遠くのあなたを掴みたい

鹿嶋 雲丹

文字の大きさ
上 下
26 / 46

第26話 進路先に悩むサラちゃん

しおりを挟む
 高校を卒業したらどうしたいのか、具体的に考えなきゃならない。
 それは去年の6月……まだ入ったばかりの高校に、ようやく慣れてきた一年生の個人面談の時に、担任の先生から言われた言葉だった。
 高校の三年間は、あっという間に過ぎてしまう。
 二年生以降に勉強する教科も進路により変わる……とも言われたから、その時の私はほんとうに卒業後のことを考えなきゃって焦った。
 でも、正直早すぎるよね……だって、ついこの間だよ? これで受験勉強から解き放たれたぁって、喜んでたの。
「優斗君は東京の大学を受験するんだっけ……私は専門学校かな……って、専門学校もたくさんあるよねぇ……どうしよう」
 私達はもう、二年生になってしまった。
 毎日メッセージをやり取りしている遠距離恋愛中の彼氏、優斗君の進路は去年の内から聞いていたから知っていた。
 卒業後の未来を描くことは、私にはなかなか難しいことだった。
 リアルの、どことなくたらんとした空気に溺れてしまうと、ほんとうに未来それがやってくるのか疑わしいほどだ。
 私はすっかりそんな調子なのに、ここから遠い福岡に住む優斗君は、高校卒業後のプランを実行するために着実に行動している。
 塾に通っている上、アルバイトまでしているのだ。ほんと、尊敬しちゃう。
「私も優斗君みたいにバイトでもしようかな……」
「いいんじゃないか、世間に出てお金を稼ぐことの大変さを知るのは、大事な社会勉強だと思うぞ」
 リビングのテーブルでぼんやりと呟いた私に、のんびり新聞を読んでいるお父さんが言った。
 今日は土曜日で、お父さんは仕事がお休みだった。
「社会勉強とか、固っ苦しい言い方……ねぇ、お父さんは高校生の時、バイトしてた?」
「してたよ、パン屋さんで」
「パン屋さんかあ……いいかもなあ、パン屋さん……パン美味しい……ご飯ほどじゃないけど」
「パンの種類と値段を覚えるのが楽しかったぞ」
 楽しいだって?
 私は耳を疑った。私は記憶力にものすごく自信がないのだ。
 目の前の新聞の横から、私にそっくりな笑顔が見える。
 ああ、やだやだ、そのぷっくりした頬から顎のライン。
「なんでそんなに嫌そうな顔するんだよ」
 お父さんの表情かおが、途端にムッとしたものに変わる。
 自然と自分の頬に手を当てていた私は、そんなに嫌そうな表情かおをしていただろうか?
「だあってさあ……私もお母さんみたいに、しゅっとした顔が良かったあ……整形したい」
「お前、彼氏いるんだろ? それなのにそんな風に思うのか?」
「だあって、優斗君から顔を褒められたことなんか一度もないもん。服は、かわいいねって言われたことあるけど。もう、それ全部、お父さんのせいだからね!」
 わかってる、これは八つ当たりだ。
「気になるなら、彼氏に顔のことを聞いてみればいいじゃないか」
 お父さんの不機嫌そうな顔が、新聞に隠れて見えなくなった。
「お母さんは、お父さんの顔好きよ。だから、サラの顔も好き。可愛いよ」
 にっこりと笑ったかっこいいお母さんが、白地にピンクの花が咲いているコーヒーカップを手にテーブルにやってきた。
 ふわりと漂ってくるこの甘い香りは……モカブレンドだな。
「だってさ、良かったね、お父さん!」
 からかい半分に言った私の言葉に、お父さんは無言のまま新聞をめくった。
「駅ナカのパン屋さんで働こうかな……あ、でもパンの種類とか覚えられなさそう……ねぇ、お母さんはバイトしてた?」
「ええ、スーパーでしてたわよ。品出しとかレジとかね」
「ああ、スーパーもいいかもしれない……パン屋さんより覚えること少なさそうだし」
「そうでもないわよ。この商品の売り場はどこですか、とかけっこう聞かれたわ。なにかを覚えなくちゃいけないのは、どんなお仕事でも同じよ」
 うん……確かにお母さんの言う通りだよな……自分の好きなものだったら、覚える気になるかな……おにぎり専門店のおにぎりの具とか。
「今はバイト先より、卒業後の進路先を決めないとね。とりあえず、専門学校ってところはブレないんでしょう?」
「うん。あとは職種と学校を決めるだけなんだけど……これがまた難しいんだよなぁ」
「サラ、今決めた進路が絶対じゃない。なんでもそうだけど、やってみなきゃわからないんだから。とことんやってみて違う道を選びたくなったら、その時は違う道を選び直せばいいんだ。あまり気負うなよ」
 言うお父さんの手が、新聞紙の横からにょきっと出てきた。
 そのままコーヒーカップを掴むお父さんの手を、まじまじと見つめる。
 日に焼けて茶色い、大きくて、華奢な手。
 私の手は、色白で小さくてむくむくしている。
 きっと、私を生んでくれたもう一人のお母さんに似ているんだろうな。
「学校の三者面談って、確か明後日だったわよね?」
「うん、明後日の一番最後の枠だよ……時間空くから図書室で時間潰そうっと」
「サラは今、どんな本を読んでるの?」
 私が読書好きなことを熟知しているお母さんが、にこにこしながら聞いてくる。
「えっと……ジェンダーがらみの本……かな? なんか、保健室の先生がアレだからさ」
「アレ……って?」
「男として生まれたけど、心は女なんだって。めちゃくちゃキレイで優しいから、男子からも女子からも懐かれてるよ。私も好きだな、なんかさっぱりしてて」
「へぇ……そんな先生いるのねぇ……名前はなんていうの?」
「林先生。下の名前は優希っていうんだけど、男性でも女性でもアリな名前でラッキーだったって先生笑ってたな」
 ガタリと音を立てて、新聞を手にお父さんが立ち上がった。そして足早に部屋に向かって行く。
「なんだろ急に……今の話、つまんなかったかな?」
 まあ、別にいいけど……とお母さんを見ると、お母さんはコーヒーカップを手に固まっていた。
「あれ……もしかしてお母さん、そういうの反対派? でも、林先生、いい人だよ?」
「そう……そうね、サラがそう感じてるなら、きっとそうなのね……ごめんね、ちょっと珍しい話だから、お母さんびっくりしちゃって」
 ぎこちなく笑うお母さんに、ほんの少しの翳りを感じるのは気のせいか……しまったなあ、時代ねぇって言って笑ってくれるかと思ったのにな。
「大事なのは、ハートだと思うんだけどな」
 コーヒーカップを手に席を立ったお母さんは、私がこぼした一言に一瞬だけ足を止めた後、振り返らずにキッチンに向かって歩いて行く。
 明るくて強い初夏の日差しが、テーブルの上の観葉植物の影をテーブルに作り出していた。
 少しだけ開けた窓から入ってくる風に、影がゆらゆらと揺れる。
 それをぼんやりと見つめながら、私はうっすらと感じたもやもやを頭の片隅に追いやったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

