賛同するはずの無い言葉なのに、「…… そうね、そうしようかしら」とクリシスが小声で呟く。何処か焦点の合わぬ瞳にまたなっていて、更紗はカイトが何かしているんだと確信を持った。

「そうそう。君が求める謝罪もね、更紗にはさせないよ。あの家がボクの更紗にしてきた仕打ちを考えたらさ、むしろ【謝罪は君がするべき行為だよね】」

 幼馴染だと口にするだけあって、どうやらこの男は更紗の育った家庭環境を知っているみたいだ。でもどうして?と不思議に思ったが、不可思議な声質の音が混じる言葉に自分が洗脳されていない事を彼には知られてはいけないと考え、更紗はその疑問を口にはしなかった。

「そうだ!【近日中に全ての財産をボクらに頂戴。そして、君はいつもの様に正体を誤魔化したりはせずに素のままで、生家近くの娼館にでも堕ちればいいよ。鬼畜趣味の奴らに嬉々として輪姦まわされ続けてくれるなら、謝罪を受け入れる事を考えてあげるね。】あぁ、その見た目だったらそこそこ売れるんじゃない?でも、この程度じゃ元エセ聖女の末路としては生ぬるいかな。今だって散々髪や瞳の色を偽って、男共に脚開きまくってるもんねー。【君は聖女じゃなく、売女ってあだ名の方が似合うよ】」

 更紗は『そ、それは流石に!』と思ったが、口を魚みたいにぱくぱくとさせるだけで声が出ない。『考えてあげる』何て言ってはいるが、絶対に微塵も考慮する気なんか無いじゃないかと彼の顔を見ずともわかってしまう。くっくっくと楽しそうに笑う声がすぐ後ろから聞こえ、更紗の体がこわばった。

「あ、【でもお前の顔はもう一生見たく無いから、今後一切ボクらの前には現れないでね】」

 やっぱり!と叫びそうになり更紗は慌てて口を手で塞いだ。娼館に堕として、クリシスが死ぬまで放置する気だ。だが、そんなのいくらなんでもやり過ぎだ。同じ女性であるからこそ、そんな謝罪方法なんか同意出来ない。なのに——

「【更紗も、この謝罪方法で納得だよね】」

 カイトの更紗を抱き締めている腕の力が強くなる。ニタリと笑いながら耳元で言われたこの言葉が強制力のあるものであると音の質感からわかってしまい、魔装具のおかげで彼の言葉には支配されていないにも関わらず、更紗は恐怖から「…… うん」と頷いてしまった。

(こ、このヒトの負の感情が自分に向いたら、私は一体…… ど、ど、どうなるの?)

 折角魔装具で持ち前の抵抗力を高めていても、コレでは全然意味をなさない。結局は彼の言いなりで、毎度不可思議な声を聞くたびに襲われた頭痛状態にならないで済んでいるくらいしかメリットが無い状態だ。

の更紗に『愛してる』だなんて戯言を言わなければ、財産をぶんどるだけで済ませてやったのにな。…… どこまでも馬鹿な女だ」

 低い声でカイトがボソッと呟いた。
「更紗に『愛してる』って言っていいのはボクだけなのにねー」
 更紗の耳に顔を擦り寄せ、そう言った彼の声はもう普段の明るいものに戻っていた。ちゅっちゅっと啄むみたいに彼女の頬へキスまでしだす。どっちが素なのかわからず怖いと思う気持ちと、『愛してる』の言葉に対して嬉しいと思ってしまう気持ちとが彼女の中で大喧嘩をし始めた。

「収入はコレで安定するし、昨日までみたいにまた沢山愛し合えるね、更紗」
「え…… 」
 ベッドの上で散々な目に合った自分の痴態を思い出し、更紗の顔が真っ赤に染まる。そんな彼女の下っ腹を優しく撫で、カイトは「更紗のココに、早くまた戻りたいなぁー。ねぇ、【早く帰ろう?】」

(あ、あぁ、あぁぁぁっ!無理ぃぃ!またあんな抱かれ続けたら、今度こそ腹上死させられるっ)

 心の声は当然叫べず、彼女には強制力の無いカイトの言葉に対し、「——そう、だね」と更紗が青とも赤ともつかない変な顔色で返答する。そんな彼女の様子を後ろから楽しそうな顔で見詰めるカイトは、『オレの言霊はもうお前には効いてないのに、それでも言いなりとか…… 可愛過ぎだろ』と考えていたが、更紗は気が付いていない。
「カサドルさん、#蓮華___れんか#さん。更紗はもう疲れたみたいなんで、ボク達帰りますけど、【別にいいですよね?あ、また明日から一週間程休ませますから。なのでそこいらに居る奴らが更紗の代わりに働いてくれるんで、たっぷりこき使っちゃって下さい】」と言って、更紗の体をひょいっと横抱きにして持ち上げた。

「ええ、わかったわ。しっかり休ませてあげてね」
「おっし!んじゃたっぷり働いてもらうぞーお前ら!」
「了解っす!」

 精肉店の店主である妻の蓮華、夫のカサドルの言葉に対し、周囲に集まっていた人達が楽しそうな声で応えた。
 クリシスはもうこの場から既にふらふらとした足取りで姿を消していて、行き先は弁護士の事務所だったそうだ。訴える為などでは無く、自分の財産を全て姉の更紗に譲る手続きをする為にだ。その後のクリシスの足取りは不明だが、『他県に、聖女扱いされていた女が抱ける店がある』『とんでもなくドMで乱暴に抱いた方が喜ぶらしい』などと、七音達が住むこの街にまで怪しい噂が広がった事からお察しだろう。

 姉の更紗はといえば、愛情の無い家庭で育った弊害か、カイトに『愛してる』と言われ続け、すっかり彼の言葉の鎖でがんじがらめにされているみたいだが…… まんざらでもない様子だったらしいのでコレも一つの愛の形なのだろう。『どんなにあの男の愛情が劇薬であろうが、自分には関係の無い話だ』と、後日精肉店に買い物に行ったクルスは、更紗の様子を見ながら思った。

 一方七音はしばらくの間頭痛に苦しんだが、エルナトに治療してもらえたおかげで夕方には回復したという。『とうとうクルスさんに食われる…… 』と回復直後は暫くヒヤヒヤしていたのだが、『今日は朝から鼻が詰まってて匂いがわからん』とわざとこぼしたクルスの言葉を鵜呑みにして、騙されているとも気付かぬまま、今でも魔装具店で働いている。


【第五章・完】
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