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その9
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「そうそう。無双さんから。何だかとっても切羽詰まった雰囲気だったわ。だから大声で呼んだのに、あんたがうんともすんとも反応しないから」
「はいはい。ごめんなさい」
これ以上小言を食らってはたまらない。小走りになって、電話のあるところまで急ぐ。
「お待たせ、すみません。無双さん」
同学年だが学校が違うし、マジック歴では向こうが圧倒的に先輩なので、微妙に丁寧語を交える。
「そののんびりした様子だと、まだ知らないんだね。大変なことが起きた」
「はい?」
唐突に、しかもいつになく真剣な口調で切り出され、七尾は戸惑った。背後を通過する母の気配を感じつつ、声を潜める。
「何なんですか、大変なことって」
「ワンダーマン、知ってるでしょ」
「子供向けの番組で、マジックのコーナーを持ってるワンダーマン? それなら毎週観てますから、知ってる」
黒覆面をすっぽり被った上に、仮面舞踏会で着用するような白のバタフライ型マスクを付けた仮面のマジシャンだ。目と口元しか露出していないが、二枚目を想像させるのに充分な整った形をしており、全身のスタイルもよく、ちびっ子以外にも人気を博す。背高のシルクハットとシルバーのマントもトレードマークで、演じている間、全く喋らないのは神秘性を強めるためらしい。七尾自身は、マジックにしか興味がないので、当の番組もマジックコーナーだけを楽しみにしている。
「ワンダーマンさんは、ケシン先生のお弟子さんで――」
「へえー。知りませんでした。それだったら同門のよしみで、サインもらえるかも? クラスでプチファンの子が結構いるから」
「残念ながらサインは無理。お亡くなりになったのよ」
「え……」
送受器を握りしめたまま、絶句してしまった。テレビで活躍する有名人が知り合いの知り合いだと教えられ、次にその人物は死んだと告げられては、無理もない。悲しみや驚きよりも先に、訳の分からなさが先に立つ。
「でも、亡くなったって、そんな歳じゃなかったんじゃ……」
「要するに、変死っていうやつ。実際に死んだのは三、四日前なんだそうだけれど、正体不明で売っていたし、死んだときは素顔だったらしいから、秘密が公になるまで時間が掛かったのね。恐らく今日のニュースで嫌でも見掛けるだろうし、夕刊には記事が載るだろうから、詳しいことはそっちを見るなり読むなりして。私も全部は知らない」
「つまり、殺人事件?」
野次馬根性が鎌首を擡げる。知り合いの知り合いと云っても、面識はゼロだし、内々の話なんかをクラスメートに自慢できるかも……。七尾がそんな風に考えたとしても、責められまい。
「まだ分からないみたい。状況は自殺に見えるけれど、他殺かもしれないとか何とか。それよりも、私達にとってもっと大変な事態になっている。他殺としたらの話だけれど、ケシン先生が疑われているみたいなのよ」
二度目の絶句。それを早く云ってほしかった。ミーハー気分は粉微塵に吹き飛ぶ。喉がからからになった気がして、言葉が出ない。
「今日はレクチャーのある日だけれど、レクチャーは中止。でも、教室には出て来ること。
日野さんから事情説明があるから。分かった?」
七尾は黙って二度、首を縦に振ったあと、電話口だったことを思い出した。
「行きます」
レクチャー日には運転手として駆り出されていた横路は今回も、終わったら連絡してくれと云い残し、帰ろうとした。ぼちぼち着手せねばならない仕事を抱えており、気が急く。車のローンのためにも稼がねば。
が、姪に袖を引っ張られ、足を止めざるを得なくなった。
「何だ何だ?」
中学三年に進級した今も依然として小柄な七尾を、困り顔で見下ろす。路駐状態の車も気になる。
「見学して行かない? レクチャー、今日はなくって、代わりに事件の話があるらしいから」
「事件?」
横路は何も聞かされていない。だが、姪が次に口にした、ワンダーマンを名乗るマジシャンが死亡した件は、昼のニュースで知っていた。
「じゃあ、事件の話というのは、君達に動揺を与えないための事情説明ってところなのか」
「多分。僕らはセンシティブな年頃だから、大人は気を遣ってくれるんだね」
「巫山戯てないで、どうしてそれが私が見学することと関係あるのか、教えてくれないか」
「だって」
左手を拳銃または変形チョキの形にし、胸に当ててきた。背が同じくらいならまだ様になるかもしれないが、横路と七尾の身長差では、まるで板書に取り掛かる構図だ。
「作家なんだから。色んなこと知っておいて、損はないと思いますが何か」
おしまいまで云わず、引っ込めた腕を組んで、文句ある?という風に見上げてきた。横路は苦笑混じりに嘆息する。
「刑事さんに直接取材できるのなら、食指も動くけどねえ」
「また断るっ。作家は好奇心旺盛でないと、大成できないっていうよ」
「そうか?」
好奇心の塊みたいな姪から云われた。
ちなみに「“また”断る」とは、横路がマジックスクールそのものの見学に興味を示さなかった過去を差す。そのとき断ったのは、マジックをやってみる気がないのに、下手に種を知っても楽しめなくなるだけと思ったからだが。
「とにかく、行こうよ」
「ひょっとして弥生ちゃん。恐いの?」
「少し恐い」
否定するかと思いきや、簡単に認めた。
「会ったことがなくても、身近な人が死んだんだし、先生が疑われているっていうし……。でも、それと、叔父さんを誘っているのとは話が別よ」
「そういうことにしといてやろう。車をちゃんと停めてくるよ」
