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5. カフェの再開
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「はあ……緊張した」
版元から帰ってくるなり私が座り込んだのは、自宅ではなくカフェの椅子。
どっと疲れが押し寄せてくる。
精神的疲労で、もう一歩も動けない。
「アハハ! クララは大袈裟だな……ただ、金貨を数枚持って帰ってきただけなのに」
「あなたにとってはそうかもしれないけど、私は違うの!」
帰り際にシルクから渡されたのは、著作物の印税だった。
こんな大金を持ち帰るのは無理です!と即答した私に、シルクは「旦那は、いつも無造作にポケットに突っ込んでいたぞ」と言う。
隣へちらりと視線を向けると、当然とばかりに大きく頷く夫の姿が見える。
無理だときっぱりと言い切ったものの、どう考えても、持ち帰るのは妻である私の役目。
覚悟を決め、震える手で受け取ったのだった。
◇
帰り道に、妻としての初仕事をがんばった自分へのご褒美としてお菓子を買った。
とは言っても、贅沢はできないからクッキーを一枚だけ。
現在無職の私は収入源がないため、叔母が残してくれたわずかな遺産で細々と生活をしている状態だ。
執筆の手伝いが落ち着いたら、エズラに許可を貰って何か仕事を始めるつもり。
お茶とお菓子で一息ついたら、さっそく作品の手直しを始める。
原稿を手に取れないエズラのために、カフェのカウンターやテーブルの上に一枚ずつ並べていく。
エズラはそれを見ながら訂正・修正箇所を口述していき、私が書き留める。
私は新しい用紙に書き直すのだと思っていたが、それは清書するときだけ。
今は、訂正箇所は線を引き以前のものも残しておくのだという。
全体の流れを確認したあと、場合によっては元に戻すこともあるのだとか。
「エズラ、ここは直さないの?」
「そこは、いまの表現のままでいく」
「でも、シルクさんは修正しろって……」
「全部を相手の言う通りに変更するわけじゃない。話し合って、納得してもらうんだ」
へえ、そういうものなんだと思ったところで、ハッとする。
これは、もしかしなくても、もしかするのでは……
「この作品の命運はすべてクララの交渉術にかかっているからな、頼んだぞ!」
やっぱり、聞くまでもなかった。
クララは、俺が隣で話すことを店主へ伝えてくれればいい…のだそうな。
だったら、私はこれから『霊の通訳をします!』と看板を掲げたら仕事になるのでは?なんて冗談も思い浮かぶ。
「……なあ、クララ。ミーサさんのカフェを、再開しないか?」
「えっ?」
それは、何の前置きもない突然の提案だった。
順調にペンを走らせていた私の動きが止まる。
「でも、執筆の手伝いはどうするの?」
「クララさえ良ければ、両立してもらって構わない。それに、執筆の仕事が毎日あるわけではないからな」
エズラの言う通り、彼の筆が乗る日と乗らない日では作業量に天と地ほどの差がある。
読書だけをして一日が終わったことも、何度かあるのだ。
「俺と初めて会った日に、クララはここの掃除をしていただろう?」
「……エズラは、見ていたのね」
「ミーサさんから話は聞いていたけど、クララが実際にどんな子なのか知りたかったんだ……覗き見をして、ごめん」
「謝る必要はないわ。借金の形がどういう人物なのか、債権者が気にするのは当然よ」
私だって、どんな人が来るのかドキドキしていたんだから…と、明るく告げる。
「だから、相手がエズラで本当に良かったと思っているの。だって、借金返済のために人買いに売り飛ばされても文句は言えなかったからね」
「俺も、クララで良かった。まあ、立場を利用していろいろと君に無理強いはしているけど……」
自嘲気味に笑ったエズラは、ぐるりとカフェを見回した。
「この店は、俺にとって大切な憩いの場所だったんだ。他にも、そういう客がたくさんいたと思う」
客席が見渡せるカウンター席の内側に座っていた叔母の姿が、脳裏に浮かぶ。
店はいつも常連客で賑わっており、叔母を中心に皆が楽しそうにやり取りをしていた。
卒業後は私も正式に仲間入りをする予定だったのに、結局叶わなかった。
「俺も含めて、店の再開を待ちわびている人は大勢いる。だから……」
「……わかった。私がどこまでできるかわからないけど、頑張ってみるわ」
せっかく叔母が残してくれたこの店を、このまま廃業してしまうのは忍びない。
そうと決まれば、明日から少しずつ準備を始めていかなければ。
「俺のわがままを聞いてくれて、ありがとう。では、今日貰った金は、開業資金・運転資金・生活費として受け取ってくれ」
「……はい?」
「妻の経営する店に夫が金を出したり、生活費を渡すのは普通だろう?」
エズラは事もなげに、サラッと言い切った。
やはり、彼は良いところのお坊ちゃんなのだとはっきりと確信する。
行為そのものは普通かもしれないけど、この金額は普通じゃありません!!と、声を大にして叫んだ私だった。
