私がオカルトにハマったわけ

Q作

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狂母に般若を幻視する

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私がオカルト好きになった理由。
その理由のひとつに、「幼い頃から人間の狂気を見過ぎた」というのが有るような気がするんですよ。

以下、家族愛が好き・家族愛を当たり前に信じる人は、読まない方が良いですよ。


私の母がですね、あるカルト団体の熱狂的信者だったんですね。
とにもかくにも、母にとっては、布教活動が人生で最も大事な役目なんです、生きがいなんですよ。
布教活動を辞めてしまえば、すなわち「家庭崩壊」が待っている……

「現在この家庭が平和に保たれているのは、このワタクシの布教活動のおかげなのよ!?」

などと、真剣に思い込んでるような人でありました。

私には5歳下の弟がおります。
この弟が生後一ヶ月~二ヶ月の間、私は〝赤ちゃん育て〟というミッションを母から丸投げされた経験があるんですね。

母は非常に忙しく、早朝4時から〝集会〟に行かねばならないし、朝から夕方までは、布教の為、専業主婦をターゲットにして家庭を訪問&教義本の配布をするという〝超・高尚なミッション〟を、組織から課せられておった訳ですよ。

子育てなんか、やってられないわ。
娘(←※5歳)に任せてしまえばいいわよね。

という考えに至るまでに、時間はかからないわけです。
なぜなら母にとって、人生で一番重要な事は〝布教活動〟だからです。
そして母には、通常では考えられない〝狂気〟というものがあり、私は幼稚園の夏休みの間、その狂気を喰らい続けて、〝自死〟を考えずにはおれない追い詰められた日々を送っていました。

母に課せられた、夏休みのミッションは幅広く、部屋の掃除、台所の洗い物、お米をといで炊飯器にセットする、玄関掃除、洗濯物干し、取り込みとタンス収納、もう色々……。
5歳の女児にはやりきれないような様々な仕事を、朝に早口で命じてきて、そのやり方を 〝全く教えてくれない〟 という狂いっぷりでありました。
当然、出来てない所を鬼のごとく怒鳴り散らかすラストまでがセットです。

「どうすればいいか分からないよ-」

と、困った私は訴えるのですが、

「見りゃわかるやろ?」

というのが母の言い分でしたねえ。

「そのぐらい自分で考えたら分かるやろ?」

という言葉も、母の自慢の武器でした。

「へ?いやいや、教えてくれなきゃ、全然分からへんよ」

などと、こちらから言えば、ジ・エンドなんです。

とにかく私にとって、家庭というのは「サバイバルダンジョン」とか「強制収容所」とか呼ぶにふさわしい、ハードでスリリングな場所であったのですよ。

生後一ヶ月~二ヶ月の弟は、とっても柔らかく、首も据わっておりません。
朝に母が、一本だけ作って残してゆく哺乳瓶のミルク。
これを決められた時間に、弟に少しずつ飲ませるのがが私の夏休みの仕事でしたが、

「ミルク吐いて喉に詰まったら、赤ちゃんは死ぬんやからな?吐かせずに飲ませえよ?」

と母から言われていたので、自分の不手際で弟が死ぬかもしれないと恐怖し、毎回緊張し、ミルクを飲ませる時はホント生きた心地しませんでした。
抱っこの仕方もよく分からなかった。
教えてくれないし、もちろん練習もさせてくれません。

そしてなんと、おむつの付け方も教えてくれないという。

仕方なく、夜に母がおむつ換えしてるのを覗き見て勉強しようとするんですが、「見るな」と怒鳴られるんですよ。

「お願いだからおむつの付け方を教えて欲しい」

と頼んでも、

「そのぐらい自分で考えろ」

と怒鳴られるんです。

……なんなん、コイツ

としか言えないんですが、まあしょうがない。
今から思えば、うちの母というのは、故意に実娘を苦しめて、その優越感に喜びを感じるという「超・屈折系エネルギーバンパイア(悪性メンヘラ)」だったのですね。

まあしょうがない。
子どもとしては、与えられた家庭環境に適応しないと生きてゆけませんので、お母さんと弟のため、必死に頑張る訳ですよ。

しかし、我慢強い私にもついに限界がやってきた。

もう無理だおおお!( ;∀;)