締切がぼちぼち迫ってきた短編をどうしようか、その算段を頭の中で立てつつ、横路はキーを取り出した。
「はいはい。ごめんなさい」
これ以上小言を食らってはたまらない。小走りになって、電話のあるところまで急ぐ。
「お待たせ、すみません。無双さん」
同学年だが学校が違うし、マジック歴では向こうが圧倒的に先輩なので、微妙に丁寧語を交える。
「そののんびりした様子だと、まだ知らないんだね。大変なことが起きた」
「はい?」
唐突に、しかもいつになく真剣な口調で切り出され、七尾は戸惑った。背後を通過する母の気配を感じつつ、声を潜める。
「何なんですか、大変なことって」
「ワンダーマン、知ってるでしょ」
「子供向けの番組で、マジックのコーナーを持ってるワンダーマン? それなら毎週観てますから、知ってる」
黒覆面をすっぽり被った上に、仮面舞踏会で着用するような白のバタフライ型マスクを付けた仮面のマジシャンだ。目と口元しか露出していないが、二枚目を想像させるのに充分な整った形をしており、全身のスタイルもよく、ちびっ子以外にも人気を博す。背高のシルクハットとシルバーのマントもトレードマークで、演じている間、全く喋らないのは神秘性を強めるためらしい。七尾自身は、マジックにしか興味がないので、当の番組もマジックコーナーだけを楽しみにしている。
「ワンダーマンさんは、ケシン先生のお弟子さんで――」
「へえー。知りませんでした。それだったら同門のよしみで、サインもらえるかも? クラスでプチファンの子が結構いるから」
「残念ながらサインは無理。お亡くなりになったのよ」
「え……」
送受器を握りしめたまま、絶句してしまった。テレビで活躍する有名人が知り合いの知り合いだと教えられ、次にその人物は死んだと告げられては、無理もない。悲しみや驚きよりも先に、訳の分からなさが先に立つ。
「でも、亡くなったって、そんな歳じゃなかったんじゃ……」
「要するに、変死っていうやつ。実際に死んだのは三、四日前なんだそうだけれど、正体不明で売っていたし、死んだときは素顔だったらしいから、秘密が公になるまで時間が掛かったのね。恐らく今日のニュースで嫌でも見掛けるだろうし、夕刊には記事が載るだろうから、詳しいことはそっちを見るなり読むなりして。私も全部は知らない」
「つまり、殺人事件?」
野次馬根性が鎌首を擡げる。知り合いの知り合いと云っても、面識はゼロだし、内々の話なんかをクラスメートに自慢できるかも……。七尾がそんな風に考えたとしても、責められまい。
「まだ分からないみたい。状況は自殺に見えるけれど、他殺かもしれないとか何とか。それよりも、私達にとってもっと大変な事態になっている。他殺としたらの話だけれど、ケシン先生が疑われているみたいなのよ」
二度目の絶句。それを早く云ってほしかった。ミーハー気分は粉微塵に吹き飛ぶ。喉がからからになった気がして、言葉が出ない。
「今日はレクチャーのある日だけれど、レクチャーは中止。でも、教室には出て来ること。
日野さんから事情説明があるから。分かった?」
七尾は黙って二度、首を縦に振ったあと、電話口だったことを思い出した。
「行きます」
レクチャー日には運転手として駆り出されていた横路は今回も、終わったら連絡してくれと云い残し、帰ろうとした。ぼちぼち着手せねばならない仕事を抱えており、気が急く。車のローンのためにも稼がねば。
が、姪に袖を引っ張られ、足を止めざるを得なくなった。
「何だ何だ?」
中学三年に進級した今も依然として小柄な七尾を、困り顔で見下ろす。路駐状態の車も気になる。
「見学して行かない? レクチャー、今日はなくって、代わりに事件の話があるらしいから」
「事件?」
横路は何も聞かされていない。だが、姪が次に口にした、ワンダーマンを名乗るマジシャンが死亡した件は、昼のニュースで知っていた。
「じゃあ、事件の話というのは、君達に動揺を与えないための事情説明ってところなのか」
「多分。僕らはセンシティブな年頃だから、大人は気を遣ってくれるんだね」
「巫山戯てないで、どうしてそれが私が見学することと関係あるのか、教えてくれないか」
「だって」
左手を拳銃または変形チョキの形にし、胸に当ててきた。背が同じくらいならまだ様になるかもしれないが、横路と七尾の身長差では、まるで板書に取り掛かる構図だ。
「作家なんだから。色んなこと知っておいて、損はないと思いますが何か」
おしまいまで云わず、引っ込めた腕を組んで、文句ある?という風に見上げてきた。横路は苦笑混じりに嘆息する。
「刑事さんに直接取材できるのなら、食指も動くけどねえ」
「また断るっ。作家は好奇心旺盛でないと、大成できないっていうよ」
「そうか?」
好奇心の塊みたいな姪から云われた。
ちなみに「“また”断る」とは、横路がマジックスクールそのものの見学に興味を示さなかった過去を差す。そのとき断ったのは、マジックをやってみる気がないのに、下手に種を知っても楽しめなくなるだけと思ったからだが。
「とにかく、行こうよ」
「ひょっとして弥生ちゃん。恐いの?」
「少し恐い」
否定するかと思いきや、簡単に認めた。
「会ったことがなくても、身近な人が死んだんだし、先生が疑われているっていうし……。でも、それと、叔父さんを誘っているのとは話が別よ」
「そういうことにしといてやろう。車をちゃんと停めてくるよ」
締切がぼちぼち迫ってきた短編をどうしようか、その算段を頭の中で立てつつ、横路はキーを取り出した。
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