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2 死んだクラスメイトは誰か
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「泰介、ごめんね」
葵にそう言われたのは、電車から降りた時の事だった。
泰介は何を謝られたのかよく分からず、隣を歩く葵を見下ろす。見下ろすといっても、小柄な葵よりは確実に高いという程度で、男子生徒の平均と比較するとやや低い身長だったが。
「朝早く押しかけちゃって。泰介のお母さんにも迷惑だったかな、って」
葵はそう言うと、少し俯いた。ああそんな事か、と泰介は首を横に振る。
「別に。そんなの気にすんな」
「そっか。でも、ごめんね。……あと、ありがと」
葵は弱々しく微笑んだが、その顔色はまだ相当悪かった。今にもプレッシャーに負けて倒れてしまいそうな姿は、隣を歩いていてとても不安だ。
「おい……」
「あ……、大丈夫だから」
葵がぱっと顔を上げて、違うというように手を振る。それから何事もなかったかのような顔で、改札口に定期を通した。
「ごめん、顔色悪いって気にしてくれてるでしょ。びっくりしちゃっただけだから、平気」
「……」
「やだ、気にしないでよ。ほんとに、大丈夫だから」
葵は気丈に振る舞って笑ったが、それからすぐに、不謹慎だね、と呟いて表情を悲しげに陰らせた。
弱っている。少なくとも泰介の目に葵はそう映った。
無理もない、とは思う。クラスメイトが死んだという報せを受けただけでもショックだろう。なかなかあるものではない。
だがそれはただ驚かされたというだけで、泰介としては合点がいかない所が多かった。
クラスメイトが、死んだ。
なるほど、それは分かった。
問題は、誰が死んだかだ。
連絡網を受けた母は、ただ泰介達に学校へ急ぐように促しただけだった。泰介は即座に一体誰が死んだのかと詰問したが、母は困惑顔で「分からない」と言うのみだった。
『教室で、泰介達のクラスの生徒達に一番に報せる』
そういった内容らしかった。その話しぶりだと一時間目の授業は全校集会に置き換わるのかもしれない。泰介はやり取りを思い出すと、我知らず唇を噛みしめていた。
「死」という言葉が泰介に与えた衝撃は、そう大きくはない。だが、誰が死んだか分からないままの登校は、凄まじいストレスとなって泰介に圧し掛かった。
誰が、死んだのだろう。自分の友人の顔が幾人か脳裏を過る。そのうちの誰かが死んだクラスメイトかもしれない。そんな予感が胃の底を冷やした。少なくとも、ここにいる佐伯葵ではない。その確証だけが唯一、泰介の理性を繋いでいた。
葵は即座に秋沢さくらや狭山敬といった何人かの友人達へ電話をかけたようだが、朝一では繋がらなかったらしく気もそぞろだ。
先程判明したのだが、葵が今朝息せき切って泰介の自宅へやって来たのもそれが理由だった。
一体何が原因なのか不明だが、どうにも電話が繋がりにくいらしいのだ。
連絡網を受けた葵は、真っ先に泰介へ電話を掛けて安否確認をしたらしいのだが、何回かけても繋がらなかったという。携帯も自宅も話し中のコール音が鳴り響くばかりの状況が続き、不安に駆られてすぐ近くの自宅へ直接駆けつけたというのが今朝の訪問の真相だった。
泰介は携帯を検めたが、やはり葵からの着信履歴はなかった。
そしてそれを聞いた直後、泰介も友人へ電話をかけてみたが、こちらも駄目だった。電話が混線でもしているのだろうかと訝ったが、こんな早朝に何故なのだろうという不信感が拭えない。
結局、この最悪の状況から安息を得る手段など一つしかないのだ。
一刻も早く教室に駆けつけ、真偽を確かめる。それに尽きる。
だが分かっていても、不安は止まらなかった。そしてそんな不安に突き動かされるように、気づけば泰介は口走っていた。
「頭、痛いのか?」
「え?」
葵は突然の泰介の言葉に面食らい、きょとんとしている。泰介ははっと気づくと、何だか体裁が悪くなってぼりぼりと頭を掻いた。
「あー……悪りぃ。俺も朝から、調子あんまりよくなかったから。だからうっかり言っただけだ。忘れろ」
「泰介、もしかして風邪ぶり返したの? 大丈夫?」
「ああ。まあ、お前よりは」
心配が嬉しくないわけではないが、元は失言だったので気恥ずかしい。泰介は素っ気なく悪態で返す。案の定葵は納得がいかなかったらしく、頬を膨らませてむくれた。
「何よう」
「だってお前、さっきまであんなに」
そう言って、ふと泰介は言葉に詰まる。
あんなに、何だろう?
