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魔の手
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成瀬くんから届くメッセージを開けないまま出勤すると、彼は急用で欠勤だと朝礼で報告があった。
何を信じればいいのか分からないまま、次の授業の準備のために、準備室へ向かっていた。
前の方の階段から響いてきた女子たちの華やかな笑い声に顔をあげた。
ちょうど通り過ぎる時に彼女たちが会釈したり挨拶してきたりするのに返す。
本当は俯いていたいほどに気分は落ちこんでいるのに、先生という職につけた自分をもっと誇らしく思っていたいのに、今は、この学校に来ることが苦痛とさえ感じる。
「片桐先生」
ふいに後ろから呼びかけられた。
振り返ると、女子の1人が抜け出して、こちらに歩いてくる。
「米川さん」
逃げ出したくなるこっちの気も知らず、眩しいほどの笑みを浮かべている。
できれば、この学校で今一番会いたくないとさえ思ってしまう女子生徒。
生徒なのに、個人的な感情でしか見られなくなってしまった、彼女。
「今日、成瀬先生、お休みですね」
「え? あ、ええ……そうみたいね」
彼女がゆったりと微笑んだ。
見る人が見ればなんてきれいなんだろうと思う。
なのに私を見る目は品定めするように鋭い。
「先生、私、成瀬先生とキスしました」
息を飲みかけ、堪えた。
動揺を抑えて、笑みを作る。
先生としての仮面をはりつける。
でも、なんと返せばいいんだろう。
よかったなんて口が裂けても言いたくない。
不純異性交遊だから、教育実習生だから、なんてどの言葉も意味なんてない。
「成瀬先生、あと少しで教育実習終わりですよね。そしたら、堂々とつきあえると思うんです」
そんな話になっているの?
「米川さんが成瀬先生とどうなろうと私に関係ない話でしょう? ただ前にも言ったように成瀬先生のような教育実習生の立場は学校ではとても弱いものです。それをちゃんと踏まえて行動しなさいね。ーーあなたが、分別ある大人なら」
そう言って、「じゃあ忙しいから」と踵を返した。
「片桐先生!」
さっきより強い口調で呼ばれてまた振り返る。
米川さんの整った顔に笑顔はない。
「なんで、嫌がらせされてんのに学校に言わないんですか?」
予想外の言葉に一瞬意味が分からなくて、それから「あぁ……」と理解する。
あいかわらず私の下駄箱に投げ込まれる中傷のメモやごみ。
朝練で早く登校した生徒がそっと報告してくれる、黒板の非難。
時々3年生の先生から伝わるうわさ。
「言ってほしいの?」
ゆっくり聞き返すと、米川さんが唇をかんだように見えた。
赤系の色つきリップでもつけているらしい唇はみずみずしく、そこに成瀬くんが触れたのだと思うと、本当は目の前のまだ少女の域を出ない相手をなじりたくなる。
彼に近づかないでと。
「そのいい子面がムカつくんです、先生見てると」
「……そう。ごめんなさい、って謝ればいいの?」
少し諦めと呆れの入り混じった言葉に、米川さんのまゆがかすかにつり上がったようだった。
こんな時なのに、怒ると彼女はさらにきれいになるんだなと気づく。
「なんで……なんでそんな平然と……」
悔しげな声に苦笑した。
「たいていは平然と見せなきゃいけない仕事だからよ。嫌がらせされて平気なわけないでしょう? 人間なんだから」
そう言って米川さんの言葉を拒絶するように背を向けた。
準備室へと歩きながら、情けなさや惨めさになんとなく笑いがこみあげてきた。
1人、準備室に入り、ドアを閉める。
口元を抑えながらも、小さな笑いがこぼれて、でも同時に涙があふれた。
教師としての日々。
成瀬くんとの時間。
踏み出した道を後悔なんてしたくないのに、まるでその道はいけないと、誰かに言われ続けているみたいだった。
何を信じればいいのか分からないまま、次の授業の準備のために、準備室へ向かっていた。
前の方の階段から響いてきた女子たちの華やかな笑い声に顔をあげた。
ちょうど通り過ぎる時に彼女たちが会釈したり挨拶してきたりするのに返す。
本当は俯いていたいほどに気分は落ちこんでいるのに、先生という職につけた自分をもっと誇らしく思っていたいのに、今は、この学校に来ることが苦痛とさえ感じる。
「片桐先生」
ふいに後ろから呼びかけられた。
振り返ると、女子の1人が抜け出して、こちらに歩いてくる。
「米川さん」
逃げ出したくなるこっちの気も知らず、眩しいほどの笑みを浮かべている。
できれば、この学校で今一番会いたくないとさえ思ってしまう女子生徒。
生徒なのに、個人的な感情でしか見られなくなってしまった、彼女。
「今日、成瀬先生、お休みですね」
「え? あ、ええ……そうみたいね」
彼女がゆったりと微笑んだ。
見る人が見ればなんてきれいなんだろうと思う。
なのに私を見る目は品定めするように鋭い。
「先生、私、成瀬先生とキスしました」
息を飲みかけ、堪えた。
動揺を抑えて、笑みを作る。
先生としての仮面をはりつける。
でも、なんと返せばいいんだろう。
よかったなんて口が裂けても言いたくない。
不純異性交遊だから、教育実習生だから、なんてどの言葉も意味なんてない。
「成瀬先生、あと少しで教育実習終わりですよね。そしたら、堂々とつきあえると思うんです」
そんな話になっているの?
「米川さんが成瀬先生とどうなろうと私に関係ない話でしょう? ただ前にも言ったように成瀬先生のような教育実習生の立場は学校ではとても弱いものです。それをちゃんと踏まえて行動しなさいね。ーーあなたが、分別ある大人なら」
そう言って、「じゃあ忙しいから」と踵を返した。
「片桐先生!」
さっきより強い口調で呼ばれてまた振り返る。
米川さんの整った顔に笑顔はない。
「なんで、嫌がらせされてんのに学校に言わないんですか?」
予想外の言葉に一瞬意味が分からなくて、それから「あぁ……」と理解する。
あいかわらず私の下駄箱に投げ込まれる中傷のメモやごみ。
朝練で早く登校した生徒がそっと報告してくれる、黒板の非難。
時々3年生の先生から伝わるうわさ。
「言ってほしいの?」
ゆっくり聞き返すと、米川さんが唇をかんだように見えた。
赤系の色つきリップでもつけているらしい唇はみずみずしく、そこに成瀬くんが触れたのだと思うと、本当は目の前のまだ少女の域を出ない相手をなじりたくなる。
彼に近づかないでと。
「そのいい子面がムカつくんです、先生見てると」
「……そう。ごめんなさい、って謝ればいいの?」
少し諦めと呆れの入り混じった言葉に、米川さんのまゆがかすかにつり上がったようだった。
こんな時なのに、怒ると彼女はさらにきれいになるんだなと気づく。
「なんで……なんでそんな平然と……」
悔しげな声に苦笑した。
「たいていは平然と見せなきゃいけない仕事だからよ。嫌がらせされて平気なわけないでしょう? 人間なんだから」
そう言って米川さんの言葉を拒絶するように背を向けた。
準備室へと歩きながら、情けなさや惨めさになんとなく笑いがこみあげてきた。
1人、準備室に入り、ドアを閉める。
口元を抑えながらも、小さな笑いがこぼれて、でも同時に涙があふれた。
教師としての日々。
成瀬くんとの時間。
踏み出した道を後悔なんてしたくないのに、まるでその道はいけないと、誰かに言われ続けているみたいだった。
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