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第6話 リアン

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 昼下がりの公園には、ただひたすら穏やかな空気が流れている。
 中央の大きな噴水広場に面したベンチに腰掛け、カイルは開いていた本を閉じた。
 いつからそこにいたのか、隣に一人の娘が腰掛けている。
 緩やかな風が、その漆黒の艷やかな髪をさらりと揺らして通り過ぎた。
「初めまして……美しい姫君」
 にっこりと笑って、カイルは隣に座る娘に話しかける。
 明るい水色のワンピースが、彼女の白い肌によく映えていた。
 しかしなにより魅惑的だったのは、幅の広い帽子のツバから覗く大きな黒い瞳だった。
「夢の国の住人……だったか……なんだか長ったらしい呼び名だな」
 娘は隣に座るカイルににこにこと笑いかけた。
 その笑顔は、まるで光を受けて輝く黒曜石のようだった。
 ……流石は魔王の血を引くお嬢さんだ……
 カイルはその笑顔の魅力を堪能しながら、微笑を浮かべる。
「ですよね? 私のことはカイルと呼んでください。その方が三文字で済みますから」
「うむ、そうしよう」
 娘はカイルの言葉に笑顔のまま頷いた。
「カイル……私が魔王の娘だと、よくわかったな。力は抑えているというのに……あれ、それとも漏れているのか?」
「いいえ……あなたのその姿は人間そのものです。私があなたに気がついたのは、私の眼が良すぎるからですよ」
 言うカイルの瞳が一瞬虹色に変わり、すぐに元の碧眼に戻る。
「なるほど……夢の国、と言われるわけだな。初めて見た……面白い色だ」
 今は碧いカイルの瞳をまじまじと見つめ、娘は呟いた。
「キレイでしょう? まぁ、そうは言ってもあなたの魅力にはとうてい敵いませんがね……」
 カイルは苦笑して言い、肩を竦めて見せた。
「ところで、今日はどういったご用件でここへ? もしや私を誑かそうとでも?」
 それは楽しそうだ、とカイルは瞳を輝かせる。
「そうではない」
 娘ははっきりとした口調で言い、腕を組んで目の前の噴水に視線を向けた。
「……男を落とすのは、ここ数年控えているのだ。本命ができたからな」
「本命ですか……まあ、噂には聞いていましたが、本当だったのですね。どれほど素敵な人間なのか、見てみたいものです」
 娘と同じように噴水に目をやりながら、カイルは目を細めた。
「私の相手が人間だと知っているのか……知らなかったな、そんなに噂になっていたとは」
 娘は真顔で天上の日を見上げた。
「私はこれでも神ですから、自然と色々な噂話が耳に入ってくるのですよ」
 カイルはくすりと笑う。
「ふぅん……それは楽しそうだな」
 娘はにやりと笑って再びカイルを見た。
「私は噂話も好きですがね……やはりご本人に会うのが一番です。今日初めてあなたに会って、私はとても納得しました」
 カイルは娘の視線を柔らかく受け止め、微笑んだ。
「あなたは、とても幸せそうです」
「そうか、わかるか」
 娘は嬉しそうににこりと笑った。
「私は本を読んでいる時が一番幸せです」
「本?」
 カイルの膝の上にある分厚い本を見、娘は怪訝そうな表情で訊ねる。
「そういえばあいつもよく読んでいたな……面白いのか、それ?」
「これは神話の本ですが……」
 言い、カイルは膝の上の書物を示した。
「恋愛、推理、ファンタジー、専門書……実に様々な書物が人の世にはある。お陰で退屈する暇がありません」
「お前は神なのに、本当に人間くさいな!」
 娘はにこりと笑うカイルに感嘆の声をあげた。
「しかも神話とは……人間が作った神の話だろう? お前本人の話ではないか」
 娘はにやりと笑った。
「そう、人間が作り上げた我々神の物語です。しかもそれは一種類だけではない。地域によって様々な姿形、性格をした神々の物語がある。この本はその内の一つについて書かれたものです」
 カイルは膝の上の本を示しながら言った。
「非常に興味深いのはね、基本的に力が強い神ほどワガママというところなんです。何故知っているのか、と言いたくなりますね」
「ふふっ、なるほどな……ところで、本には我ら魔族も登場するのか?」
 娘はいたずらっぽい笑みを浮かべながら問う。
「えぇ、よく登場しますよ。魔に与する者は、大抵は恐ろしい形相のモンスターのように描かれています。ですが、あなたのように美しい方が異性を誑かすエピソードも沢山ありますよ」
 カイルは蓄えた本の知識から抜粋した答えを口にする。
「何故、人間がそれを知っているんだろうな?」
「それは過去、人類と魔者が散々戦って来たからではないですか? 今とて、それはゼロではないですしね」
 カイルの言葉に、ふむと娘は顎に手を当てた。
「最近は私が睨みをきかせているから、だいぶ減っていると思うのだがな」
「そのようですが、下位の魔族の方々は生物から養分を得なければ生き永らえることは不可能なのでしょう? 人と接する機会がなくならないということは、彼らとの争いはゼロにはならないということです」
