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不埓な悪戯にはめられて_6
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スマホが震え、メッセージの着信を伝えた。
それが誰からか、すぐに分かった。
事務処理の手を休めて机の下でそっと開くと、やっぱり成瀬くんだった。
「今から30分後、放送室」
30分後となると、21時近くになる。
できれば教員室を出るのは帰る時だけにしたかった。
橘先生が直接訪ねてくることはまだないものの、いつどんな時に現れて「あんなこと」について言われるのか、分からない。
教育実習生の時は、まだ分かりやすかったのだと今にして思う。
彼女たちは、成瀬くんの気持ちを独り占めした私を単純に排除したかっただけだった。
でも今は、橘先生の言う話し合いが分からない。
問題にするなら、もうとっくに総合職員会議にかけられているはずなのに、その様子はない。
その静けさがむしろ不気味だった。
廊下に出て、そっと左右をうかがった。
橘先生の姿がないのを確認して早足で歩き出した。
リノリウムの廊下に響く足音が耳につく。
もう窓の外は闇に落ちていて、窓ガラスにはほとんど自分の顔しか映らない。
決心したこともすでに粉々に砕け散って、なにもかも中途半端な惨めな顔がそこにある。
――もう、やめよう。
その瞬間、そう思った。
放送室で待つ成瀬くんに、もう学校で「あんなこと」はしないと、はっきり言おう。
学校という場所では、会うこともしないと言おう。
やっぱりこれ以上、秘密をつくるわけにはいかない。
教育実習生だったからわかる。
今、一番弱い立場にいるのは、成瀬くんだ。
1階に降りると、準備室や特別教室ばかりが並ぶ廊下はしんとしていた。
ところどころ文化祭の準備のために置かれた資材や道具、完成した看板などが不気味な影をつくっている。
井桁型の校舎の真ん中、中庭に植えられている木々が、まるで人のように見えて怖い。
昨日まで、誰もいない校舎に恐怖なんて感じたことなかったのに。
上履きの底が擦れる音が嫌だった。
放送室が見えてきた時だった。
ふいに棟をつなぐ渡り廊下から黒い影がぬっと現れた。
「ひっ」と息を飲んだ。
生徒も帰って節電のためにところどころ電灯を落とした廊下に立つそのシルエットは、背が高いものの、成瀬くんのものじゃない。
後ずさりした。
「片桐先生」
静かな、ひっそりした声。
「た、橘先生……。お、驚かせないでください」
保健室でのことなんて知らぬふりをした。
「どちらへ?」
「と、特には。み、見回りです」
橘先生が近づいてくる。
逃げたい。
でも橘先生の目的を知らないで、この先もずっと不安と恐怖に駆られるのは嫌だった。
「少し、お話があるんですが」
「な、なんでしょう?」
「できればこんなところではなく、……そこの準備室ででも」
そう言って橘先生は準備室2と札がある教室を促した。
確か社会科の準備室で、地図だの資料が置かれている。
でも2人で狭い個室みたいな準備室に入るなんて冗談でもありえない。
「こ、ここで立ち話的には……」
「それで困るのは片桐先生の方では?」
「言ってる意味がよく分かりません」
「そうですか、なら遠慮する必要ないですね。先生、実習生の成瀬先生と、何をなさってたんですか? ……そう、図書室、で」
目の前が暗くなる。
やはり、気づかれていた。
いつ、どうやって?
あの時誰もいなかった。
廊下にだって。
異常なくらい注意してたし、それは成瀬くんもだった。
黙った私に、橘先生は肯定したと思ったようだった。
そのうっすらとした酷薄な笑みにゾッとする。
「……あんなことを学校でするなんて……片桐先生は見た目と違って、案外……」
ふふ、と楽しげに笑ってるのに、神経質そうな眼鏡の奥の目が怖い。
「言ってる意味、本当に分からないんですが」
とたんに橘先生がさっと近づいてきて、手を伸ばしてきた。
後ずされば、袋小路側の廊下に入り込んでしまう。
慌てて横の廊下に逃げようとした瞬間、後ろから歯がいじめにされた。
悲鳴をあげかけた口を手で塞がれた。
もがいて突き放そうとするのに、思った以上に、強い力で抑え込まれる。
「騒げば、2人のことバラしますよ。いいんですか?」
必死で口元の手を外そうとするうちに、そのまま引きずられた。
準備室に入ろうとしているのに気づいて、必死で暴れた。
橘先生のすねに、かかとがくいこんだ。
「ってえ! 清楚ヅラしやがって、クソビッチが」
汚い罵りと共に豹変した橘先生に前に突き飛ばされ、ドアに激しくぶつかった。
すぐに体勢を立て直さなきゃと分かっていても、衝撃で反応が遅れた。
背中から抱きつかれ、目の前のドアに思い切り押しつけられた。
スカートの中に手が潜り込んだ。
恐怖と強烈な嫌悪感に吐き気さえして、悲鳴をあげた。
その直後、背後で鈍い音が響いて、束縛される力が消えた。
