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夜の帳が世界を暗黒に包み、暗黒の中から恐ろしい獣の遠吠えが鳴り響いている。アルフォンソは目覚めた。金縛りだ。
扉がギィっと開いた。美しい金髪の少女、ガラテアが来た。
アルフォンソは彼女が今度は何をするのかと、幾ばくか緊張したが、首にかけている十字架を思い出し心を落ち着かせた。
ガラテアはアルフォンソに近づき、そうして、彼の胸元にある十字架を見つけた。彼女はどうしても勝つことができない恋敵を見る乙女のような、悔しげで悲しい面立ちで十字架を見つめた。
――『レマ・サバクタニ』
アルフォンソはかすかに、そんなヘブライ語が聞こえたような気がした。
ガラテアは冷や汗をかいているアルフォンソに顔を向け、語りだした。
「……愛は、何よりも強いんです、アルフォンソ様。善も、悪も。罪も、赦しも。全も、個も。戦争も、平和も……それに、人も、神も。皆、愛の前ではかしずいて、無力になってしまうのです。
そんな薄汚れた偽物の愛に、真実の愛が負けることはありません。そうでしょう? アルフォンソ様……」
彼女は語り終えると、手に持っていたペンの先にチュッと口づけをし、ペンをアルフォンソの腹の上へもっていった。
ガラテアはペンをアルフォンソの臍へ入れようとする。が、何かの力によって阻まれているのか、臍のすぐ上あたりでペンが止まっている。ガラテアは必死にペンを入れようと力を入れている様子だが、やはりできない。
――神に栄光あれ!!
ガラテアはペンを手元に戻した。アルフォンソは自身の胸の内で、勝利を祝った。
しかし、ガラテアは目を細め、深く濁った泥のような愛を込めた眼差しでアルフォンソを見つめている。諦めていないのは明らかだった。
ガラテアはまたペンをかざした。
そして――――「愛は何よりも強いのです。アルフォンソ様」と、彼女は呟いた。
アルフォンソは目を見開いた。
ガラテアは自身の臍にペンを入れた。
ぐちゅぐちゅと、彼女が自身の中をかきまわす音が聞こえる。ガラテアはやや苦しげに、しかし恍惚したような表情をしながら、ペンを動かしている。――狂っている!――アルフォンソは思った。
ガラテアは臍からペンを離す。黒々とした彼女の墨が、ペン先からたれた。
彼女は彼女の墨がついたペンを、アルフォンソの腕に向けた。
そうして――――アルフォンソの体に文字を書き始めた。
激痛が走る。ぐあっ、と声を出しそうになるができない。ガラテアのペン先は止まらない。
ガラテアはアルフォンソの服の上から、ナイフで刻むように、ペンで文字を書いている。アルフォンソは神経から感じる筆跡から、次のような文字が書かれていることがわかった。
――――愛しています
ガラテアはアルフォンソのいたるところに、愛を書いている。何故十字架は私を守らないのか、と彼は嘆いたが、頭の中では彼女のこの言葉がリフレインした。
――墨は何よりも強いのです
……ガラテアは愛を書いている。自身の墨で、愛おしげに書いている。愛しい者の腕と脚、手、足、指、爪、腰、胸、頭、いたるところ全てに愛を書いている。ペンはアルフォンソから血を吹き出させ、彼女の墨と交わり、一体となる。ときおり彼女は、一体となった愛を指ですくい上げ、愛がついた指先を自身の臍の中に入れている。愛が彼女の内に入ると、彼女は喜びと情愛に満ちた淫靡な顔を見せ、そしてまた、アルフォンソの体に愛を記す行為を続ける。
数十分か経った後、アルフォンソの身体は愛に満ち溢れた。しかし、一つだけ愛のない部分があった。
臍である。
ガラテアは臍を覗き込むように顔を近づけて、その後痛みで息も絶え絶えなアルフォンソを見つめ、語った。
「うっとりとするような、愛しい貴方の臍……。この臍から、貴方の一番の愛が生まれるんです。
覚えてますか? 私が貴方にこの姿を見せた時のこと……。この臍から、貴方の愛を使ってマリアへ手紙を送った日のこと……。
墨は真実のみ語る。真に、真に、そうなんです。アルフォンソ様。貴方の愛を使って送った手紙は、多少の加飾はあれど貴方の本心に他なりません」
そう言われ、アルフォンソはマリアが話していた血の手紙の内容について思い出した。『ここで書くのも恐ろしいような、私への激しい罵倒と、あなたが【ガラテア】という女性を深く愛していることが書かれていました。』
マリアに悪感情などない、とアルフォンソは考えたが、しかし確かに、マリアが貴族流の慎み深さから、本心をはっきりと言わないことにもどかしさと苛立ちを感じていたのを思い出した。
アルフォンソの心中にマリアへの様々な感情が渦巻く。そうする内、彼は彼にとって恐ろしいことに気づいてしまった。
――そういえば、マリアからはっきりと愛してる等と言われたことはない。それに、マリアは結局のところ血の手紙ばかり気にして、私の愛の手紙には返事をしなかった。
――つまり、私は両思いだと一人合点して、マリアへ一方的な恋をしていただけだった……?
