ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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揺れる心_3

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 部屋の電気をつけると、2人の間のこわばった空気がよけいに部屋をしらじらしくさせて、それをかき消すようにキッチンに向かった。

 いつも私の部屋に来るとそうするように、直己はジャケットを脱いでソファに置き、それから洗面所へと手洗いをしに向かった。
 いつも通りの行動で、いつも通りじゃない私と直己の距離。
 部屋には直己が泊まった時のためのパジャマも歯ブラシもあるし、食器だっていつのまにか2人分揃っている。
 それくらいに、この部屋に直己はなじんでいた。
 私にとってもそれが自然だった。

 でも今、手洗いを済ませてリビングに戻ってきた直己は、かたい表情を崩さない。
 息がつまるみたいに空気が重いのは当然のこと、ソファのそばに佇んだ直己の背中に声をかけるのさえはばかられた。

「……いつから?」

 口を開いた直己の声は怒ってるのではなく、ただ静かだった。

「教育実習で再会して……」

「で、昔の気持ち思いだして、ってわけ?」

「……ごめんなさい」

「杏に頼まれてさ、高校生だった成瀬のこと、けっこう見てきたんだけど……まさかこんなふうに恩を仇で返されると思わなかったよ。オレが今日ここにいなければ、この部屋入れる気だったの?」

「……それは……」

 言葉をつまらせ、でも黙って頷いた。
 直己はため息をついて、目の前のソファにようやく座った。

「あいつ、もうだいぶ前に諦めたと思ってたのに」

「……直己は知ってたの、成瀬くんの気持ち」

「さあね、そうだとしてもどうでもいい。だって、杏がつきあってんのはオレだろ?」

 直己はそう言って、一瞬言いよどんでから、ひと息に続けた。

「それとも、杏、成瀬が好きなの? オレと別れたい?」

 ストレートに聞かれて、言葉を探す。
 成瀬くんは、はっきり直己に向かって自分の気持ちを素直に言ってくれた。
 誰かを傷つけても、もう後悔したくないと。
 その誰かが、直己でも。

 やっぱり素直に答えるのが、私のしなきゃいけないこと。
 それしか道はないのだと息を吸った。

「ごめんなさい。私、……成瀬くんが好き。私も、どうしても、忘れられなかった」

 目の前の直己に頭を下げた。
 声が震えそうになるのを、必死で堪えた。

「わ……」

 たった一言、別れて、という言葉を口にするだけなのに、こんなに重い。
 今さら言い淀む自分が情けなくて、落ち着こうと小さく息を吸って吐いた。

 直己が膝の間で握りしめている自分の手をじっと見ているのが見える。

「わか」
「オレは、杏が好きだよ。結婚も、意識してた」

 私の言葉に被せて直己はそう言い放った。
 決意をくじかれて思わず口をつぐんだ。

 私だってそう思いはじめていた。
 だから直己のお母さんとも会った。
 決して、嫌なんかじゃなかった。

「なあ杏、あの実習の時、成瀬と杏は中途半端な形で終わって、自分たちの気持ちの行き場をなくしてた。だから偶然再会して、その中途半端だったのを単にやりなおして整理したいだけなんじゃないか? それを恋愛と勘違いして」

「勘違い?」

「オレには、そう見える。再会してあの頃の気持ちが蘇るってのはあるだろう。でも、それってちょっと違くないか? ただうまくいかなかったことを、うまくいく形にすることで、それぞれ満足したいだけなんじゃないか? 一時的な感情でさ」

 俯いた。
 私にそんなつもりはない。
 じゃなきゃ、別れようなんて、目の前の人に言えるわけがない。
 ずっと支えてきてくれた、恩人とさえ思える相手なのに。

「……一時的な感情で、こんなこと、言わない」

「でも、盛り上がるってこともあるだろ? つい魔が差すってことも」

 頭を振った。

「違う。違う、直己。もし、成瀬くんが一時的な感情だったとしても、それでも、私は、」

「少し、頭冷やせよ!」

 言い募ろうとした私の言葉を、直己は大きな声で遮った。

「オレは、成瀬があの後、けっこうな数の女とつきあってきたのも知ってる。どれも本気じゃないんだろうなって感じでさ。杏、遊ばれていないって言い切れるか? あいつは、結局杏にフラれた側だろ? その相手を夢中にさせて捨てるかもしれないって、」

「そんな人じゃない!」

「杏、よく考えろよ。実習生だった時もたかだか3週間、そんで今も、1週間? 2週間? そんぐらいの間に、成瀬が杏をだましてないって、なんでわかるんだよ。そんなつきあいの浅い相手に」

「そんなの、だって……」

 涙がこみあげそうになって、唇をかんだ。

 だって、成瀬くんが私を見る目に、私を好きだと言うその声に、触れる手に、キスする唇に、しぐさに、行動に、どれだけの想いがこめられているか。
 あれがすべて偽りなら、私は何を信じればいい?

「……今日は帰る。杏、冷静になって考えるといいよ」

 直己がソファからバッと立ち上がった。

「直己」

「別れたいって言いたいのかもしんないけど、それも本音かどうかちゃんとさ」

 びくりと震えた。
 やっぱり言わんとしていた言葉を、直己はわかってて言わせてくれなかったのだ。

「もう一度よく考えて。オレは杏が好きだから。成瀬とオレと、杏のことをどっちが考えてるか。どっちが幸せにできるのか」

 私の顔を見ることなく、直己はそのままリビングを出ていった。
 玄関のドアがバタンと閉まる音がして、私は疲れたようにその場にへたりこんだ。
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