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第二十四話 巫女王
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目の前に広がるのは、鉛色の荒れた海。
空も同じ色に見えるが、微かに明るく見える。
足元を埋め尽くすほどに咲き誇った黄色い花々が、あの日を思い起こさせた。
まだ姫巫女という立場だった、あの頃。
段々弱っていく母、巫女王の位を早々に継承しなければならないという重責感。それは一年か、一年半以内には、という状況だった。
巫女王は、当時の母の面影を思い出す。
自分の力は、まだそこまで弱ってはいない。
弱っているのは、この島の地下エネルギーを捻じ曲げている力だ。
本来なら、この島はとうに海の藻屑となっている。地盤が弱いのだ。
それを、龍の尾と呼ばれている巨大な岩と、それに捧げる巫女王の力とで抑えつけているのである。
巫女王は自分ができる限りのことをしてきたが、限界が近づいていた。
私一人の力では、もうどうすることもできない。
その脳裏に、兄の厳しい表情が浮かぶ。
自分の力が限界であるように、兄の怒りを抑えるのも限界だった。
現在の姫巫女に、島を救う力はない。それが本人にもわかっているから、余計に痛々しく感じるのだ。
そして、そんな姫巫女に兄の怒りの矛先が向けられるのは明白だった。
もし姫巫女に命の危険が迫るなら、巫女王は兄と刺し違えてでもそれを止める気でいた。
巫女王は海原を見つめ、思いを馳せる。
大切な一人娘は、今頃どうしているだろうか。
ケイの出身地である島国への旅券は、巫女王が手配したものだった。
あの日ケイと出会い、自身が決断したこと。
それを悔いことなど、今までに一度もない。
むしろ、あの日々があったからこそ、これまで人として生きてこられたと思っている。
ケイ……
巫女王は、胸の内でその名を呼び、そっと目を伏せた。
彼が、異国の地で亡くなったことは、なんとなくわかっていた。
肉体を失い、魂のみの存在となったことを感じたからだ。
だが、一度として巫女王の前にその姿を見せたことはない。それが、島に張られた結界のせいであることを、巫女王は知っている。
しかし自分の欲を優先させ、結界を緩めるわけにはいかなかった。
ざん、という波の音が、ふと途切れた。
ハッと巫女王は顔をあげる。
「ケイ……」
そこには、巫女王と出会った当時の、若かりし頃のケイの姿があった。
あの明るく輝く黒い瞳。癖のある黒髪。そして、人懐っこい笑顔。
会いたくて会いたくてたまらなかった、愛しい人の魂。
「やっと、会いにこれたな」
ケイの魂は呟き、巫女王を抱きしめる。
涙が、巫女王の頬を伝った。
「体があれば、最高だったのになぁ」
ケイの言葉に、思わず巫女王は笑ってしまう。
「私には、あなたの魂だけでも充分心が満ちていきます」
そのあたたかさは、巫女王にとって特別なものだった。
「……おれがここに来れているということは、事態はあまり良くないってことだ」
神妙な面持ちで、ケイは言う。それは、巫女王にもわかっていた。
「あの娘は、どうしていますか?」
既にケイが亡くなっているだろうと思いつつも、巫女王は娘をケイが暮らしていた島国に送り出した。
向こうに行きさえすれば、ケイの魂が娘を導いてくれるだろうと思ったのだ。
「おれが育てた、緋亜っていう娘と一緒にいる」
「娘さん……」
「おれと血の繋がりはないんだ。おれの仕事の都合上、役目を引き継いでくれる後継者を育てなきゃならなくてな」
ケイは、緋亜と出会った時の事を思い出していた。
暗い湖の水底に沈んでいく、小さな子ども。
サヤに名前をつけてもらった時の、湯当たりした赤い頬。
あの日から、ケイは緋亜の父とになったのだ。
「いい娘だぞ、緋亜は。それに、おれたちの娘にアオという名をくれた」
「名前を……」
巫女王は表情を輝かせた。
「ありがたいことです。あなたが育てたのですもの、きっと明るい娘さんなのでしょうね、緋亜さんは」
「あぁ……それからな、アオがこの島に戻って来るぞ」
ふと真剣な表情になったケイに、巫女王はハッとした。
「あの娘がここに来るというのですか……あの娘には、自由に生きて欲しいのに!」
座敷牢から出て自由の身になったのも、わずか五年ほど前のことだ。
「アオは向こうで、自分の出自を知ったんだ。自分が、お前の娘であると……おれがそうして欲しいと、緋亜に頼んでおいたから」
お前は、とケイは続ける。
