ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

文字の大きさ
上 下
51 / 90

揺れる心_4

しおりを挟む
「はい、じゃあ鎌田くん、ここでの論点を要約してみて」

 指名された男子生徒が不満そうな顔をしながら立ち上がった。
 評論文の章内容についてつかえながらも要旨を述べる生徒に耳を傾けながら机の間を歩き。

 ふいにくらりとした。
 立ちくらみだとわかって、思わずそばの机に手をついた。

「せ――先生、大丈夫?」

 教室がざわりとして、慌てて手を振った。

「ごめん、大丈夫。続けて」

 頭を振って、はっきり視界が戻ってきたのにホッとしつつ教卓の方へ戻った。

「先生、大丈夫っすか」

 指名されていた男子が続けるべきか迷ったふうで聞いた。

「大丈夫。ごめんなさい。授業続けます」

 きっぱりと声を張り、笑顔を見せて、解説をはじめる。

 でも本当は大丈夫ではなかった。
 米川さんたちのいやがらせも、橘先生のセクハラ行為も続いていた。

 どこから見ているのか、どうしてわかるのか、橘先生は私が1人になるのを見計らうように姿を見せて、声をかけてくる時もあればすれ違いざま体に触れてくるようにもなった。
「ちょっとふらついて」と言いながら、ふらついた流れにのせて胸の辺りをかすめるように触ってきた時は、声さえあげられなかった。

 学校は、人の目があるようでものすごく閉鎖的な空間なのだと思い知らされた瞬間。
 何事もなかったかのように立ち去った橘先生を非難することもできず、その場にうずくまった。

 涙がこぼれて、成瀬くんとあんなことをしていなければ、と初めて後悔した。

 同時に、直己の言葉がじわじわと効いてきていた。
 こんな思いをしてまで、私は。

 授業が終わって、保健室に向かいながらため息をついた。
「失礼します」と声をかけて中に入ると、養護教諭の先生が振り向いた。

「片桐先生、どうしました? すごく顔色悪いわ」

「少し、30分ほど休めます?」

 ベッドを指すと、「それは大丈夫だけど、貧血?」と聞いてきた。

「ちょっとめまいがして。少し横になれば平気だと思うので……」

 そう言いながらベッドへと移った。
 養護教諭の先生が「落ち着くと思うから」と、ホットのハーブティーを淹れてくれた。

 甘さとあたたかさに眠気がふわりと私の体を下へ下へと沈み込ませていく。
 ほんの少し眠るだけと思って、でも抗えなかった。

 なんとなく意識が水底から浮かび上がるような浮遊感の中で、邪魔する何かに気づいた。

 かすかに身動ぎして、でもしにくいことに違和感を覚えて、ハッと目を開けた。

 メガネの奥の鋭い、目と合った。
 橘先生。

 目の前に、いた。
 凍りついた。

 悲鳴をあげる前に口を塞がれた。

「先生、こういうふうに無理にされるの、好きですよね……? 成瀬の時、喜んでたじゃないですか……」

 ほとんどのしかかられていて、男の体の重さに抵抗できない。

 恐怖が押し寄せた。
 パニックになった。
 いやだと、助けてと、成瀬くんを呼びたくて、言葉にならない。

 次の瞬間、橘先生の姿が消えた。

「いい加減にしろよ、てめえ!」

 保健室に怒号が響いた。

「やっていいことと悪いことの判別もつかねえのかよ、教師だろ!?」

 カーテンの向こうにいる成瀬くんの声は怒りに染まっている。

「僕は単に片桐先生が心配だっただけだ!」

 震える体でベッドから降りた。
 腰が抜けてしまって、その場にへなへなと座り込んだ。
 低い姿勢のままカーテンを少し開けた。

 床に這いつくばるように転がった橘先生は弾け飛んだらしいメガネを手で探し当てたところだった。
 どうやら成瀬くんが橘先生を背後から引きずり倒したらしい。
 立ち上がりかけた橘先生の胸ぐらを成瀬くんが掴んだ。

「あんた、いっつもこんなことしてんの!?」

「はっ、ばかばかしい! そんなことあるわけないだろう! くだらない!」

 橘先生が目をむいて、成瀬くんを睨みつけた。

「あまり言葉が過ぎると、僕にも考えがある。スマホも返さない、暴力も振るう、言いがかりも甚だしい! どっちが信の置ける相手か、はっきりさせてもいいんだ」

 声をわずかに震わせつつも、橘先生は成瀬くんの手首を掴んで胸ぐらから引き剥がそうとする。

「だいたいなんの証拠があってそんなことが言える? こっちが名誉毀損で訴えたっていいくらいだというのに。なんだったら、そうだな、片桐先生に誘惑されたと言ってもいい。どうする?」

「はぁ? ふざけたこと言ってんなよ! センセがそんなことしてもいないのに、よくそこまで嘘並べられるな!」

「だってそうじゃないか。すでに不適切な行為の疑いで校長に呼び出された新人教師と、ここでの勤務が長い生徒指導の僕と、どっちがどうだろうね?」

「あんた……! クズ野郎……!」

 成瀬くんが吐き捨てるように言ったと同時に、橘先生がカーテンの隙間に座りこむ私を見た。

「ねえ、片桐先生。そうじゃありませんか? 僕はあなたが心配なだけなんですよ。新人の先生にいろいろと気配りしてあげてるだけでこんなふうに疑いをかけられるなんて、僕の方こそ心外です」

 メガネの奥の目が細く、笑ったようだった。

「クッソ教師……!」

「成瀬くん!」

 飛びかかりかけた成瀬くんの名前を、制止するように呼んだ。
 動きを止めた成瀬くんを鼻で笑うようにして、橘先生は「賢明です」と襟元を整えた。
 そしてそのまま何も言わずに保健室を出て行った。

「センセ」

 座りこむ私の前に駆け寄ってきた成瀬くんは、そのまま私を強く抱き寄せた。

「ごめん。もっと早く来るつもりだった」

「だ、大丈夫だから。何もされてない、平気」

 大丈夫と言いたいのに、声が震えた。

 成瀬くんがさらに強く私を抱きしめた。
 その腕がすごく力強くて、私はよけい泣きそうになるのを堪えて、ただ成瀬くんの服を震えがとまらない手でぎゅっと掴んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

続・上司に恋していいですか?

茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。 会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。 ☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。 「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。

Honey Ginger

なかな悠桃
恋愛
斉藤花菜は平凡な営業事務。唯一の楽しみは乙ゲーアプリをすること。ある日、仕事を押し付けられ残業中ある行動を隣の席の後輩、上坂耀太に見られてしまい・・・・・・。 ※誤字・脱字など見つけ次第修正します。読み難い点などあると思いますが、ご了承ください。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...