洋墨人形

古郷智恵

文字の大きさ
上 下
6 / 7

6

しおりを挟む
 夜の帳が世界を暗黒に包み、暗黒の中から恐ろしい獣の遠吠えが鳴り響いている。アルフォンソは目覚めた。金縛りだ。

 扉がギィっと開いた。美しい金髪の少女、ガラテアが来た。

 アルフォンソは彼女が今度は何をするのかと、幾ばくか緊張したが、首にかけている十字架を思い出し心を落ち着かせた。

 ガラテアはアルフォンソに近づき、そうして、彼の胸元にある十字架を見つけた。彼女はどうしても勝つことができない恋敵を見る乙女のような、悔しげで悲しい面立ちで十字架を見つめた。

 ――『レマ・サバクタニなぜ、私をお見捨てになさったの?

 アルフォンソはかすかに、そんなヘブライ語が聞こえたような気がした。

 ガラテアは冷や汗をかいているアルフォンソに顔を向け、語りだした。

 「……愛は、何よりも強いんです、アルフォンソ様。善も、悪も。罪も、赦しも。全も、個も。戦争も、平和も……それに、人も、神も。皆、愛の前ではかしずいて、無力になってしまうのです。
 そんな薄汚れた偽物の愛に、真実の愛が負けることはありません。そうでしょう? アルフォンソ様……」

 彼女は語り終えると、手に持っていたペンの先にチュッと口づけをし、ペンをアルフォンソの腹の上へもっていった。

 ガラテアはペンをアルフォンソの臍へ入れようとする。が、何かの力によって阻まれているのか、臍のすぐ上あたりでペンが止まっている。ガラテアは必死にペンを入れようと力を入れている様子だが、やはりできない。

 ――神に栄光あれ!!グローリア!!
 
 ガラテアはペンを手元に戻した。アルフォンソは自身の胸の内で、勝利を祝った。

 しかし、ガラテアは目を細め、深く濁った泥のような愛を込めた眼差しでアルフォンソを見つめている。諦めていないのは明らかだった。

 ガラテアはまたペンをかざした。


 そして――――「愛は何よりも強いのです。アルフォンソ様」と、彼女は呟いた。



 アルフォンソは目を見開いた。




 



 
 ぐちゅぐちゅと、彼女が自身の中をかきまわす音が聞こえる。ガラテアはやや苦しげに、しかし恍惚したような表情をしながら、ペンを動かしている。――狂っている!――アルフォンソは思った。

 ガラテアは臍からペンを離す。黒々とした彼女のが、ペン先からたれた。

 彼女は墨がついたペンを、アルフォンソの腕に向けた。




 そうして――――アルフォンソの体に文字を書き始めた。




 激痛が走る。ぐあっ、と声を出しそうになるができない。ガラテアのペン先は止まらない。

 ガラテアはアルフォンソの服の上から、ナイフで刻むように、ペンで文字を書いている。アルフォンソは神経から感じる筆跡から、次のような文字が書かれていることがわかった。

 ――――愛していますlove
 
 ガラテアはアルフォンソのいたるところに、愛を書いている。何故十字架は私を守らないのか、と彼は嘆いたが、頭の中では彼女のこの言葉がリフレイン繰り返した。



 ――は何よりも強いのです



 ……ガラテアは愛を書いている。自身ので、愛おしげに書いている。愛しい者の腕と脚、手、足、指、爪、腰、胸、頭、いたるところ全てに愛を書いている。ペンはアルフォンソからを吹き出させ、彼女のと交わり、一体となる。ときおり彼女は、一体となった愛を指ですくい上げ、愛がついた指先を自身の臍の中に入れている。愛が彼女の内に入ると、彼女は喜びと情愛に満ちた淫靡な顔を見せ、そしてまた、アルフォンソの体に愛を記す行為を続ける。


 数十分か経った後、アルフォンソの身体は。しかし、一つだけ愛のない部分があった。
 臍である。

 ガラテアは臍を覗き込むように顔を近づけて、その後痛みで息も絶え絶えなアルフォンソを見つめ、語った。

 「うっとりとするような、愛しい貴方の臍……。この臍から、貴方の一番の愛が生まれるんです。
 覚えてますか? 私が貴方にこの姿を見せた時のこと……。この臍から、貴方の愛を使ってマリア邪魔者へ手紙を送った日のこと……。
 は真実のみ語る。真に、真に、そうなんです。アルフォンソ様。貴方の愛を使って送った手紙は、多少の加飾はあれど貴方の本心に他なりません」