「アオに自由に生きて欲しいと願っているだろうが、それでも、なぜ自分がこの世に生を受けたのかを知る権利はある」
言いながら、ケイは緋亜を思った。
結局あいつの両親のことは、調べてもわからなかったな……
「それに、この島の跡目問題が起きないとも限らない、と思ったからだ。アオは、お前の血を引いてるからな……巫女の力を持っている可能性は極めて高いと、そう思った」
巫女王は、ケイの言葉に額を曇らせた。
アオが生まれながらに持つ力は、この島に必要不可欠なものだった。まさに今こそ、その力が必要とされている。
「ここにアオが来るのは、事実を知ったアオが自分で考えて判断したことだ……それを止めることは、誰にもできない」
「でも、私は……あの子を牢に閉じ込めてきた……いつか自由に生きて欲しいと思いながら、あの娘にずっと寂しい思いをさせてきた……それなのに、今さらあの娘の力に縋ろうだなんて、虫が良すぎます」
泣きそうな表情で言う巫女王の胸が、キリキリと痛んだ。
「それが辛かったのは、アオもだろうが、お前もだろう?」
力をこめてケイは言う。
「そしてその責任は、おれにもある。それを責めるのなら、おれを責めろ」
ケイの力強い眼差しが、悲しみの淵に立つ巫女王の心を捉えた。
「私は、あなたと一緒にあの娘を育てたかった」
巫女王は微笑を浮かべながら、泣いていた。
「……おれもそう思ってるよ。お前と一緒に生きられたら、どれほど幸せだったか……」
ケイはそっと巫女王の頬に触れた。
「今、アオは自由だ。さっきも言ったが、あの娘は自分の意思でここにくる。お前は自分を責めるが……アオはな、めちゃくちゃいい娘だぞ。向こうでの五年間、おれが傍で見守ってきたんだから間違いない」
にっこりと笑って、ケイは巫女王に言った。
「さすが、おれ達の娘だと……誇りに思うよ。お前も、もうすぐアオに会える。あの娘に会いたいだろう?」
「はい、会いたいです……そして、この手に抱いて、話し合いたい」
強い口調の巫女王の言葉に、ケイは頷いた。
「アオも、きっとそう願ってると思う。いいか、絶対に早まるなよ。アオが来るまで、なにがあってもだ」
ケイの言う『早まるな』がどういう意味なのか、即座に巫女王は理解した。
巫女王は、表情を引き締める。
それを確認したケイは柔らかく微笑んで、巫女王から離れていった。
兄の元に急がなくては。
巫女王は黄色の花畑に背を向け、走り始めたのだった。
空も同じ色に見えるが、微かに明るく見える。
足元を埋め尽くすほどに咲き誇った黄色い花々が、あの日を思い起こさせた。
まだ姫巫女という立場だった、あの頃。
段々弱っていく母、巫女王の位を早々に継承しなければならないという重責感。それは一年か、一年半以内には、という状況だった。
巫女王は、当時の母の面影を思い出す。
自分の力は、まだそこまで弱ってはいない。
弱っているのは、この島の地下エネルギーを捻じ曲げている力だ。
本来なら、この島はとうに海の藻屑となっている。地盤が弱いのだ。
それを、龍の尾と呼ばれている巨大な岩と、それに捧げる巫女王の力とで抑えつけているのである。
巫女王は自分ができる限りのことをしてきたが、限界が近づいていた。
私一人の力では、もうどうすることもできない。
その脳裏に、兄の厳しい表情が浮かぶ。
自分の力が限界であるように、兄の怒りを抑えるのも限界だった。
現在の姫巫女に、島を救う力はない。それが本人にもわかっているから、余計に痛々しく感じるのだ。
そして、そんな姫巫女に兄の怒りの矛先が向けられるのは明白だった。
もし姫巫女に命の危険が迫るなら、巫女王は兄と刺し違えてでもそれを止める気でいた。
巫女王は海原を見つめ、思いを馳せる。
大切な一人娘は、今頃どうしているだろうか。
ケイの出身地である島国への旅券は、巫女王が手配したものだった。
あの日ケイと出会い、自身が決断したこと。
それを悔いことなど、今までに一度もない。
むしろ、あの日々があったからこそ、これまで人として生きてこられたと思っている。
ケイ……
巫女王は、胸の内でその名を呼び、そっと目を伏せた。
彼が、異国の地で亡くなったことは、なんとなくわかっていた。
肉体を失い、魂のみの存在となったことを感じたからだ。
だが、一度として巫女王の前にその姿を見せたことはない。それが、島に張られた結界のせいであることを、巫女王は知っている。
しかし自分の欲を優先させ、結界を緩めるわけにはいかなかった。
ざん、という波の音が、ふと途切れた。
ハッと巫女王は顔をあげる。
「ケイ……」
