ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

文字の大きさ
上 下
57 / 90

魔の手_3

しおりを挟む
 頭や背中をさすっていた成瀬くんの手が穏やかになって、抱き寄せられていた体を離した。

「もう、大丈夫。……ありがとう、だいぶ落ち着いた」

「うん、でもまだ」

 成瀬くんが私を腕の中に囲うようにした。
 わずかに体が強張った。
 会えて嬉しいはずなのに、素直に喜べないでいる。

 あれから成瀬くんはすぐに戻ってきた。
 険しい表情だったのを和らげ、「もう誰もいない」と。
 でもその前まで誰かはいたと。

 床に1階にある私のポストからとりだしたであろう郵便物やチラシが落ちていた。
 本来ならそこにあるはずもないもの。
 慌てて去ったのか、それともあえてそこに落としておいたかはわからない。
 それが誰かなんて成瀬くんの口を借りなくてもわかりきっていたし、成瀬くんもそうだからだろう。
 ずっと私を安心させるように抱きしめてくれていた。

「……センセ、昨日からメッセ送ってたの、気づいてた?」

 落ち着いてくると、成瀬くんは少し歯切れ悪く口を開いた。

「……気づいてた」

 言葉を飲み込んだような気配が頭の方からした。

「読みたくなかったから」

 疲れと不安と、そして小さな疑いがよみがえってくる。

「なんで?」

 成瀬くんはまゆをひそめて私の顔をのぞき込んだ。

「オレ、けっこう大事な話送ってたんだけど」

 大事な話、と口の中で呟いた。
 その瞬間、成瀬くんと米川さんがキスしていたシーンが強く思い出されて。

 ごめんとか、別れたいとか、そんな言葉がちらついた。
 でもそんなの聞きたくない。

 私と成瀬くんの間は、最初から、年上とか先生と元生徒とかいろんな障害ばかり。
 そんなのわかっててはじめたくせに。

「ごめん、今日は冷静に話せそうにもないから、……帰って」

「なにそれ」

「え?」

「帰れるわけないだろ、あんなに怯えて怖がって、まだあいつが隠れてたらどうすんの?」

「それは……」

「センセ、何、なんでそんなオレ避けるの?」

「避けてなんか」

「避けてんじゃん。昨日だって帰り待っててっていったのに。なんで? オレ無視されるようなことした? 言ってくんなきゃわかんない」

 少し突き放すような私の態度や口調に反応したみたいに、成瀬くんの口調が不満なものに変わった。

「言いたくないことだってあるよ」

「言いたくないこと? ちゃんと言ってよそれ」

「だから言いたくないの」

 子供っぽい自分に気づいていたけど、体も心も相手を気遣う余裕なんてどこにもなかった。

「明日も出勤だからゆっくり休みたいの、帰って」

 重ねて言うと、成瀬くんは「え、マジ意味わかんないんだけど」と乱暴に立ち上がった。
 そしてそのまま部屋を出ていきかけて。

「センセ、まさか間中のとこ戻んの?」

 予想外の言葉に振り返ると、成瀬くんが私の前に戻って表情をこわばらせて見下ろした。

「やっぱ間中がいいわけ?」

「急に、なに言い出すの?」

「だってそうでしょ。メッセは読んでくんないし、いきなり冷たくなるし。だから今日、アポなしで来たんだよ」

 私の前に男子校生みたいに少し足を広げてしゃがみこむと、成瀬くんは相手を追いつめるようにこっちをまっすぐ見据えた。
 ごまかしは許さない、そんな強く激しい目をして。

「別に冷たくしてるわけじゃなくて……」

 たじろいで、少し後ろにいざると、成瀬くんは私の方に手をついて身を前へ乗り出させた。

「それが、センセの出した答え?」

 答えじゃない。
 そんなわけない。

 でも、何を言えばいい?

 唇を噛んで、成瀬くんの視線から逃れるように顔を背けた。

 米川さんに嫉妬してる、なんて言えるわけない。
 女子高生相手に、大の大人が。

 成瀬くんが軽く舌打ちしたように聞こえた。

「そっか、そういうこと。いいよ、なら、こっちに聞くから」

 呟いた成瀬くんがふいにぐっと前に身をつきだすようにして、驚いた私はおされるように体のバランスを崩して後ろに倒れこんだ。

 すぐに成瀬くんは私の両脇に腕と膝をついて、這い出そうとした私をその間に閉じ込めた。
 そして私の手首をすかさず捕まえて床に縫いとめ、上半身を沈ませるようにして顔を近づけ。

