遠くのあなたを掴みたい

鹿嶋 雲丹

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第20話 東條先生と話し合う林先生

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「きっかけは、一通のメールだったわ……匿名のものだったけど、学年と保護者であることだけは書いてあった」
 訪ねた先の東條先生は、静かに語り始めた。

 東條先生とまったく面識のなかった私は、まずは自分自身の情報を漏れなく伝えた。
 もちろん、私が男性として生まれたものの心は女性のものであることも、だ。
「養護教諭としては珍しいケースね……でもそう言われても、あなたは美人でスタイルのいい女性にしか見えないわ」
「ありがとうございます……お陰様で仲間内の覚えもよくて、東條先生のお住まいを知ることができたのも、そのネットワークの力あってなんです。本当はこんなこと、したくなかったんですけどね……個人情報ですし」
「どうして、私がなにかを知っているとわかったの?」
「東條先生がなにかご存知なのかもしれないと思ったのは、袖机が処分されていたからです。教頭は、私の為に新調したと言っていましたけれどね」
「そう……あの袖机、中を空っぽにして行ったんだけど……すごく警戒しているのね、私のこと。それが逆に疑われる元になったっていうのが皮肉だけど」
 私は、文化祭で教頭の爆弾発言を、その後に発信器で教頭の浮気の事実を掴んだ村上君の話をした。
「その子……村上君はとても行動力のある子なのね……その度胸にも感心するけれど、バレたら大変なことになるわよ……大丈夫かしら?」
 東條先生は、心配そうに表情を曇らせた。
「村上君は立ち回りが上手ですし、もしもの時は私がすべて被りますから大丈夫です。東條先生が気づいたことと、私達が掴んだ情報は同じものでしょうか?」
 私は、あえて傘の話をしなかった。
 これはまた別の……真実が私達の予想通りだったとしたら、重大な事件となってしまう件だ。安易に巻き込みたくはない。
 東條先生は私の問にしばらくの間沈黙し、やがて口を開いた。
「きっかけは、一通のメールだったわ……匿名のものだったけど、学年と保護者であることだけは書いてあった」
「それは、いつ頃の話ですか?」
「去年の六月……個人面談が終わってすぐくらいのことよ。その当時、私は生徒からでも保護者からでも、悩んだらなんでも相談できる専用のメールアドレスを作っていたの。送られてきたメールの内容は、校長から変な話を持ちかけられたっていうものだった……つまり、文化祭の時に教頭が言った『女として斡旋』の部分なんでしょうね……その時の私は、気づけなかったけれど」
「その相談者の方は、身の危険を感じたのでしょうか?」
「いいえ、そこまでではなかったと思うわ……その場で校長に、冗談でしょ? と言ったら、もちろんですよ、と返されたみたいで……でも、目が笑ってなくて怖かったし、また来年になったら、と言われて不信感を抱いた……そんな感じだったわ」
「また来年……ということは、一年の生徒の保護者だったんですね?」
「そうよ……私以外に、こんな経験をされた方はいないですか? って……そんな問いかけで締めくくられていた。私は約十年、あの学校に勤務していたけれど、そんな話は初耳だったのよ」
 東條先生はコーヒーカップに口をつけながら、深いため息をついた。
「これは、校長と保護者のギブアンドテイクの話。一度だけ体の関係を持つ代わりに、子どもの内申点に手心を加えるっていう……これは憶測に過ぎないけれど……校長からこの話を持ちかけられた母親が、我が子の進学で思いつめていた場合、一度だけ我慢すればいいなら、と踏み切ってしまうのではないか……私はそう思ったの」
「もしそうだったとしたら、母親には罪悪感が残りますね。お互いに利を得ていますから、母親自らそれを第三者に相談しようとはしないでしょう。だから、今まで明るみに出なかった」
