11 / 68
10 タイムリープ・1
しおりを挟む
暗く沈んだ視界に、白い光が薄く射す。
暈けた光にさえ眩しさを感じながら、佐伯葵は目を覚ました。
「えと……?」
細く、瞼を開く。何、してたんだっけ。葵はうつらうつら考える。だがそうやって微睡んでいるうちに、少女の妖しげな声を思い出した。
『ヒントをあげるわ。佐伯葵』
「……っ、泰介!」
がばと跳ね起きた瞬間、外光の白さが開いた目に突き刺さった。闇に順応した目はすぐに視力を回復せず、葵は目を庇うように手で抑えた。
そうだ。あの時。突き落とされて。
少女がこちらを、見下ろしていた。
手を降ろすと、ゆっくりと目を開けた。
そして目に飛び込んできた光景に、葵は呆然とする。
廊下の冷たい床。目の前にある教室。三年二組のプレート。
室内に溢れる光りは白く、黒板の上の掛時計は十一時二十分を指している。
この場所は、学校のようだった。教室が横一列に並ぶ廊下の真ん中で、葵は倒れていたらしい。すぐ傍の教室からは、微かな喧騒が聞こえてくる。快活さに満ち溢れた、年若い子供の話し声だ。
牧歌的な、雰囲気だった。
葵は戸惑い、心細さで委縮する。ただ同時に安堵も感じていて、溜息を細く吐き出した。自分は、ちゃんと生きている。正直助からないと思っていた。
だが、安心するには早すぎる。泰介達とはぐれてしまった。
ポケットから携帯を取り出したが、相変わらずの圏外だった。目尻に涙が滲んだが、いけない、と慌てて拭って立ち上がると、葵はまだぼんやりしている頭を必死になって回転させて、もう一度、辺りを見渡した。
そして、驚愕することになる。
「……うそ」
信じられなかった。だがもっと早く気づくべきだった。ぼんやりしていて、それが遅れた。葵は教室に駆け寄ると、窓に張り付いて覗き込んだ。
「先生! ちょっと待ってください!」
教室の中で、一際大きな声が上がった。子供達の中で一人、生徒が挙手して立ったのだ。あっと思わず葵は叫ぶ。その少女を知っていたのだ。
「さくら!」
立ち上がった子供は、葵と同じ二年二組のクラスメイト、秋沢さくらだったのだ。背に流した髪は焦げ茶色だ。さくらは現在髪を染めているが、それ以前から茶髪だった。黒髪の葵にはそれが羨ましかったのを覚えている。
この少女は、間違いなくさくらだった。
だが、それではおかしかった。葵の知る秋沢さくらは高校二年。同級生だ。
それなのに、この姿は何事だろう。今目の前にいるのは、昔のさくらだ。
そして一人に気づくと、全員に気づいた。
教室にいるのは、ずっと昔のクラスメイト達だった。
「……」
動揺が、毒のように心を巡った。あどけない顔で犇めいている、かつてのクラスメイト達。しかもこの中の誰一人として、葵の姿を見ないのだ。
まさかとは思うが、もしかして――見えて、いない?
「はい。秋沢さん」
教師が、挙手するさくらを指名した。この教師にも見覚えがあった。確か藤見先生だ。小学三年の時の担任だ。
「先生! さくは反対です!」
さくらは、ばん! と机を叩いて激昂した。
葵はぽかんとする。目覚めたばかりの葵には、状況がまるで読めなかった。
「そう言ってもね、誰も立候補しないんじゃ仕方ないでしょう?」
対する教師は、投げやりな口調でさくらを諭した。さくらの目が吊り上った。ああ、と葵は頭を抱える。可愛い顔が台無しだ。
「だからって、先生が選んだ人にてきとうに押し付けないでください!」
おお……と教室に、どよめきが広がった。葵も思わず同じ反応をしてしまう。論争の議題は知らないが、どうやらさくらが優勢だ。
その時ふと、葵は既視感を覚えた。
あれ? と疑問に思う間に、話が少し進んでしまった。
「私、推薦します」と、さくらに同調した誰かが、続いて席を立ち上がった。
その女子生徒にも、見覚えがあると気付いた時――ぱちん、と。頭の中で何かが弾けた。
脳裏を駆けた、記憶があった。空気までもが鮮やかに、自分の中へ舞い戻る。葵の視線が少しずれて、歪み、教室の中へシフトする。そしてある一点で落ち着いて、そのままぴたりと固定された。
「葵ちゃんを、推薦します」
その声を葵は、教室の外で、中で、聞いていた。
チャイムが鳴って、子供達が席を立った。わあっと歓声を上げながら、廊下に立つ女子高生を素通りして、元気に外へ駆けていく。
葵は、窓に手をついた。
「うそ……」
眼前の眺めが、信じられなかった。
――ここはどこ?