便利屋ブルーヘブン、営業中。~そのお困りごと、大天狗と鬼が解決します~

卯崎瑛珠
キャラ文芸
とあるノスタルジックなアーケード商店街にある、小さな便利屋『ブルーヘブン』。 店主の天さんは、実は天狗だ。 もちろん人間のふりをして生きているが、なぜか問題を抱えた人々が、吸い寄せられるようにやってくる。 「どんな依頼も、断らないのがモットーだからな」と言いつつ、今日も誰かを救うのだ。 神通力に、羽団扇。高下駄に……時々伸びる鼻。 仲間にも、実は大妖怪がいたりして。 コワモテ大天狗、妖怪チート!?で、世直しにいざ参らん! (あ、いえ、ただの便利屋です。) ----------------------------- ほっこり・じんわり大賞奨励賞作品です。 アルファポリス文庫より、書籍発売中です!

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 【連載中】は、短時間で読めるように短い文節ごとでの公開になります。 (お気に入り登録いただけると通知が行き、便利かもです) その後、誤字脱字修正や辻褄合わせが行われて、合成された1話分にタイトルをつけ再公開されます。 (その前に、仮まとめ版が出る場合もある、かも、しれない、可能性) 物語の細部は連載時と変わることが多いので、二度読むのが通です。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...