ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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正解をなくした答え_2

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 目が覚めると、周りの黄色いカーテンから届く柔らかな光の中にいた。
 それから昨日見たばかりの白茶けた天井が浮かんできて、体にかけられた毛布に気づいた。

 自分がどこにいるのかようやく飲み込んだ。

「先生、起きました?」

 養護教諭の永野先生の穏やかな声がして、カーテンが少し開けられた。

「すみません、私」

「倒れたの覚えてる?」

「はい」

 今は何時で、授業は?
 清掃が終わってはじまる5時間目に、担当クラスがあったはずだ。
 そう焦りながら立ち上がろうとして、また視界が回るような感覚に体が揺れた。

「だめよ、まだ。ボールもあたったんでしょう? おもちゃのだったからたいした影響はないと思うけど、今日はこのまましばらくそこで寝て、早退しなさい。小林先生とも話はしてあるから」

「でも」

「でもじゃありませんよ。昨日ちゃんと眠りました? 教育実習生には時々あるんだけど、頑張りすぎて睡眠削るなんてだめよ。大事な時期なのは分かるけど、体調管理も仕事のうち」

 母親のようなふくよかさと穏やかな雰囲気ながら、永野先生の口調は厳しい。
 本当にその通りで、反論しようもない。

「すみません……」

「謝る相手は私じゃないでしょう」

 苦笑しながら、永野先生は「会議で席を外すけど、ゆっくり寝てなさいね」とカーテンを閉めた。
 そのまま保健室を出ていく音がして、しんと、静まり返る保健室の中に取り残された。
 ボールが当たった額を触ると、少し熱をもっている。

 情けない。
 ため息をついた。

 窓が開けられているのか、校庭から生徒たちの楽しげな声が入ってくる。
 午後の授業に、体育でソフトボールかサッカーでもしてるのか、「そっち行ったー!」と聞こえてくる。

 でもまるで保健室は隔絶された世界みたいで。
 時を刻む時計の音がしている。

 思い出すのは成瀬くんのことばかり。
 引き返した方がいいんじゃないの、と頭の隅で声がする。
 それをシャットダウンするようにぼふんとベッドの上に仰向けに上半身を投げ出した。

 ちょうどその時、ドアを開ける音がした。
 誰かが入ってくる。

 永野先生が戻ってきたのかもしれない。
 それにしてはだいぶ早いなと思いながら、だるい体をおして、きちんと毛布の中に入り直した。

 カーテンの向こうを横切っていく薄い影が見えた。
 てっきり永野先生と思いこんでいたその影のシルエットに違和感を覚えた。

「……センセ?」

「えっ、」と驚いた声を出すと、「入っていい?」とカーテンの向こうから遠慮がちな声がした。
 大丈夫だと言うと、カーテンの隙間から成瀬くんが体を滑り込ませるように入ってきた。

 その表情は、心配と不安の入り混じってかたい。
 
「大丈夫?」

 安心させるように微笑んで頷いた。

 ホッとした顔つきになって、成瀬くんも笑みを浮かべた。
 その素直さがかわいい。

「心配してくれたんだ?」

「そんなの、……当たり前じゃん」

 拗ねた口調で言うと、ベッドの端に腰かけて私をやっぱり心配そうな目で見おろした。

「……痛い?」

「ううん、そっちは全然。原因は貧血だったみたい」

「めちゃびびった」

「ごめんね」

「ほんと、もうへーき?」

「しばらく眠れば大丈夫」

 カーテンに仕切られた小さな空間の中で、成瀬くんは黙って俯いた。
 柔らかな光に包まれる彼は、どことなく所在なげで、ひどく落ち込んでいた。

「……センセが倒れたの、……オレのせい?」

 頭を振った。

「違う。体調管理できなかったの私だから」

 成瀬くんはベッドに横たわる私の手を繋いだ。
 少し冷たい手を、大丈夫だと言葉にせず握り返した。

「でも、ごめん。昨日、強引にいっぱいキスしちゃったし」

 思い出して、顔が熱くなる。

「だ、だから、謝んないでってば。ほら、次の授業、はじまるでしょ。もう行かないと」

 笑いながら言うと、成瀬くんは繋いだ手を自分の口元にもっていって、私の指に軽く唇を触れ合わせた。

「センセの実習、残り少ないじゃん? でも一緒にいたいし、こうして触れてたいし、いろいろ……なんか、オレ、全然余裕ない」

 確かにあと3日で、私は教育実習生じゃなくなる。

 そうしたら、この学校に来ることは、少なくとも教員採用試験に受からない限りない。
 そして、その頃には成瀬くんも、この学校を卒業して、私と進路を違えて……。

 想像すると切なくなって、見たくない未来をかき消すように笑った。

「そんなの成瀬くんだけじゃないよ。余裕なんて私も全然ないしね。さ、ほら授業サボるのはだめ。もう行って」

 手を引き離すと、成瀬くんは小さなため息をひとつついた。

「あとでメッセするから、ゆっくり寝て」

 ぽつりと呟いて、成瀬くんが少し上半身を私の方へ傾けた。
 キスされるのかと思っていたら、私の額に軽く唇をつけただけ。

 ほんの少し残念だけど、優しさに満ちたそのキスに自分が大切にされてるようで嬉しくなる。

「ありがと」と礼を言うと、成瀬くんはかすかに笑って立ち上がり、手を振りつつ保健室を出ていった。

 ミントの爽やかなにおいがわずかに残って、それを抱きしめるように目を閉じた。

 いつか別れたら、成瀬くんのことはきっとミントのすうっとした爽やかさとともに思い出すんだろうと、ふと思った。
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