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第一章 エリカと圭介

第2話 エリカ

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「確かにエリカの言う通り、香川君変わったと思うよ……前より明るくなったもん。でもそれ、いいことじゃない? エリカだってそう思うでしょ?」

 私はクラスで仲良くしている女友達、汐里しおりに圭介のことを聞いてみた。ちなみに、やはり汐里にもあの白い花は見えていない。

 教室じゃ、こんな話はできない。ここは聖域とも呼べる女子トイレだ。

「まあ、そりゃあね……」
「正直、あ、こんな人同じクラスにいたんだ……って感じよ。だって、二年生になってまだ一ヶ月くらいしか経ってないし、一年の時はクラスが別だったもん」
 汐里は鏡に映る自分のヘアスタイルをまじまじと見つめ、微調整する。

 私だって、あの花さえなければ、単に進級して気持ちが切り替わったんだ、良かったねで終わっていたと思うよ。
「あの白い花だけが余計なんだよな……」
 トイレの窓から外をぼんやりと眺め、呟く。
「白い花咲いてるの?」
 トイレの出入り口に向かう汐里が振り返る。
「いや……なんでもないよ……休み時間終わっちゃう、行こう!」
 私はどうしても拭い切れない無意味な不安に蓋をして、笑顔を浮かべた。


「はぁ……今日も疲れた……」
 冬に比べれば日が長いとはいえ、9時を過ぎればさすがに外は真っ暗だ。
 4月も終わろうというのに、夜の空気は少し肌寒く感じられた。

 自宅である団地近くにある、さほど大きくないスーパー。
 そこは団地住民の食料庫的存在だ。私はレジ打ちや品出しのアルバイトをしていて、今はそのバイト先からの帰り道を歩いている。

 夜闇に浮かぶ駐輪場を抜けると、小さな子どもが遊ぶのにちょうどいい広さの公園がある。
 小さい頃、よく遊んだっけなぁ……
 しょっちゅう通っているはずなのに、なぜかそう思った。

 小さな遊具で、近所の友達と遊んだ記憶。もちろん、その中には圭介もいる。
 ぼやけた記憶がふっと浮かんで、曖昧なまま消えた。
 次に浮かぶのは、不自然にしか感じられない爽やかな笑顔を浮かべる圭介と、その頭頂部に咲く白い花だ。
 ああ、嫌だ。
 胸のあたりがもやもやして、思い出すだけで本当に憂鬱になる。
「もう、考えるのよそう……自分じゃどうにもできないことに貴重な時間を割くなんて、もったいないし」
 一人呟き、思考を切り替える。
「あいつら、まだ起きてるかな……この時間じゃあ、まだ起きてるか……」
 私は腕時計を見て、げんなりとため息を吐いた。
 9時10分。

 3DKの我が家には、私と両親の他に三人の弟妹きょうだいがいる。
 かつて自分だけの部屋が欲しいと言ったことがあるが、それは見事に却下された。
 中学生二人に高学年の小学生が一人。
 白鳥家には夜の9時すぎに消灯するルールなどなく、帰宅したら弟妹きょうだいの宿題の面倒を見させられる可能性がある。
「私にだって、宿題があるんだけどな……」
 部活動の練習があるわけでもないのに朝早く登校しているのは、静かな環境で宿題に取り組みたいからだった。

 ふと遠目に、公園の端っこにあるベンチに人が座っているのが見えた。
 その瞬間、心臓がどきりと高鳴り、歩くスピードが自然と速くなる。

 圭介だ。
 頭に咲かせた白い花が、夜闇を照らす街灯の光を鈍く跳ね返している。
 逃げなくちゃ。え? 逃げる? なんで?
「バイトの帰り? 白鳥さん」
 だからさ……その大きくてはきはきした声、らしくないんだよ圭介!
「見えてるんだろう? この花が」
 ガラリと変わった圭介の口調に、思わず体が固まった。
「少し話をしないか? なに、取って食いやしないさ」
 恐る恐る振り返りながら、私は自分に選択を迫っていた。
 走って家に帰るか。
 それとも、圭介の話を聞くか。
 このまま帰っても、胸のもやが晴れることはない。だったら、話を聞いてすっきりしたほうがいいじゃないか。どんな話かはわからないけど。
 私は深く息を吐き、道を選んだ。
 この奇妙な物語から、圭介を取り戻す道を。
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