怯えていた? 悲しんでいた? 不安がっていた?
どれも正しいには違いないが、しっくり来ない気がしてしばらく黙り、
「あんなに取り乱してたのに」
結局そう言った。都合のいい台詞だと、何となく思った。
「……泰介」
はっと我に返ると、泰介は足を止めていて、葵が真剣な表情で泰介を見上げていた。真っ直ぐに見つめられた泰介は、たじろぐ。
葵は小首を傾げ、ぽつりと短く言った。
「なんか、怒ってる?」
自分でもびっくりするくらいに、その言葉に過剰に反応した。
「怒ってなんかっ」
泰介は口走って、そして葵から目を逸らし、黙った。
――図星だった。
すとん、と泰介の中で不快に引っ掛かっていた何かが、葵の指摘をきっかけに落ちた。
事実、だった。あっさりと葵に看破されて初めて、現状に対する理不尽さを全て怒りへ変換している自分に気づかされてしまった。
状況そのものに振り回されているような不快感に、わけもなく腹が立っていた。
そんな泰介の心情を、葵はこちらの顔色を見ただけで見抜いてきたらしい。
案外葵よりも、自分の方が参っているのかもしれない。それを思うと、情けなさでさらに苛立つ。だがこの理不尽をぶつける場所はどこにもないのだ。
少しだが、頭が冷えた。
泰介は大きく溜息を吐き、首を横に振る。
「……悪りぃ。苛々してた」
葵はほっと息をついて、安心したように微笑んだ。
「ほんと。しっかりしてよ」
「うるせえよ。朝から泣きついてきた奴の言う台詞かよ」
そう言ってやると、葵の顔が赤くなる。泰介はそんな幼馴染の様子を見て溜飲を下げると、やがて表情を引き締めた。
「急ぐぞ。……敬とさくが着いてるといいけどな」
泰介の言葉に、葵もまた表情を強張らせながら頷く。
「うん。敬君はいるとして、普段だったら考えられないけど、さくら、今日はもういると思うよ。それに………電話、繋がらなかったけど、でも」
「なんだよ?」
「仁科も、来るよね?」
一瞬、両者の間に奇妙な間が開いた。
泰介はやや鼻白んだが、不安げにこちらを覗き込む葵と目が合い、思わず逸らす。そして適当な言葉を探し、すぐには見つからないで結局悪態になった。
「あんな遅刻魔の事なんか、分かんねえよ」
「もう、泰介ってば」
「けど」
「?」
「簡単に死ぬような奴じゃないだろ、あいつは。来るに決まってる」
「……。うん。そうだよね」
駅を抜けて、並木道を二人で足早に歩いた。学ランのポケットに突っ込んだ携帯を引っ張り出して時刻を確認すると、六時十五分。慌てて家を飛び出してきたので、いつもよりかなり早い時間帯だ。
そしてそんな時間差が、毎日のように通る駅前の風景をほんの少しだけ変えていた。早朝の駅前はいつも以上に閑散としていて、並木道を歩く人影は泰介達の他にはサラリーマンやOLが二人ほどいるだけだった。隣を歩く葵を見れば一人ではないと安心できるが、それが気休めである気も少しして、不安でもあった。こんな根拠のない不安は初めて経験するもので、そんなあやふやなものに揺さぶられている自分が情けなく、苛立たしかった。
それに、まだ気になる事もある。
泰介は知らず知らずのうちに、額に手を当てていた。だが頭痛を気にするその仕草を自覚した時、泰介は自己嫌悪を覚え、ぱっと手を下ろした。
風の冷たさに震えた葵が空を振り仰ぎ、釣られて泰介も見上げた空は、現れて間もない太陽の光を受けて、脆い希望のように白く光っていた。
葵にそう言われたのは、電車から降りた時の事だった。
泰介は何を謝られたのかよく分からず、隣を歩く葵を見下ろす。見下ろすといっても、小柄な葵よりは確実に高いという程度で、男子生徒の平均と比較するとやや低い身長だったが。
「朝早く押しかけちゃって。泰介のお母さんにも迷惑だったかな、って」
葵はそう言うと、少し俯いた。ああそんな事か、と泰介は首を横に振る。