◇
数日後、私はカフェを再開させる。
叔母が『客には、のんびり過ごしてほしい』と居心地の良い空間を追及した結果、近所の常連客(主に年配層)に愛される場所となった店。
その遺志を、私もしっかりと継いでいくのだ。
メニューは店を手伝っていたこともあり、以前と同じようなものを提供していく。
店が再開したと知り、近所の常連客が徐々に戻りつつある。
皆が叔母の死を悲しみ、私が受け継いだことを喜んでくれた。
◇◇◇
この日、カフェに来ていたのは、友人で幼なじみのエイミーだった。
私が叔母の店を継いだと聞き、様子を見に来てくれたのだ。
私は、(借金返済のために)エズラと結婚したことを誰にも話していない。もちろん、兄にも。
兄へは、カフェの売り上げから少しずつ返済していくことで債権者と話がついたと、嘘を吐いた。
友人たちへ結婚したと報告をすれば、相手を紹介してと言われるのは明白で、私が債権者と夫婦になったと兄が知れば、無力な自分自身を責めるだろう。
しかし実際は、推し作家の創作の手助けができて、なおかつ、叔母のカフェも再開することができた。
今の私は、とても幸せだ。
◇
「ねえ……エイミー、彼もあなたのことが好きみたいだから、思い切って告白してみたら?」
エイミーの恋愛相談に乗っていた私は、つい言ってしまった。
彼女は、職場の同僚にずっと片思いをしている。
長年付き合いのあるエイミーにも、私が霊視できることは秘密にしていた。
それなのに、彼女の守護霊が私へいろいろと訴えかけてきて黙秘できなくなったのだ。
どうやら守護霊は、思い悩むエイミーを見るに見兼ねたらしい。
まさか、あちらから話しかけてくるとは思わなかったし、霊視でこんな占い師のようなことができるなんて想像もしていなかった。
ただ、二人の話を同時に聞かなければならない私は、ものすごく大変だったけど……
自分の気持ちを告げようと提案した私に半信半疑のエイミーだったが、迷った末に行動を起こす。
そして結果は……晴れて、二人は付き合うこととなった。
私としては、ハッピーエンドで『めでたし、めでたし』で終わったと思っていた。
しかし、物語にはまだ続きがあったのだ。
この話は、その後尾ひれがついた状態で、噂話としてあっという間に友人たちへ広まっていく。
『クララに恋愛相談をすれば、的確な助言がもらえる』『恋愛が成就する』と、他の友人や『友人の友人』もカフェへやって来るようになった。
こうして、私のカフェは、年配の常連客だけでなく、恋愛相談に訪れる若い女性たちからも支持されていくことになる。
版元から帰ってくるなり私が座り込んだのは、自宅ではなくカフェの椅子。
どっと疲れが押し寄せてくる。
精神的疲労で、もう一歩も動けない。
「アハハ! クララは大袈裟だな……ただ、金貨を数枚持って帰ってきただけなのに」
「あなたにとってはそうかもしれないけど、私は違うの!」
帰り際にシルクから渡されたのは、著作物の印税だった。
こんな大金を持ち帰るのは無理です!と即答した私に、シルクは「旦那は、いつも無造作にポケットに突っ込んでいたぞ」と言う。
隣へちらりと視線を向けると、当然とばかりに大きく頷く夫の姿が見える。
無理だときっぱりと言い切ったものの、どう考えても、持ち帰るのは妻である私の役目。
覚悟を決め、震える手で受け取ったのだった。
◇
帰り道に、妻としての初仕事をがんばった自分へのご褒美としてお菓子を買った。
とは言っても、贅沢はできないからクッキーを一枚だけ。
現在無職の私は収入源がないため、叔母が残してくれたわずかな遺産で細々と生活をしている状態だ。
執筆の手伝いが落ち着いたら、エズラに許可を貰って何か仕事を始めるつもり。
お茶とお菓子で一息ついたら、さっそく作品の手直しを始める。
原稿を手に取れないエズラのために、カフェのカウンターやテーブルの上に一枚ずつ並べていく。
エズラはそれを見ながら訂正・修正箇所を口述していき、私が書き留める。
私は新しい用紙に書き直すのだと思っていたが、それは清書するときだけ。
今は、訂正箇所は線を引き以前のものも残しておくのだという。
全体の流れを確認したあと、場合によっては元に戻すこともあるのだとか。
「エズラ、ここは直さないの?」
「そこは、いまの表現のままでいく」
「でも、シルクさんは修正しろって……」
「全部を相手の言う通りに変更するわけじゃない。話し合って、納得してもらうんだ」
へえ、そういうものなんだと思ったところで、ハッとする。
これは、もしかしなくても、もしかするのでは……
「この作品の命運はすべてクララの交渉術にかかっているからな、頼んだぞ!」
やっぱり、聞くまでもなかった。
クララは、俺が隣で話すことを店主へ伝えてくれればいい…のだそうな。
だったら、私はこれから『霊の通訳をします!』と看板を掲げたら仕事になるのでは?なんて冗談も思い浮かぶ。
「……なあ、クララ。ミーサさんのカフェを、再開しないか?」
「えっ?」
それは、何の前置きもない突然の提案だった。
