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第15話 回顧

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 いったいどのくらいの時間、船に揺られていただろうか。
 郷里を出立してから、もう一週間以上が経っている。
 船酔いとだけではなく、胸の内に抱える闇に果てしなく落ちていきそうになる絶望感とも戦う。
 目の前に広がる鉛色の海原に、身を投げてしまいたいと何度も思った。
 だがその度に、まだ希望を失ってはいけないと心のどこかで声がする。
 真実は、まだわかっていないのだ。
 わかっているのは、彼女達が自分の目の前に存在していないというだけだ。
 ということは、この広い世界のどこかで生きている可能性もある。
 ……どうか、そうであってくれ……
 徐々に見え始めた目的地を眺めながら、男はぼんやりとそう思っていたのだった。

「あ、いたいた、フィル!」
 船着場で威勢の良い女の声が響いた。
 女は遠くからでも見つけてもらえるようにと、大きく手を振る。
 観光地ではないこの島に訪れる異国の民は、さほど多くない。
 船の利用者の大半は、商人などの市場の関係者だった。
 少しよろめくように歩く男の元に、女が駆け寄る。
「……相変わらず顔色よくないなあ……ちゃんと食べて、寝てる?」
 男の体を支えながら、女は眉根を寄せた。
「……これは船酔いのせいだ……この島は、私の郷里からかなり遠いところにあるからな」
 元気な女の声に押されるように、フィルと呼ばれた男は低い声で呟く。
 半分は、本当の事だった。
「まあ、それもそうか」
 女は言い、視線を前に向けると苦笑いを浮かべる。
「よく来たね」
「……すまないな、エンカ……頼ってしまって」
 今にも消え入りそうなか細い声で、フィルは謝った。
 元々整った顔立ちではあったが、今は顔色の悪さの方が目立つ。
「……なに言ってんのさ、あたしたちは元同僚だろ……困った時は、お互い様さ」
 エンカ、とフィルから呼ばれた女は笑いながら言った。
 エンカの華奢な体から滲み出るエネルギッシュさは隠しようがなく、フィルとは対照的だ。
「とりあえず、少し休もう」
 エンカは言い、すぐ近くにあるベンチにフィルの体を預けた。
「そこの売店でなにか飲み物買ってくるから、ちょっと待ってて!」
 眩いばかりに輝く笑顔のエンカの背に頷き、フィルは目の前の大海原に目を向けた。
 鉛色に広がる海原の上空では、雲のかかった薄ぼんやりとした太陽がある。
「その後、なにか手がかりは見つかった?」
 二人分の飲み物を手に戻ってきたエンカが、しばらくの沈黙の後フィルに尋ねた。
 その視線は目の前の海原に向けられている。
「……いや……」
 フィルはエンカから受け取った飲み物を手に一言だけ言い、押し黙った。
「そうか……」
 エンカは真顔のまま目を細める。
 沈黙する二人の間には、繰り返される潮騒と海鳥の鳴声、時折遠くで響く船の汽笛が響く。
 エンカには、フィルに掛ける言葉が見つからなかった。
 フィルをとりまく家庭環境が、あまりにも不憫すぎるからだ。
 本当なら、フィルは十五年という精霊管理局の任期を終えて帰宅し、愛する妻子と幸せに暮らすはずだった。
 それなのに……
 エンカは天上で薄ぼんやりと光る太陽を見上げた。
 ある日突然、フィルの妻子が行方不明になった。それは今から五年前の事だ。
 フィルの妻である魔王の一人娘が、周囲の反対を説き伏せて二人は結婚した。そして、その翌年には二人の間に双子の兄妹が生まれる。
 その当時、フィルはまだ精霊管理局の任期中だった為、単身赴任中だった。
 家族としての生活など、結婚直後と出産直後にとった僅かな休日位のものだった。
 だが、あと二ヶ月も経てば、精霊管理局の任期が終わり、その役を退くことができた。
 彼の妻子になにかが起きたのは、そんな時の事だった。
 ジュールづてに聞いた、姉からの一報を聞いた時の青ざめたフィルの表情が、エンカには忘れられない。
 あの時、すぐにでも家に帰りたかっただろうに、フィルはそうしなかった。
 もしかしたら、こうなる事を予想していたのだろうか?
 エンカは考える。
 フィルの妻は、魔王の一人娘だ。
 人間の身であるエンカの知り得ない、なにか特別な事情があったのかもしれない。
 とにかく、どこかで無事に生きていて欲しい。
 エンカにはそう祈る事しかできなかった。
「私にできる限りの手は、打ったんだ……だが、それでも三人は見つからない……ルイだけは生きていると水の長から聞いたが……それだけだ」
 長い沈黙を破ったフィルは淡々と呟いた。
 フィルが言う打てる手というのは、水の精霊使いであるフィルが、精霊同士のネットワークを利用することだった。
 双子の兄である息子のルイは、フィルに血が近かった。
 せめてその息子の情報だけでも集めたいと、水の精霊の長に懇願したのだが、生きているという以外のことはわからなかった。
 水の精霊は、この世界に沢山存在している。
 ネットワークの広さでは、風の精霊のものにも劣らないのだ。
 それに加えて、同じ村出身の風の精霊使いジュールの協力をも得ていた。
 それなのに、情報が得られないとは。
 それはなぜなのか……ルイはともかく、妻リアンと娘メアーは、もうこの世に存在しないという意味なのだろうか……
 フィルは小さくため息を吐いた。
「……正直、最悪の場合のことばかり考えてしまってな……その度に、まだ望みを捨てるな、と思い直して……その繰り返しだ」
「こうなる原因に、思い当たる節はないの? リアンちゃんは魔王の一人娘で、王位継承権をメアーちゃんに譲ったんだよね? そっちの線でなにかないの?」
 エンカは隣のフィルを見、問う。
 エンカはフィルが知る限りの情報を本人から聞いていた。
「……わからない……向こうの事情の事はさっぱりだ……それに、聞こうにもこちらからコンタクトをとる術もない」
「そうかあ……」
 エンカは深いため息を吐き、俯いた。
 高い位置で一つにまとめたエンカの長い黒髪が、潮風にさらりと揺れる。
 リアンの髪の色も、エンカと同じ黒だった。
 癖のあるエンカの髪とは違い、リアンの髪は真っ直ぐだったが……
 濃い疲労を浮かべる明るい水色の瞳を伏せ、フィルは思い出していた。
 初めて出会った頃の妻、リアンの傷ついた姿を。
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