月はまだそこにあるか

鹿嶋 雲丹

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第41話 差し込む光

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「ミツキちゃん、頑張ってたくさん歩いてたから、もう限界だったみたい。すぐに寝ちゃったわ……タケルに買ってもらったミャシリンちゃん抱っこして……あー、可愛かったぁ」
「そうか……良かったよ、喜んでもらえて」

 ほんとはあまり好きじゃない、長蛇の列に並んででも買った甲斐があったというもんだ。
 いくつかあるヘイリーランドのお土産店は、どこの店でも行列ができていた。
 閉園三十分前。皆、考えることは一緒なのだ。
 今自分が味わっている幸せを、分け合いたい人へのプレゼント。
 そう思っていたのは、多分俺だけじゃないと思う。
「嬉しいぃ! ミツキの一生の宝物にするぅう!」
 帰り道、ミツキちゃんはそのぬいぐるみをずっと抱きかかえていた。
 嬉しそうに、大切そうに。
 あと数日で、ミツキちゃんは元の世界に……未来に帰ることになる。
 そうなった時、この世界で得た物……例えばぬいぐるみやコートは、どうなるんだろうか? そして、俺やまひろと過ごした記憶は?
 今になって、数々の疑問が鮮明になってくる。
「クリスマスのイルミネーション、きれいだったわねぇ……もっといたかったな……はい、コーヒー」
 にこりと笑ったまひろが、温かなコーヒーカップを差し出した。
「ありがとう」
 また行けばいいさ、とあやうく言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。
 少なくとも、今のミツキちゃんと出かけることは、きっともう不可能だ。
 俺はまひろからマグカップを受け取る。
 疲労と、光と音の刺激で頭が少しぼうっとしている今は、アルコールよりコーヒーの方が嬉しかった。
 そこから漂うブラックコーヒーの、かすかな酸味のある甘い香りを頭に送り込んだ。
 
