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第一章 どうやら、異世界に転移したらしい

23. その頃、某帝国内では……魔法バカと、それを利用した男(後編)

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 数か月後の休日の昼間、ザムルバは宮殿内にある裏庭にいた。
 
 狭い地下倉庫では勇者召喚の儀式はできず、魔法陣は魔力を籠めると明るく発光し夜間では目立つため、やむなく日のある時間に屋外で決行することにしたのだ。
 ここは日中でも滅多に人は通らず、巡回の兵士たちの見回りの時間さえ避ければ、ほぼ無人の状況であることは事前に調査済み。
 ザムルバとしては帝都郊外にある人里離れた森で極秘に儀式を行いたかったが、魔物が多く闊歩かっぽする中での呪文の詠唱行為は無防備で危険極まりない。
 魔物との戦闘に使う魔力も惜しかった。

 複雑な魔法陣が大小二つ描かれた半径二メートルほどの紙を地面に広げ、大きい魔法陣の周囲に魔石をいくつも並べる。
 その中心に自分が立ち、呪文を詠唱し魔力を籠めれば儀式は終了。
 召喚に成功すれば、小さい魔法陣の上に勇者が現れるはず。
 ザムルバは期待に胸を膨らませながら召喚儀式を行おうとして、ふと視線に気付く。
 裏庭の木の陰にいたのは、後輩のジノムだった。

「あ~あ、見つかっちゃった。ザムルバ先輩が何をしようとしているのか、こっそり見学していたのに……」

 ジノムはよく仕事をサボってはここで昼寝をしていて、今日もまだ仕事中なのに裏庭に来ていたのだった。
 マズい人物に見つかったと、ザムルバは思った。
 彼の口は羽根よりも軽く、噂話として瞬く間に宮殿中に広まるだろう。
 ザムルバとしては、勇者召喚はするが一目会って話をすればそれで満足で、すぐに元の世界に帰ってもらうつもりなのだ。
 そのための魔法陣はもちろん、魔石も大量に準備済み。
 誰にも知られずこっそりと事を推し進め、ひっそりと終わらせる……いつものように。

「こんな場所でコソコソするってことは、やましい事をするんですよね?」

「やましいことは、何もない。ただ、勇者を召喚して、お帰りいただくだけだ」

 『召喚儀式を取りやめること』と『そのまま構わず続行すること』の二択がザムルバの頭に浮かんだが、彼は後者を選択する。
 勇者さえ帰ってもらえば、召喚した証拠は何も残らない。
 そのあとでジノムがどんな噂を流そうとも、無視することに決めた。

「……はあ? 勇者を召喚なんて、本気で言っていますか?」

「君が信じようと信じまいと、そんなことはどうでもいい。私の邪魔をしないのであれば、見ていても構わない。詳細が知りたければ、この資料を読んでくれ」

 始めから弁明も弁解もする気のないザムルバは、書物から書き取った重要な事項をまとめた資料をジノムへ手渡す。
 急がなければ、次の兵士巡回の時間が来てしまう。
 ジノムへ説明する時間と労力が、非常に惜しかった。

「召喚儀式に巻き込まれたくなければ、離れてくれ」

 そう言うと、ザムルバは呪文の詠唱を始める。
 およそ十分にも及ぶ長い詠唱のあいだに資料へサッと目を通したジノムは、ザムルバが本気であることを理解する。
 もしこれが成功すれば、ザムルバは古の魔法を現代によみがえらせた英雄として一躍有名になるだろう。
 詠唱を終えると間髪入れず魔力を籠め始めたザムルバを、ジノムは黙って見つめる。
 白昼だというのに、魔法陣が光っているのがわかる。
 小さい魔法陣に、一人の姿が映し出された。
 黒髪に黒目の少年。
 この国ではたまに見かける容貌だが、見慣れぬ服装に、異なる世界からやって来る勇者だと理解する。

(本当に、成功しやがった)

 そのとき、ジノムの心に悪魔が囁く。
 気付けば、魔法陣に置かれた魔石を一つ手に取っていた。
 次の瞬間、閃光と共に光の柱が二つに割れ、ジノムの記憶はここで途切れる……


 ◇


 目を覚ましたとき、ジノムは仰向けで倒れていた。
 気を失った時間は二,三分ほどで、すくに起き上がる。
 紙の上には辺りを忙しなく見回すザムルバがいるだけで、勇者の姿はない。

「勇者様は……どちらに行かれたのだ?」

「先輩、儀式は失敗したんですよ」

( ……俺が、邪魔をしたから)

 見えないようにペロッと舌を出したあとザムルバへ顔を向けたが、反応がない。
 彼はただ、足元をボーっと眺めていた。

「……いいや、召喚は成功した。その証拠に、魔法陣が消えている」

 失敗したのであれば、魔力は消費されず魔法陣は残っているはずだとザムルバは断言する。
 先ほどジノムが読んだ資料にも、そう書かれていた。

「急いで捜索しなければ……」

 フラフラと歩き出したザムルバだったが、その場に崩れ落ち気を失う。
 魔力の使い過ぎによる魔力欠乏症だった。

「先輩!」

 ザムルバが死んだのかと一瞬慌てたジノムだったが、彼の呼吸を確認しホッと息を吐く。
 もし、このままザムルバが亡き者となった場合、儀式を意図的に邪魔した自分が殺したことになる。
 過失致死でも、シトローム帝国では場合によっては極刑となる重罪だ。
 事の重大さを認識したジノムは、背筋が寒くなる。
 