「そう……だけど、私はこのメールを見てから校長と教頭の行動が気になり始めてしまったの。私のくだらない憶測があたっていたとしたら、校長は相手の方とどこで会うのだろうって……もちろん、連絡先を交換してどこかで会うんだろうとは思ったけれど、学校で……夏休み中の誰もいない学校で会うことも可能だと……」
 東條先生は、気まずそうに俯いた。
「保健室ですか」
 さすがに、一瞬怒りが湧いた。
「疑ってしまった自分が嫌になった……だけど、一度抱いた疑惑は、違うという現実を目の当たりにしなければ晴れない。だから、私はこっそり夏休み中の学校に行った……教員が誰もいない八月の中旬頃に」
「なるほど……東條先生は、その時に見たんですね?」
「そう……知らなきゃ良かったって思いと、怒鳴りつけたい気持ちと……見張り役だったんでしょうね、教頭とばったり会って脅されたわ……わかっていますよね、って」
 私は握った拳に力が入っているのに気がついた。
 今この場にあの二人がいたら、間違いなく殴り飛ばしているだろう。
「さっきも言ったけれど、その行為自体はお互い了承の上のもの……保健室を使ったのは本当に許せなかったけど、私は生徒の為に仕事をしているんだからって自分に言い聞かせた……めちゃくちゃ消毒しまくったわ、保健室の中を」
「東條先生……」
「それでもストレスは溜まったわよ……で、とうとうそれが爆発した原因がもう一つの方の事実。これは、ギブアンドテイクの話じゃないわ」
 言う東條先生の目が放つ光が、深刻さを増した。
 そうか……東條先生は例の件についても、なにかを知ってしまったんだ。
「あの……保護者失踪事件ですか?」
「そうよ……インターネットで検索したら、未だに出てくるわ……私の性格なんでしょうね……一度疑ったことが事実かどうか、確かめたかった」
「まさか、直に聞きに行ったんですか?」
「えぇ、その頃にはもう私は辞める覚悟でいたから……最初は知らない、関係ないの一点張りだった校長が、ぽつりと言ったの」
『私はね、執着されるのが嫌いなんだ。恋愛は刹那の燃え上がりが楽しい。まるで花火みたいに』
「花火……」
「私はその言葉を理解するのに、少し時間がかかった……相手に選ばれてしまった保護者は、嫌々あいつらの思惑通りに動かざるをえなかった……そう思い込んでいたから」
「執着……ということは……」
「ええ、でも憶測なの……なにか証拠があるわけじゃない、すべて私の妄想なのよ……でも、校長が言った言葉は間違いなく本当なのよ……教頭からも、これ以上深入りすればって言われたしね」
 言う東條先生の顔が苦しげに歪んだ。
「生きているのかそうでないのか……どちらにしても、向こうはそういうことが平気でできてしまう人間なんです。東條先生が退職されたのは英断ですよ……悔しかったでしょうが、後は私達が解決します」
「解決って……でも、証拠がなにも……」
「実は一つだけあるんです。村上君は失踪事件当時に配られていた、たずね人のチラシを大事に取っていて……あの子は、ずっと気にかけていたようなんです。そのチラシの中に、特徴のある傘の写真がありました」
「傘……私もそのチラシをインターネットで見たけれど、覚えていないわ」
「持ち手の部分にかなり特徴のある傘で、私は夏休み中に校内を案内された時に、ちらっと見かけたんですけど……村上君は校長と教頭の周りを探っていて、その傘に気がついた……廃棄されるビニール傘と一緒に括られた、その傘に」
「村上君……まさかその傘を」
「いえ、さすがに持ち出しはしなかったようです。ただ、写真は撮っていました」
「あぁ、良かった……じゃあ、それを証拠として警察に届ければ……」
「いえ、まだ証拠をあぶり出すつもりでいます……私も、村上君も」
「えっ……これ以上、まだなにかするつもりなの?」
 私は不安でいっぱいといった体の東條先生を安心させたくて、めいいっぱいの笑顔を作った。
「動かせる駒は、すべて動かすつもりです。美味しい汁を吸ってきた分、存分に味わってもらわなければね……絶望を」
 東條先生の表情は、残念ながら安心した、というものにはならなかった。
 そのどこかぞっとしたような複雑な表情に、私は思わず苦笑してしまったのだった。
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