 ※ ※ ※

 家に着いたのは、十一時を過ぎていた。
 辺りは真っ暗で冷え込んでいて、しんとしていた。
「あれ、灯りがついてない……」
 てっきり待っていると思っていた不審者は、家のどこにもいなかった。
 いつも一緒にいた、あの黒猫もだ。
 なんだ、せっかく土産を買ってきてやったのに。
「どこ行ったんだ……まあ、明日の朝はいるだろうから、明日渡せばいいか…」
 ミツキちゃんはすぐに寝付いて、しんとしたダイニングで賑やかにしているのは、テレビから流れる音だけだった。
「ねぇ、ずっと気になってたんだけど……ミツキちゃんのコート……あれ、タケルが買ってあげたんでしょ?」
 不意に、正面の席でぼんやりとテレビを観ていたまひろが切り出してくる。
「えっ……」
 不意打ちを食らった気分だった。
 今日もミツキちゃんはそのコートを着ていたけれど、まひろがそれを気にしていたとは……
 視線をテレビから俺に移したまひろと、目が合った。
 なぜか、そこには俺を責めるような色は見えない。
「前に、まゆちゃんにクリスマスプレゼント買ったんだって言ってたじゃない? あの紙袋の中身……ほんとは、ミツキちゃんのコートだったんじゃないかなって」
 うん……そうだよ、まひろ……
 だめだ、頭がうまく働かない今、余計に嘘はつけない。
 それに、まひろ嫌いな嘘は、もうあまりつきたくなかった。
「ごめん……」
 謝罪は肯定だ。
「いいよ、もう。ミツキちゃん、すごく気に入ってるもんね……確かに可愛いよ、あれ。私、お店で実際に見たんだけど、今年の新作なんだってね」
 コーヒーカップを手にしたまひろが、微かに笑った。
 俺はほっとして、カップに口をつける。
 口の中いっぱいに、コーヒーのほろ苦さと酸味が広がった。
 ばれたら怒られるかもしれないと、心の奥底でずっとモヤモヤしていたらしい。今、気付いた。
「怒らないんだな……俺、お前が大嫌いな、嘘をついたのに」
「……まあね……でも、結果的にミツキちゃんが喜んでくれたんだから、よしとするよ……それに、あの時は私に説明しにくかったんでしょ?」
 あの時。ミツキちゃんの為に、慣れない子ども服専門店に行った時。
 突然職場近くに現れたミツキちゃんが、上着を着ていなくて……寒そうだったから。
 風邪をひかないようにって……ただそれだけしか考えていなかった。
 なんだろう、ほんの数日前の出来事なのに、妙に懐かしく感じてしまう。
「ねぇ、ヘイリーランド、楽しかった? もう何年も前に二人で行ったきりで久々だったけど、私は楽しかったなぁ! ミャシリンちゃんと写真まで撮っちゃったしね! 二人だけで行ったら、キャラと写真なんて撮れないもの……あ、タケルのスマホにも画像送っておくね」
 少しテンションを上げたまひろが、自身のスマートフォンを操作し始める。
 すぐに、俺のスマートフォンからメッセージの着信音が聞こえてきた。
 画面を切り替えると、そこにはぎこちない笑みを浮かべる俺と、正反対の表情のミツキちゃんとまひろがいた。
 こうして見ると、キャラクターの着ぐるみって意外とでかいのな……
 俺は小さく息を吐いた。
 聞こう。ずっと気になっていたのに、まひろに確認できていなかったことを。
「なあ、まひろ……あれから、メッセージきたか?」
「え? あれからって……誰から?」
「サトルからだよ」
 スマホから顔をあげたまひろが、俺を見つめた。
 そこに、さっきまでの笑みはない。
 俺が女性と一緒に居酒屋から出てきたところを、偶然見かけた、というメッセージ。
 問題は、その後だ。
「川上さんからは……久しぶりに四人で会わないかってメッセージが来たわ。私はだいたい三ヶ月おきにみさきに会ってるけど、川上さんには会ってないし……でも、急にどうしたんだろうね……川上さん、偶然タケルを見かけて急に懐かしくなっちゃったのかな?」
「会いたいか、サトルに」
 まひろ、お前がサトルから寄せられた好意になびかなかったのは、もうずっと昔の話なんだ。
 今は、どう思ってる?
「うーん……私はみさきづてに、川上さんが元気にしてるのを聞いてるからな……正直、別に会わなくてもいいんだけど、何年かぶりに四人で会うのも面白いかもなとは思ったよ」
 そうか……そんな感じなんだな。
 俺はそっと安堵のため息を吐いた。
「俺はもう、プライベートで客と会うのはやめるから」
「あ……そう……ねぇ、タケルが会ってたそのお客さんて、美人だった?」
 ん? なんだ、まひろ……そのじとっとした視線は……
「まあ、美人の部類に入ると思うけど……性格はキツイよ。飲食店勤めなんだけど、上司や客の愚痴を山程聞かされてきて」
「ふぅん……で、タケルは同情して話を聞いてたわけ?  いつか、もう一歩踏み込んだ関係になりたいっていう下心はなかったの?」
 ぎくり。
 負けたよ……やっぱり、まひろは女だ。勘が鋭い。
 でも、ここでのごまかしは通じないだろうし、したくない。
 俺はぎゅっと拳を握った。
「ごめん……正直、下心はゼロじゃなかった。確かにあった……でも、そうなってしまうのは本心じゃないというか……なんだろう、うまく言えないけど」
 しん、と静まり返った中、アハハとテレビから複数の笑い声が流れる。
「あの時のまま……」
 沈黙は、すぐにまひろが破った。
「タケルとギクシャクしたまま……川上さんと二人で会ってたら、私だってやけを起こしてたかもしれない」
 ふと、まひろは目を伏せた。
「人はさみしすぎると、正気を失う生き物なのかもしれないね。今は、ミツキちゃんのお陰で満ち足りた気持ちでいるから、こうしてなんでもないようにタケルと話ができてるんだと思う……ほんとうに……ミツキちゃんが家に来てくれて良かった」
 潤むまひろの瞳。
 ミツキちゃんがこのタイミングで現れてくれなかったら、間違いなくまひろはサトルとの子どもの母親になっていただろう。
 ミツキちゃんは、俺と会う前にサトルに……実の父親に会っている。
 でもそれを受け入れずに、俺をパパに選んでくれた。

『パパと一緒じゃなきゃ、嫌だ!』

 初めてミツキちゃんに会った時、そう叫んでいた姿を思い出す。
 ミツキちゃんの思いは、純粋でまっすぐだった。
 俺はそれをはねのけようとしたけど……できなくて……できるわけがない……だって、ミツキちゃんは可愛いから。
 なぜか、急に泣きたくなった。
 きょとんとした表情かおのまひろが、だんだんぼやけて行く。
 そうだ。
 ミツキちゃんと同じくらいに真っ直ぐに、俺に好きという感情を向けてくれたのは……目の前にいるまひろだった。

 愛されたいと願って、愛されていたのに。
 馬鹿だ、俺は。
 自分で自分が最も求めているものを、遠ざけてしまっていたんだから。

 俺は両手で顔を覆った。
 今の顔を、誰にも見られたくなかった。
「どうしたの? 具合悪いの?」
 まひろが驚いたように声をあげた。
「いや……明日から仕事だし……疲れたから、もう寝るよ……」
 俺はあまりまひろを見ないようにして席を立った。
「おやすみ」
 やわらかなまひろの声が背中を包んでくる。
 あたたかいそれは、ミツキちゃんの手のぬくもりを思い出させた。
 俺は自分の手をじっと見つめた。

 未来を、変えてやる。
 サトルによく似た手になんか、させるもんか。
 拳を握った俺の中に、強烈な光が差し込んだような気がした。
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