 その少し乾いたような唇に、米川さんのことを思い出した。

「や、……い、やっ!」

 思いきり顔を背けた。

「……センセ」

 動きを止めて、本気で拒絶されてると気づいた成瀬くんが呆然としたように私を見下ろしている。
 傷つけたとわかっても、それ以上に私は傷ついた。

「オレ、嫌われること……した?」

「……した」

 成瀬くんが息を飲んだ。

「うそ、何したの、オレ」

 急に泣き出しそうな顔をした成瀬くんのその顔を見たら私の方こそ泣いてしまいそうで、顔を覆った。

「センセ、言ってよ。オレ、……ごめん、全然わかんない」

「わかんない?」

「思い当たんないよ」

「……うそつき」

「うそじゃない、本当に心当たりない。オレ、何したの?」

「したじゃない」

「した? なに?」

「キス」

「……え? センセにすんの、ダメってこと?」

「違う!」

 口にしたくもないのに、話のあまりの通じなさに戸惑ってるばかりの成瀬くんを下から睨みつけた。

「米川さんと」

 成瀬くんが「え? ……米川?」と呟いて。
 そして少し考え込んでから「あー……」と脱力したように私から離れて隣にあぐらをかいて座りこんだ。

「あれ、か……」

「したんじゃない」

 成瀬くんを睨みつけようとして、でもふいに涙があふれた。

 やっぱりという気持ちと、どうしようもないほどの疲労感で、自分のコントロールなんて全然効かない。
 自分ばっかりじたばたして、惨めだった。

「あぁ……そういうことね、ようやくわかった」

 髪の毛をくしゃりと混ぜながら、成瀬くんが俯けていた顔をあげた。
 その表情はさっきと違って明るい。
 抑えきれないような笑みさえ浮かべている。

「ほんっと、センセ、かわいい。オレ死ぬかも」

「……は?」

「学校で、センセにあんなに教え込んだつもりだったけど……足りなかったみたいだね」

「え?」

 何を納得してるのか全然わからなくて戸惑ってるうちに、成瀬くんの手が伸びた。

 あっと思うまもなく唇を塞がれる。

 嫌だと言ったのに。
 強引なそれに、手を突っ張ろうとした。

 でも成瀬くんは有無を言わせず私の両手を片手でまとめあげ、その場に押し倒した。
 それから何度も私の唇を貪るようにキスを繰り返した。
 合間に成瀬くんが呟く言葉さえ聞き取れないほど苦しくて、全身でのしかかられて動けなくて。
 顔を背けようとすれば顎を捉えられた。

「だめ、逃がさない」

 涙がいく筋もいく筋も目尻を伝い落ちた。
 なのに、唇を割って私を絡めとる成瀬くんのキスは、どんどん切なさと激しさを増して、私をのみこんでいく。
 細胞も血も神経もまひしたかのように熱を孕んで、成瀬くんにしがみついていなければ、濃く甘いうねりに流されてしまいそうになる。

 逃れようと身をよじった私に、成瀬くんが困った笑みをかすかに浮かべた。

「……オレにはあなただけなんだけどな」

 小さく呟いた成瀬くんの言葉はあまりよく聞こえなくて。

 代わりに、成瀬くんはまたキスを重ねた。
 さっきほど激しくないのに、それまでと違ってとても優しくて、穏やかで、慰めるようなもの。

 少しずつ呼吸が楽になる。
 でも成瀬くんは私の上からどいてくれず、その重さの分の苦しさは罰のように消え去らない。

「なる、せくん、くるし……」

「蒼。蒼、だよセンセ」

「そ、う……」

「杏」

 全身が震えた。
 低く優しく、そして甘い響き。

 成瀬くんが目尻の涙をそっとすすった。

「こんなの、杏以外にすると思う?」

 ささやかれた。
 また涙があふれそうになって、成瀬くんが苦笑した。

 さっきの涙と違うって伝えたいのに、言葉にならない。

「ねえ杏、ちゃんと自覚してよ。杏が好きなのはオレ。杏はオレのものなの。わかってる?」

 強引な言葉でも、こんな相手を翻弄するばかりのキスでも、成瀬くんを嫌うなんてできない。
 キスだけで、こんなに私を好きだと叫ぶ相手を、どうして嫌いになれる?

「あんまり泣いてると、このままもっと啼かすよ?」

 慌てて頭を振った。
 嗚咽を堪えようとした。

 どうしようもなく感情が抑えられなくて。

 米川さんとのキスのことが辛いのに、直己のあんなに優しい言葉が心を揺らすのに、私の全部がすぐ成瀬くんでいっぱいになってしまう。

 成瀬くんがかすかに笑って、「杏。好き」とささやいた。
 それまで繰り返されたどれよりも柔らかなキスが、私の唇に落ちた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

続・上司に恋していいですか?

茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。 会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。 ☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。 「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。

Honey Ginger

なかな悠桃
恋愛
斉藤花菜は平凡な営業事務。唯一の楽しみは乙ゲーアプリをすること。ある日、仕事を押し付けられ残業中ある行動を隣の席の後輩、上坂耀太に見られてしまい・・・・・・。 ※誤字・脱字など見つけ次第修正します。読み難い点などあると思いますが、ご了承ください。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...