「別に。そんなの気にすんな」
「そっか。でも、ごめんね。……あと、ありがと」
葵は弱々しく微笑んだが、その顔色はまだ相当悪かった。今にもプレッシャーに負けて倒れてしまいそうな姿は、隣を歩いていてとても不安だ。
「おい……」
「あ……、大丈夫だから」
葵がぱっと顔を上げて、違うというように手を振る。それから何事もなかったかのような顔で、改札口に定期を通した。
「ごめん、顔色悪いって気にしてくれてるでしょ。びっくりしちゃっただけだから、平気」
「……」
「やだ、気にしないでよ。ほんとに、大丈夫だから」
葵は気丈に振る舞って笑ったが、それからすぐに、不謹慎だね、と呟いて表情を悲しげに陰らせた。
弱っている。少なくとも泰介の目に葵はそう映った。
無理もない、とは思う。クラスメイトが死んだという報せを受けただけでもショックだろう。なかなかあるものではない。
だがそれはただ驚かされたというだけで、泰介としては合点がいかない所が多かった。
クラスメイトが、死んだ。
なるほど、それは分かった。
問題は、誰が死んだかだ。
連絡網を受けた母は、ただ泰介達に学校へ急ぐように促しただけだった。泰介は即座に一体誰が死んだのかと詰問したが、母は困惑顔で「分からない」と言うのみだった。
『教室で、泰介達のクラスの生徒達に一番に報せる』
そういった内容らしかった。その話しぶりだと一時間目の授業は全校集会に置き換わるのかもしれない。泰介はやり取りを思い出すと、我知らず唇を噛みしめていた。
「死」という言葉が泰介に与えた衝撃は、そう大きくはない。だが、誰が死んだか分からないままの登校は、凄まじいストレスとなって泰介に圧し掛かった。
誰が、死んだのだろう。自分の友人の顔が幾人か脳裏を過る。そのうちの誰かが死んだクラスメイトかもしれない。そんな予感が胃の底を冷やした。少なくとも、ここにいる佐伯葵ではない。その確証だけが唯一、泰介の理性を繋いでいた。
葵は即座に秋沢さくらや狭山敬といった何人かの友人達へ電話をかけたようだが、朝一では繋がらなかったらしく気もそぞろだ。
先程判明したのだが、葵が今朝息せき切って泰介の自宅へやって来たのもそれが理由だった。
一体何が原因なのか不明だが、どうにも電話が繋がりにくいらしいのだ。
連絡網を受けた葵は、真っ先に泰介へ電話を掛けて安否確認をしたらしいのだが、何回かけても繋がらなかったという。携帯も自宅も話し中のコール音が鳴り響くばかりの状況が続き、不安に駆られてすぐ近くの自宅へ直接駆けつけたというのが今朝の訪問の真相だった。
泰介は携帯を検めたが、やはり葵からの着信履歴はなかった。
そしてそれを聞いた直後、泰介も友人へ電話をかけてみたが、こちらも駄目だった。電話が混線でもしているのだろうかと訝ったが、こんな早朝に何故なのだろうという不信感が拭えない。
結局、この最悪の状況から安息を得る手段など一つしかないのだ。
一刻も早く教室に駆けつけ、真偽を確かめる。それに尽きる。
だが分かっていても、不安は止まらなかった。そしてそんな不安に突き動かされるように、気づけば泰介は口走っていた。
「頭、痛いのか?」
「え?」
葵は突然の泰介の言葉に面食らい、きょとんとしている。泰介ははっと気づくと、何だか体裁が悪くなってぼりぼりと頭を掻いた。
「あー……悪りぃ。俺も朝から、調子あんまりよくなかったから。だからうっかり言っただけだ。忘れろ」
「泰介、もしかして風邪ぶり返したの? 大丈夫?」
「ああ。まあ、お前よりは」
心配が嬉しくないわけではないが、元は失言だったので気恥ずかしい。泰介は素っ気なく悪態で返す。案の定葵は納得がいかなかったらしく、頬を膨らませてむくれた。
「何よう」
「だってお前、さっきまであんなに」
そう言って、ふと泰介は言葉に詰まる。
あんなに、何だろう?
