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1章

0.君と出会うPrologue

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 荒れ果てた広大な領地を目の前に、まだその顔立ちにあどけなさを残した少女――のちに魔女と呼ばれる少女――と、いっぴきの猫が佇んでいた。

『こんなところを開拓しろだなんて、無茶もいいところだな』

 思わず呟いた猫に、ただひとりその声を聞き取ることのできる少女は、ふわりと微笑む。

「そうだね。本当に、兄上には困ったものだよ」

 微笑む少女は、美しかった。
 長い銀の髪に、花の色をした薄紅の唇。
 頬に影を落とす長い睫毛。
 光の加減で碧にも翠にも見える瞳は宝石のように煌めき、覗き込む相手を魅了する。

 整いすぎた造作はいっそ冷たささえ感じさせるものだが、愛猫に頬を寄せるその仕草には親しみを覚えるようないとけなさがある。

「でも、テト。君とならきっとこの地を祖国以上のものにできる確信があるよ」
『そうだな。もう自重する必要もないのだし、好きにやらせてもらおう』

 得意げに口の端を上げる愛猫に、少女は楽しげにくすくすと笑う。

「あんまり、やり過ぎちゃだめたよ」
『心外だな。それは君のほうだろう?』

 愛猫も喉を鳴らして笑う。
 少女の絹糸のような長い髪が、風を受けてきらきらと揺れる。

 ひとりといっぴきは、しばらくの間そうして荒れ果てた大地の向こうから昇ろうとする朝陽を見つめていた。








*****

 意識の海を漂っていた。

 そこはどこまでも広がる無の空間だ。

 音も、時間も、形も、色さえもない、虚無のそら

 どれだけの間、“彼”がその空間を彷徨っていたのか分からない。
 
 眠りに落ちる寸前のようなまどろみの中、はっきりとしない意識のままに、彼はずっとその空間に漂い続けていた。

『……ください』

 ふいにどこか遠くから声が聞こえた。
 ぼやけて、はっきりと聞き取れない妙な声だった。

 思考することすらうまくままならない。そんな状態にも関わらず、”彼”はなぜかその『声』に強く惹かれた。

(誰だ……? あんたはいったい……)

 沈み行こうとする意識を、懸命に集中させる。

 すると何かの網にかかった魚のように、突然彼の意識はその声の元へと引き寄せられた。

『私の……使者よ………………星を……………正しく……………巡らせ…………』

 ようやく聞こえた声に意味を問い返そうとした刹那――、突然の激痛が彼を襲った。

(うあああああああああああああああああ!?)

 まるで、無数の針が身体中に突き刺っているかのような痛み。
 目や鼻や耳――身体中の至る所を突き刺すその慮外の痛みは、魂さえも貫こうとしてるかのようだった。

(この痛みは何だ? そもそも、ここはどこなんだ? なぜ何も分からない? 俺はいったい、誰なんだ……?)

 苦しみと比例するように、まどろんでいた意識が徐々にはっきりと覚醒していく。

 しかし、彼が自己を取り戻したときには、既に痛みは耐えがたいほどになっていた。
 
 このままでは、1日と持たずに命までもが消えるだろう。

『だ……れ、か、たすけ……』

 声は、音にならない。
 
 虚空へと手を伸ばそうとして、手足がないことに気付いた。それどこか何もない。
 
 身体が、ないのだ。

 自分には、何もできない。
 何もできずにこのまま、消滅することしかできない。

(嫌だ……このままなんて、嫌だ……ッ!)
 
 余りにも虚しく、哀しかった。

 何もできないと分かりながらも縋らずにはいられず、必死で虚空へと助けを求める。



 刹那――
 あるはずのない腕が、"何か"に触れた。

(ッ――!?)

 瞬間、温かな何かが、体を包み込む。

 何かが自分を支えてくれている。
 抱き締めてくれている。
 それが余りにも心地よく、彼は心の底からの安堵を覚えた。




(ん? どこだここ)

 気付けば、周囲の気配が一変していた。

 はっと辺りを見渡す。
 そこは見知らぬ森の中だった。
 
 美しかった。
 
 視界を埋め尽くすのは、輝くような葉の緑だ。
 木々から漏れる柔らかい日差しが地面に小さな光の斑点を作っている。

 空気はひんやりとしていて、少し湿り気を帯びているだろうか。
 湿った土と生い茂る草木の、生命感あふれる気配が柔らかに周囲をたゆたっている。

「ねえ、お願い、死なないで」

 ふいに、まだ幼さの残る可愛らしい声が響いた。
 視線を上げると、そこには現実のものとは思えないほどに美しい子供がいた。

(うわ……、何だ、天使か……?)

 宝石のように輝かしい翠眼からは、ぽろぽろと涙の粒が溢れている。
 髪は、銀糸を紡いだようなきらめきで、きらきらと木漏れ日の光を反射して、芸術品のように輝いていた。

「ねえ、何か私にできることはないの? お願い……、何か言って……!」

 その姿はまるで絵画から抜け出したように麗しい。
 それは、この少女の腕に抱かれた自らまでもが、清められたように思える神々しい美しさだった。

(こんな子に看取られるなら、それも悪く無いのかもしれないな……)

 先程からずっと自分を苛んでいる、死の痛み。
 この痛みは、自分という存在が散り散りになろうとする痛みだと、なぜか今の彼にはわかった。

 四方八方から『何か』が圧をかけて自分を押しつぶし――あるいは、中から外へと飛び出そうとしている。
 自分はその入り乱れる圧力に耐えきれず、死にゆくところなのだ。

「ねえ、何か言ってよ! 私にできることなら、何でもするから……!」

(何でも、ね)

 そう思った瞬間――

『……ならば契約を』

 自然と、そんな言葉が出た。
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