 そう言われ、アルフォンソはマリアが話していた血の手紙の内容について思い出した。『ここで書くのも恐ろしいような、私への激しい罵倒と、あなたが【ガラテア】という女性を深く愛していることが書かれていました。』

 マリアに悪感情などない、とアルフォンソは考えたが、しかし確かに、マリアが貴族流の慎み深さから、本心をはっきりと言わないことにもどかしさと苛立ちを感じていたのを思い出した。

 アルフォンソの心中にマリアへの様々な感情が渦巻く。そうする内、彼は彼にとって恐ろしいことに気づいてしまった。

 ――そういえば、。それに、マリアは結局のところ血の手紙ばかり気にして、私の

 ――つまり、私は両思いだと一人合点して、マリアへ一方的な恋をしていただけだった……?

 愛は真実を語る。アルフォンソはその言葉が真のように思えた。



 ――とすると、俺はやはり、ガラテアをこそ愛している……



 アルフォンソは、恐怖と痛みではなく、愛情――――と諦念――――に満ちた顔でガラテアを見つめた。

 ……アルフォンソの首にかけていた十字架はいつの間にか外れていた。


 「……アルフォンソ様!! 愛しています!!」


 ガラテアは目に涙を浮かべながら、幸福の面貌をたたえ、喜びに手を震わせてペンを持ち、アルフォンソの臍にペンを向け、違わぬようにゆっくりと慎重に、ペン先を臍へ……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

悪魔様との契約

夢幻成人
ホラー
【宣伝】 執筆中の「赤箱」の宣伝を兼ねて、ショートショートを書きました。ホラー、ミステリー好きの方にはお勧めしてもらいたいくらい内容を濃くしたいと思っています。作品が気に入って頂けたら、お気に入り、感想などを書いて頂けると今後の執筆の励みになります。まだ、書き始めたばかりですがよろしくお願いします。後、「悪魔様との契約」は完結しました。思ったより長くなってしまった。。。 【本編内容】 あなたの望みを何でも叶えてくれるとしたら、あなたは何を望みますか? そして望みを叶える為に何を差し出しますか?

呪われたレンズ:心霊写真家の恐怖

O.K
ホラー
若い写真家の吉田拓也はフリマアプリで激安のカメラレンズを購入し、それを使い始めたところ心霊写真が撮れるようになってしまう。調査を進めると、そのレンズは過去に亡くなった写真家の怨念が宿っていることが判明する。拓也は心霊現象に詳しい友人の美香と共に、寺の住職に相談し、特別な儀式で怨念を解放することに成功する。恐怖を克服した拓也は再びカメラを手に取り、過去の恐怖を乗り越え、新たな情熱を取り戻す。

呪詛人形

斉木 京
ホラー
大学生のユウコは意中のタイチに近づくため、親友のミナに仲を取り持つように頼んだ。 だが皮肉にも、その事でタイチとミナは付き合う事になってしまう。 逆恨みしたユウコはインターネットのあるサイトで、贈った相手を確実に破滅させるという人形を偶然見つける。 ユウコは人形を購入し、ミナに送り付けるが・・・

【短編集】霊感のない僕が体験した奇妙で怖い話

初めての書き出し小説風
ホラー
【短編集】話ホラー家族がおりなす、不思議で奇妙な物語です。 ーホラーゲーム、心霊写真、心霊動画、怖い話が大好きな少し変わった4人家族ー 霊感などない長男が主人公の視点で描かれる、"奇妙"で"不思議"で"怖い話"の短編集。 一部には最後に少しクスっとするオチがある話もあったりするので、怖い話が苦手な人でも読んでくださるとです。 それぞれ短くまとめているので、スキマ時間にサクッと読んでくださると嬉しいです。

怪異相談所の店主は今日も語る

くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。 人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。 なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。 普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。 何故か今日もお客様は訪れる。 まるで導かれるかの様にして。 ※※※ この物語はフィクションです。 実際に語られている”怖い話”なども登場致します。 その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。 とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...