46 / 53
第二章 汐里と亮太
第16話 亮太と亮一 過去
しおりを挟む
「龍彦! やめないか!」
私は幼い亮太にものを投げつけようとする龍彦の腕を掴んだ。
まだ1歳半の亮太はわんわん泣いている。
早くお逃げ。
亮太の前に立とうとした亮一に、素早く目で合図した。
亮一は動けずにいる幼い亮太を抱き抱え、足早に去っていく。
「離せ、くそ親父っ! ……あいつさえ……あいつさえ生まれてこなけりゃ……」
またその台詞か……それに、いつもの深酒の匂い。
「龍彦、いい加減にしろ! そんなことを言ったら亮太が可哀想だろうが!」
「もういい! こんな家、出てってやる!」
心配と怯えがにじみ出ている妻の横を乱暴に通り過ぎ、龍彦は出ていった。
バンッという大きな音は、玄関の扉が閉まる音だ。それと同時に、妻がヘナヘナと床に座り込んだ。
その横に屈み込みながら、私は過去を思い出す。
本当に、亮子さんは龍彦の心の支えだった。
※※※※※
『次も男の子ですって! 亮一、弟だよ~、良かったねぇ!』
亮子さんは大きくなり始めたお腹をさすりながら、満面に笑顔を浮かべていた。
そこにいるだけでパッと周りが明るくなるような、そんな可愛らしい嫁だった。
『ほんとに⁉ やったあ、僕ね、ほんとは嫌だけどワルモノの役やってあげるんだ! だって僕、お兄ちゃんだから!』
当時もうすぐ5歳になる亮一は、亮子さんにくっつきながら、嬉しそうにはしゃいでいた。
『えらいなあ、亮一は……お父さんは3人でキャッチボールするのが楽しみだ!』
『皆気が早いねぇ……あら、喜んでるのかしら、ムニュムニュしてる』
『えっ⁉』
亮一と龍彦は代わる代わる亮子さんのお腹に耳をつけていた。
※※※※※
なんて微笑ましい光景だろう。
あの頃を思いだすと、いつも胸が苦しくなる。
私は妻の傍らに座り込みながら、畳をじっと見つめていた。
神様は、残酷だ。
こんな困難、あの気の弱い龍彦に乗り越えられるわけがない。
「二人を呼んでくる……」
私は妻が落ち着きを取り戻したのを確認してから、二人の孫の元に向かった。
二人は押し入れの中にいた。
龍彦が暴れると、いつも決まって二人はこの押し入れに隠れる。
私は押し入れのふすまをノックしようとする手を止めた。
中から、こそこそと話をする声が聞こえてきたからだ。
「悪いことは、ずっとは続かないんだって、亮太……だから、お父さんもいつか優しいお父さんに戻るよ……一緒に待とうね……大丈夫、亮太には兄ちゃんがついてるから」
涙が出た。
止めようとしたけれど、私にはどうしても止められなかった。
おそらく、どんなに時が経っても龍彦は変わらないだろう。
亮子さんを失ってしまった穴は、君達では塞ぐことができないんだ……
もちろん、父である私にも……
亮一には、亮子さんが生きていた頃の、龍彦と3人で過ごしていた記憶がある。
だからこそ、まだ幼い1歳半の弟に語るのだ。
父である龍彦が、昔のように優しい父親に戻るのを待とうと。
亮太は、まだよく理解できないだろう。
亮一が語るその言葉は、亮一自身を励ます為でもあるような気がした。
私は呼吸を整え、ふすまをノックした。
「あっ、おじいちゃん……」
見れば、亮太は亮一の膝で眠っていた。
私は思わず亮一の頭を抱きしめた。
まだまだ小さい、亮一の頭を。
お前は偉いよ、亮一。
どうかそのまま強く……
亮子さんのように明るく育っていってくれ……
私のささやかなその願いは、それから5年後に打ち砕かれることになる。
私は幼い亮太にものを投げつけようとする龍彦の腕を掴んだ。
まだ1歳半の亮太はわんわん泣いている。
早くお逃げ。
亮太の前に立とうとした亮一に、素早く目で合図した。
亮一は動けずにいる幼い亮太を抱き抱え、足早に去っていく。
「離せ、くそ親父っ! ……あいつさえ……あいつさえ生まれてこなけりゃ……」
またその台詞か……それに、いつもの深酒の匂い。
「龍彦、いい加減にしろ! そんなことを言ったら亮太が可哀想だろうが!」
「もういい! こんな家、出てってやる!」
心配と怯えがにじみ出ている妻の横を乱暴に通り過ぎ、龍彦は出ていった。
バンッという大きな音は、玄関の扉が閉まる音だ。それと同時に、妻がヘナヘナと床に座り込んだ。
その横に屈み込みながら、私は過去を思い出す。
本当に、亮子さんは龍彦の心の支えだった。
※※※※※
『次も男の子ですって! 亮一、弟だよ~、良かったねぇ!』
亮子さんは大きくなり始めたお腹をさすりながら、満面に笑顔を浮かべていた。
そこにいるだけでパッと周りが明るくなるような、そんな可愛らしい嫁だった。
『ほんとに⁉ やったあ、僕ね、ほんとは嫌だけどワルモノの役やってあげるんだ! だって僕、お兄ちゃんだから!』
当時もうすぐ5歳になる亮一は、亮子さんにくっつきながら、嬉しそうにはしゃいでいた。
『えらいなあ、亮一は……お父さんは3人でキャッチボールするのが楽しみだ!』
『皆気が早いねぇ……あら、喜んでるのかしら、ムニュムニュしてる』
『えっ⁉』
亮一と龍彦は代わる代わる亮子さんのお腹に耳をつけていた。
※※※※※
なんて微笑ましい光景だろう。
あの頃を思いだすと、いつも胸が苦しくなる。
私は妻の傍らに座り込みながら、畳をじっと見つめていた。
神様は、残酷だ。
こんな困難、あの気の弱い龍彦に乗り越えられるわけがない。
「二人を呼んでくる……」
私は妻が落ち着きを取り戻したのを確認してから、二人の孫の元に向かった。
二人は押し入れの中にいた。
龍彦が暴れると、いつも決まって二人はこの押し入れに隠れる。