横に逃れるように身をよじらせ、振り返った。
そこにいたのは、息を切らせた成瀬くんだった。
それが誰からか、すぐに分かった。
事務処理の手を休めて机の下でそっと開くと、やっぱり成瀬くんだった。
「今から30分後、放送室」
30分後となると、21時近くになる。
できれば教員室を出るのは帰る時だけにしたかった。
橘先生が直接訪ねてくることはまだないものの、いつどんな時に現れて「あんなこと」について言われるのか、分からない。
教育実習生の時は、まだ分かりやすかったのだと今にして思う。
彼女たちは、成瀬くんの気持ちを独り占めした私を単純に排除したかっただけだった。
でも今は、橘先生の言う話し合いが分からない。
問題にするなら、もうとっくに総合職員会議にかけられているはずなのに、その様子はない。
その静けさがむしろ不気味だった。
廊下に出て、そっと左右をうかがった。
橘先生の姿がないのを確認して早足で歩き出した。
リノリウムの廊下に響く足音が耳につく。
もう窓の外は闇に落ちていて、窓ガラスにはほとんど自分の顔しか映らない。
決心したこともすでに粉々に砕け散って、なにもかも中途半端な惨めな顔がそこにある。
――もう、やめよう。
その瞬間、そう思った。
放送室で待つ成瀬くんに、もう学校で「あんなこと」はしないと、はっきり言おう。
学校という場所では、会うこともしないと言おう。
やっぱりこれ以上、秘密をつくるわけにはいかない。
教育実習生だったからわかる。
今、一番弱い立場にいるのは、成瀬くんだ。
1階に降りると、準備室や特別教室ばかりが並ぶ廊下はしんとしていた。
ところどころ文化祭の準備のために置かれた資材や道具、完成した看板などが不気味な影をつくっている。
井桁型の校舎の真ん中、中庭に植えられている木々が、まるで人のように見えて怖い。
昨日まで、誰もいない校舎に恐怖なんて感じたことなかったのに。
上履きの底が擦れる音が嫌だった。
放送室が見えてきた時だった。
ふいに棟をつなぐ渡り廊下から黒い影がぬっと現れた。
「ひっ」と息を飲んだ。
生徒も帰って節電のためにところどころ電灯を落とした廊下に立つそのシルエットは、背が高いものの、成瀬くんのものじゃない。
後ずさりした。
「片桐先生」
静かな、ひっそりした声。
「た、橘先生……。お、驚かせないでください」
保健室でのことなんて知らぬふりをした。
「どちらへ?」
「と、特には。み、見回りです」
橘先生が近づいてくる。
逃げたい。
でも橘先生の目的を知らないで、この先もずっと不安と恐怖に駆られるのは嫌だった。
「少し、お話があるんですが」
「な、なんでしょう?」
「できればこんなところではなく、……そこの準備室ででも」
そう言って橘先生は準備室2と札がある教室を促した。
確か社会科の準備室で、地図だの資料が置かれている。
でも2人で狭い個室みたいな準備室に入るなんて冗談でもありえない。
「こ、ここで立ち話的には……」
「それで困るのは片桐先生の方では?」
「言ってる意味がよく分かりません」
「そうですか、なら遠慮する必要ないですね。先生、実習生の成瀬先生と、何をなさってたんですか? ……そう、図書室、で」
目の前が暗くなる。
やはり、気づかれていた。
いつ、どうやって?
あの時誰もいなかった。
廊下にだって。
異常なくらい注意してたし、それは成瀬くんもだった。
黙った私に、橘先生は肯定したと思ったようだった。
そのうっすらとした酷薄な笑みにゾッとする。
「……あんなことを学校でするなんて……片桐先生は見た目と違って、案外……」
ふふ、と楽しげに笑ってるのに、神経質そうな眼鏡の奥の目が怖い。
「言ってる意味、本当に分からないんですが」
とたんに橘先生がさっと近づいてきて、手を伸ばしてきた。
後ずされば、袋小路側の廊下に入り込んでしまう。
慌てて横の廊下に逃げようとした瞬間、後ろから歯がいじめにされた。
悲鳴をあげかけた口を手で塞がれた。
もがいて突き放そうとするのに、思った以上に、強い力で抑え込まれる。
「騒げば、2人のことバラしますよ。いいんですか?」
必死で口元の手を外そうとするうちに、そのまま引きずられた。
準備室に入ろうとしているのに気づいて、必死で暴れた。
橘先生のすねに、かかとがくいこんだ。
「ってえ! 清楚ヅラしやがって、クソビッチが」
汚い罵りと共に豹変した橘先生に前に突き飛ばされ、ドアに激しくぶつかった。
すぐに体勢を立て直さなきゃと分かっていても、衝撃で反応が遅れた。
背中から抱きつかれ、目の前のドアに思い切り押しつけられた。
スカートの中に手が潜り込んだ。
恐怖と強烈な嫌悪感に吐き気さえして、悲鳴をあげた。
その直後、背後で鈍い音が響いて、束縛される力が消えた。
横に逃れるように身をよじらせ、振り返った。
そこにいたのは、息を切らせた成瀬くんだった。
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