と号泣してしまったんですよ、母の前で。
母が帰ってきたときに、タイミング悪く、弟が泣いていたからです。

「私が帰ってきた時に赤ちゃんが泣いてたら、お前を絶対に許さんからな?」

私は毎日、このように命じられていたので、母が帰る頃には、弟の機嫌を直しておく必要がありました。
しかしその日は、私がどんだけあやしても、なでてあげても、弟は泣き止んでくれなかったんですよ。
そこに母が帰ってきたもんだから、母☆激怒です。
激おこモードの母の前で、五歳の私はとうとう心折れてしまいました。

もう赤ちゃんのお世話なんかできないよー私には難しいよー!( ;∀;)

と言って、泣いてしまったんです。
そしたら母はどうしたか。

無言で私を抱え上げ、ベランダに出て、3階の高さから突き落とそうとしおったのです(゚∀゚)

「泣けば許されると思うんか、ここから落とされたいんか」

とハッキリ言われたので、命の危険を感じた私は、ぐぐうっと口を閉じました。

ここで強調したいのは、自分がやられた事の酷さではないんです。

この時の、母の表情なんですね。
もうマジで、人間の顔では無かったんですよ。
肌は青いぐらいに真っ白で異様に乾いており、目は三角形に角張っていて、白目は真っ赤に充血し、眉毛がありえんぐらいにつり上がっている。
血色を失った唇がグワッ!とひらいて、その中から猿のように全ての歯が剥き出されているんです。

「あ、これは、私のお母さんじゃないぞ」

と、頭のどこかで冷静に思った記憶があります。

「あ、これは、たぶん何かが、お母さんに取り憑いているに違いないぞ」

などと、たんたんと解釈する、もう一人の自分というものが居りました。
死の恐怖&爆裂しそうな心臓の鼓動を感じながら、私は半分冷静に、

「お母さんに取り憑いているモノとは一体なんなのだろう……」

と不思議に魅せられた記憶があるんですね。

悪魔なのかな?
妖怪なのかな?
それとも怖い幽霊の仕業?

いいや、そんなモノではありません。

産後間もない母が、体の回復も待たずに、早朝から夕方まで自転車こいで、カルト活動に精を出していたんです。
心身共に、消耗するに決まっております。
ノイローゼとか精神病とか、今ならいくらでも科学的な解釈は出来ます。

けれども、当時の私にはそんな知識も無くてですね。

バケモンだ……
コイツはバケモンに取り憑かれておるんだ…!(゚∀゚)
私はバケモンと同じ家に住んでるんだあああああ!!

と、真面目に恐怖した覚えがありますねえ。

後に私は、〝般若〟という存在を知り、そのお面の顔が、あのときの母にソックリなのに気づきまして、

コイツの顔の裏には般若が潜んでいるからマジ気をつけよう。

という教訓を自分の中に作り、対外的には「良い家族」をやるものの、心の底では一切母親を信用しないという行動様式を確立させました。

母は人間だったのだろうか。
般若のフリした人間なのか。
それとも人間のフリした般若なのか……。

どうにも、アレを「100パー人間」などとは、私には思えないんですね。

なんでそんな酷い事が出来るのだろう……と不思議で仕方ない部分を、幼い私は、

「コイツは何かに取り憑かれているからだ、だからしょうがないのだ」

と解釈し、ギリギリの所で、心を落ち着かせるしか無かったんです。

だから今でも、オカルトの「憑依ネタ」なんかは、強い興味を持って食らいついてしまいますね。
なかなかに厳しい子ども時代の体験記憶も、現在の趣味嗜好の幅を広げる一助となっており、その経験がなければこの方面への豊かなイマジネーションも得られずつまらん人生になってたかもしれないのです。

母のやった事は全然良くない事だし今でも許せませんが、まあ良かった面もあるよねえ、と、この歳になってようやく思えるようになりました。

暗~い内容なのに、最後まで読んでくださりありがとうございます。
この文章を読んで、心が苦しくなった方は、きっと優しい人だと思います。

「災い転じて福となす」と三回唱えて、ささーっと忘れちゃってくださいね。

ではでは。
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