順調にペンを走らせていた私の動きが止まる。
「でも、執筆の手伝いはどうするの?」
「クララさえ良ければ、両立してもらって構わない。それに、執筆の仕事が毎日あるわけではないからな」
エズラの言う通り、彼の筆が乗る日と乗らない日では作業量に天と地ほどの差がある。
読書だけをして一日が終わったことも、何度かあるのだ。
「俺と初めて会った日に、クララはここの掃除をしていただろう?」
「……エズラは、見ていたのね」
「ミーサさんから話は聞いていたけど、クララが実際にどんな子なのか知りたかったんだ……覗き見をして、ごめん」
「謝る必要はないわ。借金の形がどういう人物なのか、債権者が気にするのは当然よ」
私だって、どんな人が来るのかドキドキしていたんだから…と、明るく告げる。
「だから、相手がエズラで本当に良かったと思っているの。だって、借金返済のために人買いに売り飛ばされても文句は言えなかったからね」
「俺も、クララで良かった。まあ、立場を利用していろいろと君に無理強いはしているけど……」
自嘲気味に笑ったエズラは、ぐるりとカフェを見回した。
「この店は、俺にとって大切な憩いの場所だったんだ。他にも、そういう客がたくさんいたと思う」
客席が見渡せるカウンター席の内側に座っていた叔母の姿が、脳裏に浮かぶ。
店はいつも常連客で賑わっており、叔母を中心に皆が楽しそうにやり取りをしていた。
卒業後は私も正式に仲間入りをする予定だったのに、結局叶わなかった。
「俺も含めて、店の再開を待ちわびている人は大勢いる。だから……」
「……わかった。私がどこまでできるかわからないけど、頑張ってみるわ」
せっかく叔母が残してくれたこの店を、このまま廃業してしまうのは忍びない。
そうと決まれば、明日から少しずつ準備を始めていかなければ。
「俺のわがままを聞いてくれて、ありがとう。では、今日貰った金は、開業資金・運転資金・生活費として受け取ってくれ」
「……はい?」
「妻の経営する店に夫が金を出したり、生活費を渡すのは普通だろう?」
エズラは事もなげに、サラッと言い切った。
やはり、彼は良いところのお坊ちゃんなのだとはっきりと確信する。
行為そのものは普通かもしれないけど、この金額は普通じゃありません!!と、声を大にして叫んだ私だった。
◇
数日後、私はカフェを再開させる。
叔母が『客には、のんびり過ごしてほしい』と居心地の良い空間を追及した結果、近所の常連客(主に年配層)に愛される場所となった店。
その遺志を、私もしっかりと継いでいくのだ。
メニューは店を手伝っていたこともあり、以前と同じようなものを提供していく。
店が再開したと知り、近所の常連客が徐々に戻りつつある。
皆が叔母の死を悲しみ、私が受け継いだことを喜んでくれた。
◇◇◇
この日、カフェに来ていたのは、友人で幼なじみのエイミーだった。
私が叔母の店を継いだと聞き、様子を見に来てくれたのだ。
私は、(借金返済のために)エズラと結婚したことを誰にも話していない。もちろん、兄にも。
兄へは、カフェの売り上げから少しずつ返済していくことで債権者と話がついたと、嘘を吐いた。
友人たちへ結婚したと報告をすれば、相手を紹介してと言われるのは明白で、私が債権者と夫婦になったと兄が知れば、無力な自分自身を責めるだろう。
しかし実際は、推し作家の創作の手助けができて、なおかつ、叔母のカフェも再開することができた。
今の私は、とても幸せだ。
◇
「ねえ……エイミー、彼もあなたのことが好きみたいだから、思い切って告白してみたら?」
エイミーの恋愛相談に乗っていた私は、つい言ってしまった。
彼女は、職場の同僚にずっと片思いをしている。
長年付き合いのあるエイミーにも、私が霊視できることは秘密にしていた。
それなのに、彼女の守護霊が私へいろいろと訴えかけてきて黙秘できなくなったのだ。
どうやら守護霊は、思い悩むエイミーを見るに見兼ねたらしい。
まさか、あちらから話しかけてくるとは思わなかったし、霊視でこんな占い師のようなことができるなんて想像もしていなかった。
ただ、二人の話を同時に聞かなければならない私は、ものすごく大変だったけど……
自分の気持ちを告げようと提案した私に半信半疑のエイミーだったが、迷った末に行動を起こす。
そして結果は……晴れて、二人は付き合うこととなった。
私としては、ハッピーエンドで『めでたし、めでたし』で終わったと思っていた。
しかし、物語にはまだ続きがあったのだ。
この話は、その後尾ひれがついた状態で、噂話としてあっという間に友人たちへ広まっていく。
『クララに恋愛相談をすれば、的確な助言がもらえる』『恋愛が成就する』と、他の友人や『友人の友人』もカフェへやって来るようになった。
こうして、私のカフェは、年配の常連客だけでなく、恋愛相談に訪れる若い女性たちからも支持されていくことになる。
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