怯えていた? 悲しんでいた? 不安がっていた?
どれも正しいには違いないが、しっくり来ない気がしてしばらく黙り、
「あんなに取り乱してたのに」
結局そう言った。都合のいい台詞だと、何となく思った。
「……泰介」
はっと我に返ると、泰介は足を止めていて、葵が真剣な表情で泰介を見上げていた。真っ直ぐに見つめられた泰介は、たじろぐ。
葵は小首を傾げ、ぽつりと短く言った。
「なんか、怒ってる?」
自分でもびっくりするくらいに、その言葉に過剰に反応した。
「怒ってなんかっ」
泰介は口走って、そして葵から目を逸らし、黙った。
――図星だった。
すとん、と泰介の中で不快に引っ掛かっていた何かが、葵の指摘をきっかけに落ちた。
事実、だった。あっさりと葵に看破されて初めて、現状に対する理不尽さを全て怒りへ変換している自分に気づかされてしまった。
状況そのものに振り回されているような不快感に、わけもなく腹が立っていた。
そんな泰介の心情を、葵はこちらの顔色を見ただけで見抜いてきたらしい。
案外葵よりも、自分の方が参っているのかもしれない。それを思うと、情けなさでさらに苛立つ。だがこの理不尽をぶつける場所はどこにもないのだ。
少しだが、頭が冷えた。
泰介は大きく溜息を吐き、首を横に振る。
「……悪りぃ。苛々してた」
葵はほっと息をついて、安心したように微笑んだ。
「ほんと。しっかりしてよ」
「うるせえよ。朝から泣きついてきた奴の言う台詞かよ」
そう言ってやると、葵の顔が赤くなる。泰介はそんな幼馴染の様子を見て溜飲を下げると、やがて表情を引き締めた。
「急ぐぞ。……敬とさくが着いてるといいけどな」
泰介の言葉に、葵もまた表情を強張らせながら頷く。
「うん。敬君はいるとして、普段だったら考えられないけど、さくら、今日はもういると思うよ。それに………電話、繋がらなかったけど、でも」
「なんだよ?」
「仁科も、来るよね?」
一瞬、両者の間に奇妙な間が開いた。
泰介はやや鼻白んだが、不安げにこちらを覗き込む葵と目が合い、思わず逸らす。そして適当な言葉を探し、すぐには見つからないで結局悪態になった。
「あんな遅刻魔の事なんか、分かんねえよ」
「もう、泰介ってば」
「けど」
「?」
「簡単に死ぬような奴じゃないだろ、あいつは。来るに決まってる」
「……。うん。そうだよね」
駅を抜けて、並木道を二人で足早に歩いた。学ランのポケットに突っ込んだ携帯を引っ張り出して時刻を確認すると、六時十五分。慌てて家を飛び出してきたので、いつもよりかなり早い時間帯だ。
そしてそんな時間差が、毎日のように通る駅前の風景をほんの少しだけ変えていた。早朝の駅前はいつも以上に閑散としていて、並木道を歩く人影は泰介達の他にはサラリーマンやOLが二人ほどいるだけだった。隣を歩く葵を見れば一人ではないと安心できるが、それが気休めである気も少しして、不安でもあった。こんな根拠のない不安は初めて経験するもので、そんなあやふやなものに揺さぶられている自分が情けなく、苛立たしかった。
それに、まだ気になる事もある。
泰介は知らず知らずのうちに、額に手を当てていた。だが頭痛を気にするその仕草を自覚した時、泰介は自己嫌悪を覚え、ぱっと手を下ろした。
風の冷たさに震えた葵が空を振り仰ぎ、釣られて泰介も見上げた空は、現れて間もない太陽の光を受けて、脆い希望のように白く光っていた。
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