葵は問う。自分をこの場所へ突き落した、おそらくは宮崎侑という少女に、葵は質問を投げかける。
だがそれは訊くまでもなく、答えは自分の中にあった。
――ここは、葵の母校の小学校だ。
教室の真ん中で、席を立つ少女がいた。そして自分を推薦した女子生徒の元へ大慌てですっ飛んでいく。肩口で切り揃えられた黒髪が、忙しい動きで大きく揺れた。再び、視界がシンクロした。葵は、この眺めを知っている。
記憶が今、目の前で再生されようとしていた。それはさながら、劇や映画のように。今の葵は観客だった。だから誰にも、感知されない。
教室の窓越しで十七歳の佐伯葵は、九歳の佐伯葵を見下ろしていた。
何故自分が過去を見ているのか、分からないまま見下ろしていた。
暈けた光にさえ眩しさを感じながら、佐伯葵は目を覚ました。
「えと……?」
細く、瞼を開く。何、してたんだっけ。葵はうつらうつら考える。だがそうやって微睡んでいるうちに、少女の妖しげな声を思い出した。
『ヒントをあげるわ。佐伯葵』
「……っ、泰介!」
がばと跳ね起きた瞬間、外光の白さが開いた目に突き刺さった。闇に順応した目はすぐに視力を回復せず、葵は目を庇うように手で抑えた。
そうだ。あの時。突き落とされて。
少女がこちらを、見下ろしていた。
手を降ろすと、ゆっくりと目を開けた。
そして目に飛び込んできた光景に、葵は呆然とする。
廊下の冷たい床。目の前にある教室。三年二組のプレート。
室内に溢れる光りは白く、黒板の上の掛時計は十一時二十分を指している。
この場所は、学校のようだった。教室が横一列に並ぶ廊下の真ん中で、葵は倒れていたらしい。すぐ傍の教室からは、微かな喧騒が聞こえてくる。快活さに満ち溢れた、年若い子供の話し声だ。
牧歌的な、雰囲気だった。
葵は戸惑い、心細さで委縮する。ただ同時に安堵も感じていて、溜息を細く吐き出した。自分は、ちゃんと生きている。正直助からないと思っていた。
だが、安心するには早すぎる。泰介達とはぐれてしまった。
ポケットから携帯を取り出したが、相変わらずの圏外だった。目尻に涙が滲んだが、いけない、と慌てて拭って立ち上がると、葵はまだぼんやりしている頭を必死になって回転させて、もう一度、辺りを見渡した。
そして、驚愕することになる。
「……うそ」
信じられなかった。だがもっと早く気づくべきだった。ぼんやりしていて、それが遅れた。葵は教室に駆け寄ると、窓に張り付いて覗き込んだ。
「先生! ちょっと待ってください!」
教室の中で、一際大きな声が上がった。子供達の中で一人、生徒が挙手して立ったのだ。あっと思わず葵は叫ぶ。その少女を知っていたのだ。
「さくら!」
立ち上がった子供は、葵と同じ二年二組のクラスメイト、秋沢さくらだったのだ。背に流した髪は焦げ茶色だ。さくらは現在髪を染めているが、それ以前から茶髪だった。黒髪の葵にはそれが羨ましかったのを覚えている。
この少女は、間違いなくさくらだった。
だが、それではおかしかった。葵の知る秋沢さくらは高校二年。同級生だ。
それなのに、この姿は何事だろう。今目の前にいるのは、昔のさくらだ。
そして一人に気づくと、全員に気づいた。
教室にいるのは、ずっと昔のクラスメイト達だった。
「……」
動揺が、毒のように心を巡った。あどけない顔で犇めいている、かつてのクラスメイト達。しかもこの中の誰一人として、葵の姿を見ないのだ。
まさかとは思うが、もしかして――見えて、いない?
「はい。秋沢さん」
教師が、挙手するさくらを指名した。この教師にも見覚えがあった。確か藤見先生だ。小学三年の時の担任だ。
「先生! さくは反対です!」
さくらは、ばん! と机を叩いて激昂した。
葵はぽかんとする。目覚めたばかりの葵には、状況がまるで読めなかった。
「そう言ってもね、誰も立候補しないんじゃ仕方ないでしょう?」
対する教師は、投げやりな口調でさくらを諭した。さくらの目が吊り上った。ああ、と葵は頭を抱える。可愛い顔が台無しだ。
「だからって、先生が選んだ人にてきとうに押し付けないでください!」
おお……と教室に、どよめきが広がった。葵も思わず同じ反応をしてしまう。論争の議題は知らないが、どうやらさくらが優勢だ。
その時ふと、葵は既視感を覚えた。
あれ? と疑問に思う間に、話が少し進んでしまった。
「私、推薦します」と、さくらに同調した誰かが、続いて席を立ち上がった。
その女子生徒にも、見覚えがあると気付いた時――ぱちん、と。頭の中で何かが弾けた。
脳裏を駆けた、記憶があった。空気までもが鮮やかに、自分の中へ舞い戻る。葵の視線が少しずれて、歪み、教室の中へシフトする。そしてある一点で落ち着いて、そのままぴたりと固定された。
「葵ちゃんを、推薦します」
その声を葵は、教室の外で、中で、聞いていた。
チャイムが鳴って、子供達が席を立った。わあっと歓声を上げながら、廊下に立つ女子高生を素通りして、元気に外へ駆けていく。
葵は、窓に手をついた。
「うそ……」
眼前の眺めが、信じられなかった。
――ここはどこ?
葵は問う。自分をこの場所へ突き落した、おそらくは宮崎侑という少女に、葵は質問を投げかける。
だがそれは訊くまでもなく、答えは自分の中にあった。
――ここは、葵の母校の小学校だ。
教室の真ん中で、席を立つ少女がいた。そして自分を推薦した女子生徒の元へ大慌てですっ飛んでいく。肩口で切り揃えられた黒髪が、忙しい動きで大きく揺れた。再び、視界がシンクロした。葵は、この眺めを知っている。
記憶が今、目の前で再生されようとしていた。それはさながら、劇や映画のように。今の葵は観客だった。だから誰にも、感知されない。
教室の窓越しで十七歳の佐伯葵は、九歳の佐伯葵を見下ろしていた。
何故自分が過去を見ているのか、分からないまま見下ろしていた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる