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正解をなくした答え_5
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容赦ない視線は、針よりももっと鋭くて太く、どこからでも不躾に飛んでくる。
「はい、授業を終わります」
淡々と黒板を消して、教卓の教科書や指導ノートを片付けた。
昨日を境に実習期間2日を残して、私を取り巻く世界はがらりと変わった。
女子からは妬みや嘲りや、苛立ちや好奇心、そして同情。
男子からはあからさまな下心ありの野次や好奇心。
それが一部の生徒だけであっても、他の思春期の生徒たちがそれに影響されないわけがない。
保健室に教育実習生の私を運んだ。
成瀬くんがお姫様抱っこをして、誰の手も断って。
たったそれだけのこと。
なのに、異常なくらい学校中がざわついていた。
それだけ、成瀬くんが、私が思っていたよりもアイドルみたいな存在だったんだと思い知らされている。
ドアから出て行こうとして、華やかな雰囲気の女子生徒たちとすれ違いかける。
その瞬間。
「調子のってんな、ババア」
憎しみさえ混じったささやきが心臓を突き刺していく。
笑いながら通り過ぎていく女子たちのグループの誰が言ったのか。それとも、誰か1人ではなくて、その女子たち全員が言ったのか。
息を殺すようにして教室を出た。
直接的な言葉ならまだ耐えられる。
でも、休み時間にわざわざ私がつめている準備室をのぞきに来る他の学年の生徒もいた。
廊下を歩いてれば、あからさまにからかう声も聞こえた。
くすくすと笑う声や、ひそひそとした陰口や、わざとらしい下世話なネタが、私の背後についてまわる。
なにより、成瀬くんがいるクラスは。
「せんせー、成瀬くん、欠席でーす!」
「フラれてショックで寝込んでまーす!」
「ちっげーよ、保健室で寝てんだよ」
「え、なんで?」
「なんでってやぁだー、先生とヒ・ミ・ツ、の個人レッスンしてたからじゃぁーん。やん、もう、ああん」
1人の男子がしなをつくって腰をくねらせた。
「やだー、男子サイテー!」
嘲笑が渦巻く教室に言葉を失ったまま、教壇に立ち尽くした。
「やめろ、お前ら! 授業中だろうが!」
小林先生が怒鳴った。
「でも成瀬、休んでまーす」
いつもは温厚な小林先生の注意も怒鳴り声も、教室の騒がしさを収拾できないままだ。
「誰かさんのせいで、成瀬、学校来たくないんだって」
「だって二股だもん。そりゃ成瀬泣くよー」
彼氏がいるのに、"うちらの"大好きな成瀬に手を出した。
ホンモノの先生でもないくせに。
そんな言葉が、剥き出しの怒りや嫉妬や憎しみをのせて、何度も何度も、教卓の前に立つ私を刺す。
黙って、教科書を開いた。
「なんとか言いなよ、せーんせー」
誰かの声に、女子たちがくすくすと忍び笑いを漏らした。
授業になんてなるわけがなかった。
教室の後ろで仁王立ちしている小林先生からは、前もって言われていた。
「実習を途中できりあげる、という選択肢もある」と。
それだけは避けたかったのに、でも今、成瀬くんのいない教室は、誰も私の授業なんて受ける気がなかった。
真面目な一部の生徒もほとんど諦めて、勝手に机の上で他の教科の予習や復習、予備校の課題にあててしまっている。
逃げ出すことだけは、したくなかった。
それでも、限界だと思った。
かすかに震える手が教科書を閉じようとした時。
突然、ガァンと物をぶつける激しい音が教室中に響いた。
びりびりとドアにはまる窓が揺れた。
力任せに教室のドアが開けられた音だった。
教室の空気が凍りついた。
不機嫌そのものの表情で、成瀬くんが教室のドアのところに立っていた。無言で入ってくる。
クラスでも目立つ2、3人の女子生徒が立ち上がって、成瀬くんの席に近づいた。
「休むんじゃなかったの?」
成瀬くんが自分の席にどさりと投げやり気味に座った。
すかさず「成瀬、大丈夫?」と髪の長い女子の1人が成瀬くんの顔をのぞき込んだ。
「もう授業はじまってんじゃないの。つうか、廊下の方まで声聞こえてて、マジうっさいんだけど」
成瀬くんは女子たちに目もくれず、それまで聞いたことのないような低く冷たい声で言いながら、教科書やノートを机の上に音を立てて置いた。
話しかけようとしていた女子がたじろいだ。
そのまま成瀬くんは腕を組んでイスに寄りかかると、無言で教科書に視線を落とした。
誰の声も拒絶するかのように。
それまでいろんな方向に向いたり、席を離れて友達の席でかたまっていたりした男子も女子も、気まずげに顔を見合わせ、そろそろと自分の席へと戻り始めた。
イスや机のガタつく音と、机の中からノートや教科書を引っ張り出す音だけが響いた。
私は成瀬くんを見ることもできないまま、小林先生の方を見た。
腕組みをして顔をしかめたまま、先生は小さく頷いた。
手が震えるのを必死で抑えて、もう一度教科書を開いた。
「授業を、始めます」
声が掠れる。
小さく息を吸って吐いた。
結果として、成瀬くんの言葉で教室が授業を始められる状態になっている。
助けてくれたのかな、と期待したくなる心をおしこめた。
そんなわけ、ない。
成瀬くんの真意は分からない。
でもだからこそ、今、私が逃げ出すわけにはいかなかった。
「はい、授業を終わります」
淡々と黒板を消して、教卓の教科書や指導ノートを片付けた。
昨日を境に実習期間2日を残して、私を取り巻く世界はがらりと変わった。
女子からは妬みや嘲りや、苛立ちや好奇心、そして同情。
男子からはあからさまな下心ありの野次や好奇心。
それが一部の生徒だけであっても、他の思春期の生徒たちがそれに影響されないわけがない。
保健室に教育実習生の私を運んだ。
成瀬くんがお姫様抱っこをして、誰の手も断って。
たったそれだけのこと。
なのに、異常なくらい学校中がざわついていた。
それだけ、成瀬くんが、私が思っていたよりもアイドルみたいな存在だったんだと思い知らされている。
ドアから出て行こうとして、華やかな雰囲気の女子生徒たちとすれ違いかける。
その瞬間。
「調子のってんな、ババア」
憎しみさえ混じったささやきが心臓を突き刺していく。
笑いながら通り過ぎていく女子たちのグループの誰が言ったのか。それとも、誰か1人ではなくて、その女子たち全員が言ったのか。
息を殺すようにして教室を出た。
直接的な言葉ならまだ耐えられる。
でも、休み時間にわざわざ私がつめている準備室をのぞきに来る他の学年の生徒もいた。
廊下を歩いてれば、あからさまにからかう声も聞こえた。
くすくすと笑う声や、ひそひそとした陰口や、わざとらしい下世話なネタが、私の背後についてまわる。
なにより、成瀬くんがいるクラスは。
「せんせー、成瀬くん、欠席でーす!」
「フラれてショックで寝込んでまーす!」
「ちっげーよ、保健室で寝てんだよ」
「え、なんで?」
「なんでってやぁだー、先生とヒ・ミ・ツ、の個人レッスンしてたからじゃぁーん。やん、もう、ああん」
1人の男子がしなをつくって腰をくねらせた。
「やだー、男子サイテー!」
嘲笑が渦巻く教室に言葉を失ったまま、教壇に立ち尽くした。
「やめろ、お前ら! 授業中だろうが!」
小林先生が怒鳴った。
「でも成瀬、休んでまーす」
いつもは温厚な小林先生の注意も怒鳴り声も、教室の騒がしさを収拾できないままだ。
「誰かさんのせいで、成瀬、学校来たくないんだって」
「だって二股だもん。そりゃ成瀬泣くよー」
彼氏がいるのに、"うちらの"大好きな成瀬に手を出した。
ホンモノの先生でもないくせに。
そんな言葉が、剥き出しの怒りや嫉妬や憎しみをのせて、何度も何度も、教卓の前に立つ私を刺す。
黙って、教科書を開いた。
「なんとか言いなよ、せーんせー」
誰かの声に、女子たちがくすくすと忍び笑いを漏らした。
授業になんてなるわけがなかった。
教室の後ろで仁王立ちしている小林先生からは、前もって言われていた。
「実習を途中できりあげる、という選択肢もある」と。
それだけは避けたかったのに、でも今、成瀬くんのいない教室は、誰も私の授業なんて受ける気がなかった。
真面目な一部の生徒もほとんど諦めて、勝手に机の上で他の教科の予習や復習、予備校の課題にあててしまっている。
逃げ出すことだけは、したくなかった。
それでも、限界だと思った。
かすかに震える手が教科書を閉じようとした時。
突然、ガァンと物をぶつける激しい音が教室中に響いた。
びりびりとドアにはまる窓が揺れた。
力任せに教室のドアが開けられた音だった。
教室の空気が凍りついた。
不機嫌そのものの表情で、成瀬くんが教室のドアのところに立っていた。無言で入ってくる。
クラスでも目立つ2、3人の女子生徒が立ち上がって、成瀬くんの席に近づいた。
「休むんじゃなかったの?」
成瀬くんが自分の席にどさりと投げやり気味に座った。
すかさず「成瀬、大丈夫?」と髪の長い女子の1人が成瀬くんの顔をのぞき込んだ。
「もう授業はじまってんじゃないの。つうか、廊下の方まで声聞こえてて、マジうっさいんだけど」
成瀬くんは女子たちに目もくれず、それまで聞いたことのないような低く冷たい声で言いながら、教科書やノートを机の上に音を立てて置いた。
話しかけようとしていた女子がたじろいだ。
そのまま成瀬くんは腕を組んでイスに寄りかかると、無言で教科書に視線を落とした。
誰の声も拒絶するかのように。
それまでいろんな方向に向いたり、席を離れて友達の席でかたまっていたりした男子も女子も、気まずげに顔を見合わせ、そろそろと自分の席へと戻り始めた。
イスや机のガタつく音と、机の中からノートや教科書を引っ張り出す音だけが響いた。
私は成瀬くんを見ることもできないまま、小林先生の方を見た。
腕組みをして顔をしかめたまま、先生は小さく頷いた。
手が震えるのを必死で抑えて、もう一度教科書を開いた。
「授業を、始めます」
声が掠れる。
小さく息を吸って吐いた。
結果として、成瀬くんの言葉で教室が授業を始められる状態になっている。
助けてくれたのかな、と期待したくなる心をおしこめた。
そんなわけ、ない。
成瀬くんの真意は分からない。
でもだからこそ、今、私が逃げ出すわけにはいかなかった。
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