遠くのあなたを掴みたい

鹿嶋 雲丹

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第36話 東條先生の静かな攻撃を受ける校長の奥さん

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「突然お邪魔してすみません、私は東條、こちらは松田さくらさん。現在行方不明になっている松田智子さんの娘さんです」
 玄関先で、東條先生に紹介された娘さんが小さくお辞儀をした。
 私は四年前にこの娘さんと会っているはずなのだが、やはり時が経って容姿が変わったからか、初めて会うような気がした。
「どうぞお上がりください……その後、お母様の方はなにか手ががりが見つかりましたか?」
 私は二人をリビングのソファへと案内しながら言った。
 その声が、どこか白白しく聞こえるのは気のせいか。
「どうぞ」
 この二人は、今さら私になにを言うことがあるのだろう?
 あれから、もう四年になる。
 テレビも新聞も、もうどこのメディアもこの子のお母さんの事を取り上げていないのに。
 私は二人に温かな紅茶を差し出し、向かい合う位置のソファに浅く腰掛けた。
 気の毒だとは思っている。
 失踪の理由も生死もわからずにいて。
 だが、時が過ぎるのは止めようがない。
 周りは勝手に新入生だの新社会人だので、毎年溢れかえるのだ。
「今日こちらに伺ったのは、この件に少し進展がみられたからなんです」
「進展? まあ、それは良かった」
 良かったと言いつつ、私の胸は東條先生の言葉にどきっとしていた。
 いったい、なにが……今さらなにが見つかったというのだろう?
「こちらを見てください」
 そう言いながら東條先生がバッグから取り出したのは、かつて私も配っていた尋ね人のチラシだった。
 東條先生はその中の一点を指さした。
 それは、ペンギンを模したキャラクターの持ち手が特徴的な、水色の長傘だ。
「この傘に似ているものを見かけたという情報が入ったんですよ」
 そう言いながらスマートフォンを操作し、東條先生はその画面を私に見せてくる。
「確かに、そっくりですね」
 画面に映し出されていたのは、東條先生の言う通りだった。
 否定する要素がどこにも見当たらない程にそっくりな、ペンギンを模したキャラクターの持ち手。
「これは……いったいどこで、誰が撮影したものなんですか?」
「この画像は匿名で寄せられたものなんですが、場所はA高校付近の廃棄ステーションだそうです。ただ、時期が去年の七月なので、もう現物はないと思いますが」
「そうなんですか……でも、こんな時期にお母さんの傘が捨てられているなんておかしな話ですよね……他の誰かの物の可能性の方が高いんじゃないですか?」
 私は心中でほっと安堵の息を吐いた。
「私、嬉しいんです」
 若々しく可愛らしい声が、東條先生の隣から響いた。
「お母さんがいなくなっちゃったこと、皆、忘れてしまっただろうなって思ってたから」
「そんなこと……」
 胸がズキズキと痛んだ。
 私はさくらさんを直視できなくて、冷めた紅茶が揺れるカップを手に取った。
「私たちは、お母さんのことを忘れてなんていませんよ、諦めないでくださいね」
 私は紅茶を飲み干してから、なんとかさくらさんを見た。
 そのまっすぐな瞳が、戸惑っている私の心に圧をかける。
 そのまま視線を外すと、彼女の膝の上で光るなにかが目に入った。
「そのキーホルダー……」
 私は知らぬ間に呟いていた。
 聞いてしまうの、それを? やめておいた方がいいわ……
 問うことを止める自分を、私は遮った。
 もう、無理だ。
 さくらさんの前で……母を待つ娘さんの前で、私は平常心でいられるはずがない。
 そのキーホルダーには見覚えがあった。
 クローゼットの中に押し込んである、あの黒いビニール袋の中で、だ。
「これ、母の手作りなんです……あまり上手じゃないんですけどね」
 さくらさんは少し照れながら、それを近くで見せてくれた。
 間違いない。少し歪んでいるところまでも同じだ。
「このキーホルダー……お母さんとお揃いで持っていたのかしら?」
 乾いた声が、どこか他人が喋っているもののように聞こえてくる。
「はい。母も同じものを持っていました」
「こちらの情報は、現在はインターネット上から削除されていますが……」
 東條先生が、再びバッグから紙を一枚取り出した。
 A四サイズの折りたたまれた紙が広げられ、私は息を止めた。
「彼女の住んでいる防犯カメラに映っていた、ある女性の特徴です。マンションの住人ではないですし、智子さんが行方不明になった日にしかカメラに映っていませんでした。もしかしたら、この方が智子さんなのかもしれません」
 背の半ばまである、ストレートのロングヘアー。ロング丈の黒いワンピース、黒縁の丸いレンズの眼鏡。
 紙に印刷された女性の特徴が目に入った瞬間に、あの黒いビニール袋の中身がフラッシュバックした。
 長くて艶々している、真っ直ぐな髪の毛……ウィッグと、女性物のバッグにスマートフォン、黒縁の丸いレンズの眼鏡、ローヒールの靴、ロング丈のワンピース……
「大丈夫ですか、奥様? 顔色が真っ青です……私たち、これで失礼しますから、どうぞ横になっておやすみください」
 動けなくなった私に、東條先生が言う。
 この先生は、私の態度からなにかを感じただろうか……いや、もしかしたらすべてを知っていて……あの写真もこの人が?
 私は慌ただしく去っていく二人を見送ることもできず、ただぼんやりと宙を見つめ続けたのだった。
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