愛は真実を語る。アルフォンソはその言葉が真のように思えた。
――とすると、俺はやはり、ガラテアをこそ愛している……
アルフォンソは、恐怖と痛みではなく、愛情――――と諦念――――に満ちた顔でガラテアを見つめた。
……アルフォンソの首にかけていた十字架はいつの間にか外れていた。
「……アルフォンソ様!! 愛しています!!」
ガラテアは目に涙を浮かべながら、幸福の面貌をたたえ、喜びに手を震わせてペンを持ち、アルフォンソの臍にペンを向け、違わぬようにゆっくりと慎重に、ペン先を臍へ……
扉がギィっと開いた。美しい金髪の少女、ガラテアが来た。
アルフォンソは彼女が今度は何をするのかと、幾ばくか緊張したが、首にかけている十字架を思い出し心を落ち着かせた。
ガラテアはアルフォンソに近づき、そうして、彼の胸元にある十字架を見つけた。彼女はどうしても勝つことができない恋敵を見る乙女のような、悔しげで悲しい面立ちで十字架を見つめた。
――『レマ・サバクタニ』
アルフォンソはかすかに、そんなヘブライ語が聞こえたような気がした。
ガラテアは冷や汗をかいているアルフォンソに顔を向け、語りだした。
「……愛は、何よりも強いんです、アルフォンソ様。善も、悪も。罪も、赦しも。全も、個も。戦争も、平和も……それに、人も、神も。皆、愛の前ではかしずいて、無力になってしまうのです。
そんな薄汚れた偽物の愛に、真実の愛が負けることはありません。そうでしょう? アルフォンソ様……」
彼女は語り終えると、手に持っていたペンの先にチュッと口づけをし、ペンをアルフォンソの腹の上へもっていった。
ガラテアはペンをアルフォンソの臍へ入れようとする。が、何かの力によって阻まれているのか、臍のすぐ上あたりでペンが止まっている。ガラテアは必死にペンを入れようと力を入れている様子だが、やはりできない。
――神に栄光あれ!!
ガラテアはペンを手元に戻した。アルフォンソは自身の胸の内で、勝利を祝った。
しかし、ガラテアは目を細め、深く濁った泥のような愛を込めた眼差しでアルフォンソを見つめている。諦めていないのは明らかだった。
ガラテアはまたペンをかざした。
そして――――「愛は何よりも強いのです。アルフォンソ様」と、彼女は呟いた。
アルフォンソは目を見開いた。
ガラテアは自身の臍にペンを入れた。
ぐちゅぐちゅと、彼女が自身の中をかきまわす音が聞こえる。ガラテアはやや苦しげに、しかし恍惚したような表情をしながら、ペンを動かしている。――狂っている!――アルフォンソは思った。
ガラテアは臍からペンを離す。黒々とした彼女の墨が、ペン先からたれた。
彼女は彼女の墨がついたペンを、アルフォンソの腕に向けた。
そうして――――アルフォンソの体に文字を書き始めた。
激痛が走る。ぐあっ、と声を出しそうになるができない。ガラテアのペン先は止まらない。
ガラテアはアルフォンソの服の上から、ナイフで刻むように、ペンで文字を書いている。アルフォンソは神経から感じる筆跡から、次のような文字が書かれていることがわかった。
――――愛しています
ガラテアはアルフォンソのいたるところに、愛を書いている。何故十字架は私を守らないのか、と彼は嘆いたが、頭の中では彼女のこの言葉がリフレインした。
――墨は何よりも強いのです
……ガラテアは愛を書いている。自身の墨で、愛おしげに書いている。愛しい者の腕と脚、手、足、指、爪、腰、胸、頭、いたるところ全てに愛を書いている。ペンはアルフォンソから血を吹き出させ、彼女の墨と交わり、一体となる。ときおり彼女は、一体となった愛を指ですくい上げ、愛がついた指先を自身の臍の中に入れている。愛が彼女の内に入ると、彼女は喜びと情愛に満ちた淫靡な顔を見せ、そしてまた、アルフォンソの体に愛を記す行為を続ける。
数十分か経った後、アルフォンソの身体は愛に満ち溢れた。しかし、一つだけ愛のない部分があった。
臍である。
ガラテアは臍を覗き込むように顔を近づけて、その後痛みで息も絶え絶えなアルフォンソを見つめ、語った。
「うっとりとするような、愛しい貴方の臍……。この臍から、貴方の一番の愛が生まれるんです。
覚えてますか? 私が貴方にこの姿を見せた時のこと……。この臍から、貴方の愛を使ってマリアへ手紙を送った日のこと……。
墨は真実のみ語る。真に、真に、そうなんです。アルフォンソ様。貴方の愛を使って送った手紙は、多少の加飾はあれど貴方の本心に他なりません」
そう言われ、アルフォンソはマリアが話していた血の手紙の内容について思い出した。『ここで書くのも恐ろしいような、私への激しい罵倒と、あなたが【ガラテア】という女性を深く愛していることが書かれていました。』
マリアに悪感情などない、とアルフォンソは考えたが、しかし確かに、マリアが貴族流の慎み深さから、本心をはっきりと言わないことにもどかしさと苛立ちを感じていたのを思い出した。
アルフォンソの心中にマリアへの様々な感情が渦巻く。そうする内、彼は彼にとって恐ろしいことに気づいてしまった。
――そういえば、マリアからはっきりと愛してる等と言われたことはない。それに、マリアは結局のところ血の手紙ばかり気にして、私の愛の手紙には返事をしなかった。
――つまり、私は両思いだと一人合点して、マリアへ一方的な恋をしていただけだった……?
愛は真実を語る。アルフォンソはその言葉が真のように思えた。
――とすると、俺はやはり、ガラテアをこそ愛している……
アルフォンソは、恐怖と痛みではなく、愛情――――と諦念――――に満ちた顔でガラテアを見つめた。
……アルフォンソの首にかけていた十字架はいつの間にか外れていた。
「……アルフォンソ様!! 愛しています!!」
ガラテアは目に涙を浮かべながら、幸福の面貌をたたえ、喜びに手を震わせてペンを持ち、アルフォンソの臍にペンを向け、違わぬようにゆっくりと慎重に、ペン先を臍へ……
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