 魔族には、大きく分けて四つのランクがある。
 一番下と下から二番目のランクの魔族は、人間や動物などから生力を奪い、それを命の糧としている。
 王族やその下のランクの魔族には、それが必要なかった。
「そこなのだ、問題は……まったく、奴らの体質が精霊からエネルギーを得られるものだったら良かったのに」
 腕を組み、娘は悩ましげに小さくため息を吐いた。
 ちなみに精霊は魔族にとって害でしかない。
「……あいつら……皆消してしまうか?」
 口元に手を当て、娘はにやりと妖艶な笑みを浮かべる。
「たった一人の、人間の男の為にですか?」
 カイルはくすりと笑った。
「違う、私の為だ。下位の奴らを廃し、人間が奴らと戦うために精霊を使わなくなれば、精霊管理局なんてものは必要なくなる。そうしたら、私は今すぐあいつと一緒になれるんだ」
 娘は真顔で持論を展開した。
 娘が口にした“精霊管理局”の部分に、カイルの眉尻が微かに動く。
 なぜ魔王の一人娘が自分を訪ねてきたのか、カイルはようやくその理由を理解していた。
「なるほど……あなたの想い人は管理局勤めの人間なのですね」
「そうだ。水の担当でな。今は副長をしている」
 娘はカイルに頷いてみせた。
「私が精霊管理局を作った理由の一つが、魔族を追い払う為に人間が消費する、膨大な自然エネルギーでしたからね」
 カイルは遥か遠い過去を思い出し、碧色の瞳を細めた。
「そうだ……だから、人間にちょっかいを出す奴が減れば、管理局の仕事もなくなる。そうだろう?」
 娘は期待を込めた視線をカイルに送る。
「残念ですが……難しいでしょうね、それは……」
 カイルは苦笑いを浮かべて娘の問に答えた。
「なぜだ?」
 娘は不服そうに顔を顰め、可愛らしい唇を突き出した。
 その様に、カイルはうっすらと微笑む。
「この世界の精霊の管理が必要なのは、天災からこの地を守る意味もありますから……それに、私はもうあの施設の責任者ではありません。天上界を出てきた時に、後任の者に全て引き継いできましたからね」
「なぁんだ……やっぱりダメかあ」
 娘は残念そうに大きなため息を吐き、肩を落とした。
「お力になれず残念ですが、担当の人間が管理局に勤める任期は最長で十五年です。彼が退任するまで待ったとしても、たいした時間ではないでしょう? 不老不死の我々にとって、時間は有り余るほどあるのですから」
 カイルは前向きなことを言ったが、娘は不服そうな表情を変えなかった。
「確かにお前の言う通り、私達には時間がある……あり過ぎるくらいだ……だが、人間はどうだ? あいつは……人間だ……」
 娘は悲しそうに瞳を伏せた。
「人間はあっという間に死んでしまう……だからこそ、私は一秒でも長くあいつの傍にいたいのだ」
 苦しげに懇願する娘に、カイルは額を曇らせた。
 カイルはこれまで沢山の恋愛小説を読んできて、少しは乙女心というものがわかっているつもりだった。
「……まだまだ勉強が足りませんね、私は……」
 カイルは呟き、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「約束の十年まで、まだあと二年もあるんだよなあ……」
 娘は呟き、穏やかに晴れ渡る空を見上げた。
「父王様は、お許しになったのですか?」
 ぽつりとカイルが問う。
「……まあ、そこも問題なんだが……」
 フッと娘は不敵な笑みを口元に浮かべた。
「誰がなんと言おうと、私は自分の気持ちを曲げない。たとえそれが、父であろうとあいつだろうとな」
「お相手の気持ちは、重要なのでは?」
 力強い娘の口調に、カイルは思わず笑ってしまう。
「落とす!」
 きらきらと光り輝く娘の黒い瞳が、まっすぐにカイルの瞳に飛び込んでくる。
 一瞬、カイルは息を呑んだ。そして眩しそうに目を細める。
「さすがは魔族の姫君……どんな男でも、きっとイチコロなのでしょうね」
「……そうだったら、私も苦労しないのだ」
 はあ、と娘はため息を吐いた。
「おや、まさかの苦戦中ですか」
「仕事バカなのだ、あいつは。だから、精霊管理局などなくなればいい」
 バカ、と口にしつつその瞳には相手への慈愛が籠められている。
「……本当に、お力になれなくて申し訳ないです」
「いや、お前と話ができて楽しかった……管理局については、また違う案を考えてみるよ」
 すくっと立ち上がり、娘は爽やかな笑顔を浮かべた。
 娘が身に纏う水色のスカートの裾が、ひらひらと軽やかに風に舞う。
「水色のお洋服、よくお似合いですね」
 カイルは娘の細い背に向かって微笑みかけた。
「綺麗な色だろう? あいつの瞳の色と、同じ色なんだ」
 娘はカイルを振り返り、嬉しそうににこにこと笑った。
「幸せそうですね……ところで、あなたのお名前は?」
「リアンだ」
 逆光の陽の光の中、娘は不敵な笑顔で名乗りその姿を消した。
「なかなか楽しい一時でしたね……」
 口元にうっすらと笑みを刻んで呟き、カイルは再び膝の上の書物を開いたのだった。
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