月はまだそこにあるか

鹿嶋 雲丹

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第33話 餃子を食べよう

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 映画のストーリーは、わりとよくあるものだった。
 異星からやってきたお姫様の悩み事を解決し、悪役とまで言い切れない兄弟が登場して、なんやかんやでハッピーエンド。
 さすが、子ども向けのアニメだ。

「どう? 面白かった? ミツキちゃん?」
 すっかり明るくなった館内で、俺はシートから立ち上がり体を伸ばす。
 │自転車《あいしゃ》を全力で漕いだのは、久しぶりだった。
 館内の暖房がきいてて助かった。あやうく風邪をひくところだった。
「うーん、まあまあかな?」
 俺の視線の先、ミツキちゃんはにっこり笑ってそう言った。
「やっぱりちょっと、ミツキちゃんにはお子様過ぎる内容だったわね」
「そうなのか? キャラの設定があまりにヒドイから、おかしくて仕方なかったけどな」
「ヒドイ?」
 まひろが聞いてくる。
「いや、だってツナマヨおにぎりとアンパンの子どもとかさ、あり得ないだろ」
「ミツキは、あのいじわる兄弟の弟が好きなんだ。ぽっちゃりしてて可愛いから」
「な、なるほど、そうなのか……まあ、いじわるって言うほど悪い奴じゃなさそうだったよね、あの兄弟」
 ……良かった……やっぱり、ここに来て正解だった。ちゃんと会話で盛り上がってるじゃん。
 ぐうぅ、と腹から腹ペコ虫の鳴き声がした。
「……腹減ったな……やっぱここは餃子かな」
 俺はついさっきまで観ていた餃子姫を思い出し、笑い出しそうになる。
「確かに、あの映画観た後だと妙に餃子か春巻きが食べたくなっちゃうよね。晩御飯まだだから余計なのかな? ミツキちゃんもお腹空いたでしょ?」
「うん、お腹すいた!」
 まひろの問いに、ミツキちゃんが元気よく答える。
「十九時半か……この時間なら、まだフードコート空いてるな。ミツキちゃん、餃子好き?」
「うん! 大好き! 春巻きも好き!」
「よし、じゃあ決まりだ。フードコートで餃子を食べよう」
「やったあ!」
 ぴょんぴょん飛び跳ねるミツキちゃんを見ていると、なぜかこっちまで嬉しくなってくる。
「カミさんも一緒に食べるかしら……あ、いたいた、カミさーん!」
 入口を出てすぐのホールで、不審者はにやにや笑いながら立っていた。
「映画はどうだったかな? 楽しめたかい、ミツキちゃん?」
「うん、まあまあだったよ! これからパパとママと餃子食べるんだ!」
「カミさんも一緒にどうですか?」
 まひろの誘いに、不審者は笑って手を振った。
「いやいや、私は一足お先にご飯を食べましたから、どうぞ三人でゆっくり食べてきてください。あ、そうだ、石頭はここまで自転車できたんだっけ?」
 もういい加減、俺を石頭と呼ぶのはやめろと言う気もない。
「ああ、そうだけど」
「そっか、帰りは私が自転車に乗るよ。いやあ、一度操縦してみたかったんだよね、自転車ってやつをさぁ」
 不審者は、まひろに気を使っているのかコソコソと言った。
 それはともかく、その口ぶりだと……俺には不安しかない。
「おい、ちょっと待て……お前、自転車に乗れるのか?」
「任せろ、知識はある!」
「あのな! 知識があっても使いこなせるかは別問題だぞ!」
 俺の自転車は、アルミ製の高いやつなんだ。傷つけられたくない!
「いや、まあ、なんとかなるよ! 最悪、漕がないで押せばいいんだからさ」
「まあ、そりゃそうだけど」
「帰りは家族三人水入らずで、車で帰って来ればいい! うん、完璧だ!」
 なにが完璧なんだよ!
「じゃあ私たち、先にフードコートに行ってるね。行こう、ミツキちゃん」
「うん、パパ、後でね!」
 まひろは手を振ったミツキちゃんと行ってしまう。
「あ、う、うん……」
「自転車、自転車、楽しみだなぁ」
「おい、万が一俺の│自転車《あいしゃ》壊したら、弁償しろよな! 高いんだぞ、俺の自転車!」
「んで、石頭は、黒龍様とどんな話をしたんだ?」
 ドキ。なんだよ、いきなり話題変えやがって。
 俺は自転車置き場へ向かう為にエスカレーターに乗った。
 あの河川敷のベンチで……俺は、あの黒猫女と何を話したんだっけ?
「それ、お前に言う必要ある?」
「あるよ。内容によっちゃあ、私の役に立つかもしれない。なんてったって、私は嫁に愛想つかされてるんだからな」
 ……そうだった。
「お前、兄弟いるか? 俺、兄貴が一人いるんだけどさ」
 こんな話、こいつに理解できるかはわからないけど。
「いるよ。二人。ちなみに、それぞれ五人ずつ子どもがいる」
「五人ずつか……随分子沢山なんだな」
「うん……だから、自分にその能力がないとは思わなくてさ、子どもができないこと、散々嫁のせいにしてきたんだ」
 こころなしか、不審者の声のトーンが落ちている。
 まあ、それに関してはあれこれ言う気はない。本人の言う通り、反省はしているようだし。
「俺は生まれてこの方、ずっと兄貴が嫌いなんだ。俺より勉強ができて、要領が良くて、子どももいて……」
 そしてなにより。
「俺の親は、兄貴が一番なんだ。兄貴が基準でお手本。とにかく、兄貴みたいになれ、の一点張りだった。昔も今も、だ」
「そうなのか……うーん、私の親はけっこうな放任主義だったな。あまりかまわれた記憶がない」
「俺はさ、兄貴になるなんて無理だったよ。努力はしたさ。でも、嫌いな勉強はいくらしても頭に入らないし、気が利かない性格はなおるもんじゃないし」
 ああ、俺はこの親から愛されるのは無理なんだ。どう頑張っても。
 そう悟ったはずなのに。
 それなら、俺は俺なりに兄貴に勝てそうなところを探してそれを伸ばそう。
 そう思ったはずなのに。
 俺は、基準を変えられなかった。親に愛されたい、という欲を捨て切れなかった。
 エスカレーターを降り、駐輪場がある一階にたどり着く。

『いらないものは捨てないと、ほんとうに大切なものを見失うよ。君が大切にしたいのは、親や兄に勝つことなのか。それともまひろさんと共に生きることなのか』

「いらないものにしがみついてるのは、わかってるんだ」
「お前はまだいいよ。まだ間に合うだろ、気づけたんだから」
 自動ドアが開き、外の冷たい空気にひやりとする。
 気づけても。
「捨てるのは、簡単じゃない」
 今まで、しがみついてきた分。
「目の前に、考える余裕がなくなるほど愛しい存在があったら、それは執着を捨てていると言えなくもないと、私は思うよ」
「……これだよ、俺の自転車」
 余裕がなくなるほど愛しい存在、か……
 ふと頭に浮かんだのは、まひろにそっくりなミツキちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねている姿だった。
 その小さな手……よく見ればサトルにそっくりな手を握る、まひろ。
 その表情は、優しかった。
 俺が知ってるまひろの笑顔の中で、一番優しいと思った。
「おお! これが自転車か! あれ? おい、これ、足がつかないぞ! あああ!」
「え、そりゃスポーツ用だから……」
 ガッシャーン!
「おい、ふざけんなよ!」
 派手な音と一緒に地面に放り出された不審者と│自転車《あいしゃ》に、俺の目の前は一瞬にして真っ暗になったのだった。
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