「……おまえたちは、このような所で何をしている?」

 それは、ジノムが勇者召喚儀式の物的証拠となるものを回収しているときだった。
 知らぬ間に巡回の時間が来ており、二人は有無を言わせず兵士たちによって連行され、取り調べを受けることとなった。


 ◇◇◇


 ザムルバが目を開けると、そこは宮殿内にある医務室だった。
 長い長い夢を見ていたような気がするが、内容は思い出せない。
 彼が目を覚ましたことに気付いた医官がやって来て、ザムルバは自分が勇者召喚の儀式に巻き込まれ、ひと月もの間意識を失っていたことを聞かされる。

(そうだ、私は召喚儀式を行い、勇者様とお会いする前に倒れたのだったな……)

 医官の話に耳をかたむけながら、ザムルバはぼんやりと思い出していく。
 後輩のジノムに見つかったあと、構わず召喚儀式を強行したところまでは、かろうじて思い出せた。
 それから……

「そういえば、勇者様は見つかったのですか?」

 儀式は成功したはずなのに、なぜか勇者の姿は無かった。
 おそらく何らかの異常事態が発生し、召喚地点がズレたものと思われる。
 もし、魔獣の森に召喚されていたら、たとえ勇者であっても魔法も武器もなく戦うことは危険……
 一瞬にして顔を青ざめさせたザムルバへ、医官は現在国中を極秘に捜索中であることを告げる。

「召喚儀式に成功されたジノム殿が、勇者様の無事を夢で確認されたそうですよ。詳細は機密事項のため私たちには開示されませんが、近いうちに発表があるでしょう。そうなれば、数百年ぶりの快挙だとか。勇者様にお目にかかるのを、皆が心待ちにしているのです」

「ジノムが、召喚儀式に成功した……ですか」

「ザムルバ殿は、たまたま近くを通りかかったのでしょう? 勇者様のお姿を、ジノム殿から聞かれてはいないのですか?」

「勇者様は、たしか黒……」

「黒?」

「い、いえ、残念ながら、私は何も……」

「そうですか……」

 ガッカリした表情を隠しもせず、医官はため息を吐いた。
 
 その三日後、ザムルバは仕事に復帰する。
 休日中に不運にも巻き込まれた事故扱いとなり、ザムルバは宮廷魔導師をクビにはならず、給金も休んでいた分まできちんと支払われたのは幸いだった。


 ◇


 目覚めてから一週間後、仕事を終えたザムルバは、いつものように地下倉庫にいた。
 彼が手にしているのは、『勇者召喚魔法』と書かれた書物。
 召喚儀式前に、箱に入れ元あった場所に埋め戻しておいたものだ。
 ザムルバのもとには、ジノムが毎日のように謝罪に来ていた。
 周囲からは、自分の軽率な行為に巻き込んでしまったことに対するお詫び行脚のように映っただろうが、ザムルバには彼の目的が手に取るようにわかっていた。

「私の夢の話を、知りたかったのだろうな」

 どうやら、自分は眠っている間に勇者の夢を見ていたようで、寝言からジノムはさも自分が見たかのように装い上層部へ報告をしていたらしい。
 実際、何かの夢を見ていた記憶はあるが、今はまったく覚えていないため、彼に話すことは何もない。
 そして、召喚時の記憶は無くしたとも告げてあるが、この件に関しては嘘を吐いた。
 ジノムが勇者召喚儀式を成功させた手柄を横取りしたことについては、ザムルバにとっては至極どうでもよいことだ。
 名声など最初から望んではおらず、それどころか、面倒な役回りを引き受けてくれて有り難いとさえ思っている。

「私には、やらねばならぬことがあるのだ」

 大臣たちの相手よりも、もっと大事なこと。
 自分の身勝手な理由で安易に召喚してしまった勇者を、責任を持って元の世界へ帰す。
 それも、彼が国の捜索に見つかる前にだ。
 ジノムからさりげなく訊き出した情報によると、どうやら上層部は、勇者を数名いる皇女たちのいずれかの配偶者にしようと企んでいるようだ。
 ザムルバは知らなかったが、数百年前にも一度勇者は召喚されており、とてつもない力を持っていたとの伝承が残っているとのこと。
 その子供も力を受け継ぎ、皇帝の片腕として魔物や他国の脅威を打ち払ったとされている。
 とりあえず、勇者が他国への侵略の武器にされないことには安堵したが、それでも、この国に一生留め置かれることになってしまう。
 ザムルバが目にした勇者は、まだ少年のようだった。
 両親も兄弟も妻子もいない自分とは違い、元の世界には残された家族がいるだろう。

「勇者様、この命に代えましても、私があなた様を必ず元いた世界へお返しいたします」

 誓いの言葉を述べると、ザムルバはさっそく作業を始める。
 事前に用意していた資料や送還用の魔法陣は、ジノムに奪われてしまったようで手元になく、もう一度描かねばならない。
 彼はアイテムボックスを持っているが、召喚時に使用する魔力を少しでも温存しようと鞄に入れたことが裏目に出た形だ。
 ザムルバには、一分一秒たりとも無駄にする時間はない。

「願わくば、勇者様が尊敬に値する人物であれば良いのだが……」

 書物の最後のページを見やり、ザムルバはぽつりと呟いた。




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