そこには、巫女王と出会った当時の、若かりし頃のケイの姿があった。
あの明るく輝く黒い瞳。癖のある黒髪。そして、人懐っこい笑顔。
会いたくて会いたくてたまらなかった、愛しい人の魂。
「やっと、会いにこれたな」
ケイの魂は呟き、巫女王を抱きしめる。
涙が、巫女王の頬を伝った。
「体があれば、最高だったのになぁ」
ケイの言葉に、思わず巫女王は笑ってしまう。
「私には、あなたの魂だけでも充分心が満ちていきます」
そのあたたかさは、巫女王にとって特別なものだった。
「……おれがここに来れているということは、事態はあまり良くないってことだ」
神妙な面持ちで、ケイは言う。それは、巫女王にもわかっていた。
「あの娘は、どうしていますか?」
既にケイが亡くなっているだろうと思いつつも、巫女王は娘をケイが暮らしていた島国に送り出した。
向こうに行きさえすれば、ケイの魂が娘を導いてくれるだろうと思ったのだ。
「おれが育てた、緋亜っていう娘と一緒にいる」
「娘さん……」
「おれと血の繋がりはないんだ。おれの仕事の都合上、役目を引き継いでくれる後継者を育てなきゃならなくてな」
ケイは、緋亜と出会った時の事を思い出していた。
暗い湖の水底に沈んでいく、小さな子ども。
サヤに名前をつけてもらった時の、湯当たりした赤い頬。
あの日から、ケイは緋亜の父とになったのだ。
「いい娘だぞ、緋亜は。それに、おれたちの娘にアオという名をくれた」
「名前を……」
巫女王は表情を輝かせた。
「ありがたいことです。あなたが育てたのですもの、きっと明るい娘さんなのでしょうね、緋亜さんは」
「あぁ……それからな、アオがこの島に戻って来るぞ」
ふと真剣な表情になったケイに、巫女王はハッとした。
「あの娘がここに来るというのですか……あの娘には、自由に生きて欲しいのに!」
座敷牢から出て自由の身になったのも、わずか五年ほど前のことだ。
「アオは向こうで、自分の出自を知ったんだ。自分が、お前の娘であると……おれがそうして欲しいと、緋亜に頼んでおいたから」
お前は、とケイは続ける。
「アオに自由に生きて欲しいと願っているだろうが、それでも、なぜ自分がこの世に生を受けたのかを知る権利はある」
言いながら、ケイは緋亜を思った。
結局あいつの両親のことは、調べてもわからなかったな……
「それに、この島の跡目問題が起きないとも限らない、と思ったからだ。アオは、お前の血を引いてるからな……巫女の力を持っている可能性は極めて高いと、そう思った」
巫女王は、ケイの言葉に額を曇らせた。
アオが生まれながらに持つ力は、この島に必要不可欠なものだった。まさに今こそ、その力が必要とされている。
「ここにアオが来るのは、事実を知ったアオが自分で考えて判断したことだ……それを止めることは、誰にもできない」
「でも、私は……あの子を牢に閉じ込めてきた……いつか自由に生きて欲しいと思いながら、あの娘にずっと寂しい思いをさせてきた……それなのに、今さらあの娘の力に縋ろうだなんて、虫が良すぎます」
泣きそうな表情で言う巫女王の胸が、キリキリと痛んだ。
「それが辛かったのは、アオもだろうが、お前もだろう?」
力をこめてケイは言う。
「そしてその責任は、おれにもある。それを責めるのなら、おれを責めろ」
ケイの力強い眼差しが、悲しみの淵に立つ巫女王の心を捉えた。
「私は、あなたと一緒にあの娘を育てたかった」
巫女王は微笑を浮かべながら、泣いていた。
「……おれもそう思ってるよ。お前と一緒に生きられたら、どれほど幸せだったか……」
ケイはそっと巫女王の頬に触れた。
「今、アオは自由だ。さっきも言ったが、あの娘は自分の意思でここにくる。お前は自分を責めるが……アオはな、めちゃくちゃいい娘だぞ。向こうでの五年間、おれが傍で見守ってきたんだから間違いない」
にっこりと笑って、ケイは巫女王に言った。
「さすが、おれ達の娘だと……誇りに思うよ。お前も、もうすぐアオに会える。あの娘に会いたいだろう?」
「はい、会いたいです……そして、この手に抱いて、話し合いたい」
強い口調の巫女王の言葉に、ケイは頷いた。
「アオも、きっとそう願ってると思う。いいか、絶対に早まるなよ。アオが来るまで、なにがあってもだ」
ケイの言う『早まるな』がどういう意味なのか、即座に巫女王は理解した。
巫女王は、表情を引き締める。
それを確認したケイは柔らかく微笑んで、巫女王から離れていった。
兄の元に急がなくては。
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