私は押し入れのふすまをノックしようとする手を止めた。
中から、こそこそと話をする声が聞こえてきたからだ。
「悪いことは、ずっとは続かないんだって、亮太……だから、お父さんもいつか優しいお父さんに戻るよ……一緒に待とうね……大丈夫、亮太には兄ちゃんがついてるから」
涙が出た。
止めようとしたけれど、私にはどうしても止められなかった。
おそらく、どんなに時が経っても龍彦は変わらないだろう。
亮子さんを失ってしまった穴は、君達では塞ぐことができないんだ……
もちろん、父である私にも……
亮一には、亮子さんが生きていた頃の、龍彦と3人で過ごしていた記憶がある。
だからこそ、まだ幼い1歳半の弟に語るのだ。
父である龍彦が、昔のように優しい父親に戻るのを待とうと。
亮太は、まだよく理解できないだろう。
亮一が語るその言葉は、亮一自身を励ます為でもあるような気がした。
私は呼吸を整え、ふすまをノックした。
「あっ、おじいちゃん……」
見れば、亮太は亮一の膝で眠っていた。
私は思わず亮一の頭を抱きしめた。
まだまだ小さい、亮一の頭を。
お前は偉いよ、亮一。
どうかそのまま強く……
亮子さんのように明るく育っていってくれ……
私のささやかなその願いは、それから5年後に打ち砕かれることになる。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
事あるときは幽霊の足をいただく!
北大路 夜明
ミステリー
風変わりな幽霊と過ごす7日間のミステリー。
遅刻常習犯で赤点王の高校生 崎山 真(さきやま まこと)の前に突然現れた一風変わった謎のサムライ。
彼は崎山家に伝わる偉大な先祖に殺されてしまった怨霊で、長年の恨みを晴らすために子孫である真の命を狙っているという。
勝手で気ままな怨霊男にストーカーされるオカルト生活が始まるのだが、二人はある事件に巻き込まれていく。
それは真の過去が深く関わっている事件で――。
果たして二人が辿り着く結末とは?
あの世とこの世、現代と過去が交差する!
※2023年2月より連載再開しました。ノベプラ・noteでも連載しています。
イラストはmaoさんに描いて頂きました(*´ω`*)
母になる、その途中で
ゆう
恋愛
『母になる、その途中で』
大学卒業を控えた21歳の如月あゆみは、かつての恩師・星宮すばると再会する。すばるがシングルファーザーで、二人の子ども(れん・りお)を育てていることを知ったあゆみは、家族としての役割に戸惑いながらも、次第に彼らとの絆を深めていく。しかし、子どもを愛せるのか、母親としての自分を受け入れられるのか、悩む日々が続く。
完璧な母親像に縛られることなく、ありのままの自分で家族と向き合うあゆみの成長と葛藤を描いた物語。家庭の温かさや絆、自己成長の大切さを通じて、家族の意味を見つけていく彼女の姿に共感すること間違いなしです。
不安と迷いを抱えながらも、自分を信じて前に進むあゆみの姿が描かれた、感動的で温かいストーリー。あなたもきっと、あゆみの成長に胸を打たれることでしょう。
【この物語の魅力】
成長する主人公が描く心温まる家族の物語
母親としての葛藤と自己矛盾を描いたリアルな感情
家族としての絆を深めながら進んでいく愛と挑戦
心温まるストーリーをぜひお楽しみください。
猫の探偵社
久住岳
ミステリー
北海道で育った野上尚樹は不思議な特性?がある事に気づく。それは動物の意思や想いを読み取る能力…彼は富良野の草原で動物達と意識を共有して育った。成長した尚樹は千葉の叔母と暮らす事になった。
大学卒業を控えやりたい仕事が見つからない尚樹、彼の選んだ道は『迷子猫の捜索だ』だった。尚樹は半径300メートル程度まで探す猫の意識とコンタクトできる。その事を知っている妹が猫の探偵になる事を進めた。
猫の捜索依頼から人が絡む事件や謎、神がかり的なサスペンスが尚樹を待っている。事件の中で出会う事になる探偵社の副所長、本条尚子…卒業度同時に探偵社の副所長になった空手の達人、そして優秀な探偵。彼女は猫の捜索ではなくミステリアスな案件を好む
そして…探偵社の所長・黒猫のノアール
漆黒の毛並みとつぶらな瞳の生後三カ月の子猫は、不思議な能力を持つ《進化した猫》だった。
二人と一匹のミステリーな旅が始まる。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
女子高生探偵:千影&柚葉
naomikoryo
ミステリー
【★◆毎朝6時更新◆★】名門・天野家の令嬢であり、剣道と合気道の達人——天野千影。
彼女が会長を務める「ミステリー研究会」は、単なる学園のクラブ活動では終わらなかった。
ある日、母の失踪に隠された謎を追う少女・相原美咲が、
不審な取引、隠された地下施設、そして国家規模の陰謀へとつながる"闇"を暴き出す。
次々と立ちはだかる謎と敵対者たち。
そして、それをすべて見下ろすように動く謎の存在——「先生」。
これは、千影が仲間とともに"答え"を求め、剣を抜く物語。
学園ミステリー×クライムサスペンス×アクションが交錯する、極上の戦いが今、始まる——。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。
風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。
※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる