ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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正解をなくした答え_4

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 なるべくひとけのない特別教室が多い階を遠回りして職員玄関に向かった。
 一人でも女子生徒に見られたら、どんな目で見られるかと思うと、怖かった。
 見られた後に、どんなふうに噂され、どんなふうに広がっていくのか、怖かった。

 たまにすれ違う人はほとんど先生や事務員で、ちょうど授業中だからか、生徒の姿はほとんど見かけない。
 それでも、その人たちさえ、誰がどこまで、私と成瀬くんのことを知っている?

 してはいけないことをしていた不安は疑いを生んで、疑いはまた別の疑いを呼ぶ。
 秘密を守りきれなかったそのことが、私にのしかかる。

 その時、どこからか話す声が聞こえてきた。
 避ければよかったのに、そうしなかったのは、低いトーンの会話の中に「片桐」という私の名字が出てきたような気がしたから。

 よせばいいのに、あまりに人目を気にしすぎると、逆にどんなふうに自分が噂されたり見られているのか、知りたくなる。傷つくのが分かっていても、把握しておきたくなる。

 ほんの少し、そっちに足を向けた。

 特別教室ばかりでほとんど生徒も先生も必要な時しか通りがからない廊下の奥、生徒たちがサボるのに都合のいい階段の死角。
 彼氏彼女の2人が身を寄せあったり、友達グループがだべったりするにはちょうどいい場所だ。

 近づくにつれて、あまり褒められた内容じゃなさそうなのが聞こえてくる。

「つうかさあ、女教師とか、めっちゃエロくね? 実習生とか珍しいし、おっぱいでかいし」

「そっちの授業も手ほどき、なんて、もうAVまんまじゃん。あの、白いブラウス脱がして、なんて」

「やばい、オレむり。想像しただけで」

「うーわ、真人サイテー。成瀬、見ろ、こいつ妄想でおったててんの。サイテーだサイテー」

 成瀬。
 ならば、女教師というのは。

 知らず、息をつめた。

「うっせーな」

 あからさまに不機嫌さと苛立ちに染まった声は、やっぱり成瀬くんのものだ。

「なんだよ、機嫌悪いな」

「最近つきあい悪いと思ってたら、杏ちゃんとそんな仲になってたなんてさあ、水くせえよ成瀬」

「しょうがねえって。せっかく釣れそうだったエモノがマジ倒れしちゃ、やれるもんもやれないし。来るもの拒まずの成瀬にしちゃ、肩すかしだろ」

 釣れそう。

 エモノ。

 やれる。

 来るもの拒まず。

 足元から悪寒が這い上ってきた。

 気持ち悪い。
 体調がどんどん逆戻りしていく。
 回れ右をしたいのに、両足はまるで釘で廊下に縫いつけられて、動かない。

「なにシカトしてんだよー。なあ、ぶっちゃけどこまでいった? まさかもしかして、もうやったの? なあ、オレにもさ、ちょっとだけ杏ちゃんとやら」

 ふいに騒がしい物音がして、「じ、冗談、冗談だって、マジんなんなよ!」と大きな声がした。

「成瀬、やめろって!」

 さらに鈍いような音が響いて、死角からよろけるように1人の男子生徒が転がるように出てきた。
 半分逃げ腰の彼は、その場に凍りついている私に気づいて「あ、」と口を開いた。
 でもその真っ黄色に染めたツーブロックヘアの男子は、後ろをハッと振り返り逃げ出しかけた。
 その一瞬の間を逃さないというように、その襟首を階段の影から素早くのびた手がつかんだ。

「成瀬、成瀬、ごめんてば! 冗談、冗談だって!」

 背中から廊下の床に引きずり倒された男子に飛びかかるように男子が姿を見せた。

「成瀬! いつものことだろ、真人は!」

 その後から他の男子も慌ててもつれるように出てきて、床の男子に馬乗りになった男子を抑えかけた時、私に気づいた。

「成瀬。杏ちゃん、いる」

 馬乗りになって下になっていた男子の襟をしめあげるように床に押しつけていた、成瀬くんが動きを止めた。

 そして他の男子の目線の先を追うように横に顔を向けた。
 立ち尽くす私に、彼の両目が大きく見開かれた。

 笑おうとした。

 友達の男子たちに私とのこと話したりしたんだ? 先生を落としたって? 成瀬くん、けっこうエグい性格してるね。
 よかった、私も本気じゃなかったし。
 もうすぐ実習も終わるし、とりあえずいろいろマズイから、だから。

 だから、とそう笑い飛ばせばいい。
 なのに、表情の筋肉は強張ったまま。

「……ケンカ、は、」

 思ってもない言葉がこぼれおちた。
 成瀬くんが、立ち上がった。

「センセ」

「やめた、方が……」

 笑うなんて、できるわけない。
 先生の顔で、注意なんてできるわけない。

「……ねえ、どんな気分? ……満足した?」

 成瀬くんが何かを言おうと口を開けた。

 でも今にも泣き出してしまいそうで、それ以上成瀬くんの顔を見ていると自分が惨めで情けなくてパッと踵を返した。

「センセ!」

 成瀬くんの切羽詰まった声が廊下に響いた。
 それから逃げるように、ふらつきそうになる体をおして走り出した。

「ちょ、センセ、待って。違う、センセ!」

 追いかけてこられたら、こんな場面をまた誰かに見られたら。

 からかわれたのを本気でとった、バカな教育実習生。
 ただ退屈しのぎのために利用されただけの相手。

 それが、今の私。

 すうっと冷たい怒りが湧いて、青い色をした冷静さが全身に広がった。
 それが自分に対してなのか成瀬くんに対してなのか、自分でも分からなかった。

「センセ!」

 荒い息遣いとともに、背中から腕をとられた。

「センセ、違う、誤解。オレ、なんも話してない」

「……何が?」

「え?」

「何も、勘違いも誤解もしてない」

 振り返らずにそう言って、成瀬くんに口を挟ませないように早口で続けた。

「忙しすぎて疲れてたんだよね。ちょっと癒されたかったっていうか。かっこよくてモテる相手からそうされて悪い気はしないでしょ? でもいろいろ噂になるのはマズいかな。私、いちおう先生になるためにここに来てるわけだしね。遊んでる場合じゃないって言われたし。これから先生になるための勉強もあるし、就活もしなきゃいけないし。うん、だから、だからさ、成瀬くんも私で遊んでる時間あるなら自分の将来のこと、ちゃんと考えてね」

 ひと息にそこまで言って、振り返った。
 絶句してその場に凍りついている成瀬くんをまっすぐに見ることができない。

 例え、私の誤解だとしても、成瀬くんの友達が気づいてしまったなら、他の人たちは?
 誰にも言えない関係なら、最初から始めるべきじゃなかったのに。
 
 いまさら、それに気づいても、遅い。

「連絡先、消しておいて。私もそうする。それじゃ」

 先生の顔を貼り付けたまま、にっこり笑った。

 泣いた顔なんて絶対見せたくない。
 弱さも悔しさも惨めさも、そして悲しさも、絶対目の前の男子にも、誰にも、見せない。

 成瀬くんの返事を聞く気はないと、また元の廊下を引き返した。
 体調の悪さも目眩も、気分の悪さも必死で押し隠した。
 胸を張って背筋を伸ばして、誰の手も借りないでいいように、歩いた。

 どんなに胸の中で血を流すような叫びをあげていても。
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