誘拐 ~ 幸福の四葉

崎田毅駿

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2.発端

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「四葉」
 目の前が真っ暗になる感覚を、三反薗は初めて味わった。精神を張り詰めていないと、がっくりと膝を折り、その場にくずおれてしまいそうだ。気が付くと、壁に片腕をついていた。
「しかし、何で刑事の子供を……。四葉に限らず、警察に報せるなが誘拐犯の決まり文句だ」
「知りません! そんなことよりも、まず脅迫文を」
 ともに冷静さを欠いていると感じた三反薗は、香織の言に従おうと決めた。お互いが主張を引っ込めないでいたら、事態は悪化するばかりと思えた。
「脅迫文はどんな形式だ?」
 文と言うからには電話じゃないなと推し量りつつ、尋ねる。
「例のマーク入りのやつか?」
 三反薗は、四葉の事件そのものに関わった経験はないが、模倣犯逮捕に一役買ったことはある。その際に、四葉オリジナルのマークについて知った。
 香織は口をつぐんだまま、奥の居間へと向かった。廊下の黄色灯が、いつもより暗く感じられるのは気のせいだろうか。
 上着を脱ぎ捨てながら、居間に入る。蛍光灯の光が白い調度品に反射して、目にまぶしい。レースのテーブルクロスが掛かる食卓の上には、夕げのおかずが半端に並べてあった。
「四時四十分頃だったわ。郵便受けで音がしたから、見に行くと、それが」
 青白い血管の浮く細腕が、卓上の封筒を指し示す。三反薗はすぐ手に取った。宛名や差出人名はないし、切手も貼っていない。その上、元から糊付けされておらず、封の口はきれいなままだ。
「音がしてすぐに覗きに行ったなら、怪しい奴を見かけたんじゃないか?」
「いいえ。他にも郵便物があり、問題の封筒の奇妙な点に気付いたときには、もう相当時間が経ってしまっていて」
 狼狽した様子を見せているものの、話はなかなか理論的だ。
「――指紋」
 はっとして、妻を振り返る三反薗。
「触ったのは私だけよ。でも、四葉が証拠を残しているとは思えませんけれど」
「分からんぞ。念のためだ」
 軍手とハンカチを用意し、改めて中身を取り出す。裏面から透けて見えたのは、四つの特徴的なマークだ。開いて確かめると、間違いなかった。
 文面に目を走らせた三反薗。身体に震えが来た。

<三反薗夏彦様、三反薗香織様へ
 わたくし四葉は、御宅の長女三反薗幸様をお預かりしています。
 つきましては、預かり賃と危機管理講習料として、四千万円を請求いたしま
す。ご検討の上、速やかにお支払いくださるよう、希望します。
 本取り引きの履行が完了した暁には、三反薗幸様を無事に御宅へお返しする
ことを誓約するものです。
 本取り引きの履行に際して、以下の条項を遵守ください。

・三反薗夏彦様、三反薗香織様は、同居人以外に本取り引きの件を一切漏洩し
ないこと。ご親族も例外ではありません。
・前項に違反した場合、いかなる事情があっても、わたくし四葉は三反薗幸様
を殺害いたしますので、ご注意ください。
・当方の事情による、本取り引きの中止があり得ますことを、あらかじめご承
知おきください。
・前項の事態に陥った場合、三反薗幸様を無事お返しできるよう、当方は次善
の努力をいたします。
・本取り引きは、わたくしが金品を受け取り、三反薗幸様を御宅にお返しした
後、三十日間を経過した時点で成立するものとします。

 本取り引きの詳細は、一両日中にお知らせします。その際に、当方が三反薗
幸様をお預かりした証をご提示できることと思います。
 三反薗夏彦様、三反薗香織様におきましては、一刻も早く金策を始められる
ことをご推奨します。

                          六月二日  四葉 >

 金釘文字だった。定規を当てて書いたものかもしれない。字のバランスがよいためか、案外読み易い。ただ、文字サイズが大きいので、短い文章にも関わらず便箋二枚に渡っている。
「四千万……」
 息を飲んだ。払えない額ではない。全貯蓄の他、香織の親から受け継いだ財産を処分すれば届きそうだ。及ばなくても、二日あれば金策で補える範囲だろう。
 三反薗を驚かせたのは、現在の三反薗家で手早く用意できる金の上限が、ちょうどこれくらいになるという事実。四葉は綿密に調べ上げた結果として、四千万円に額を設定したのか?
「どうするの、あなた」
「おまえはどうしたいんだ」
 聞き返すと、香織は聞かれるまでもないとばかりに首を振り、即答した。
「払うわ」
「俺も同じだ。これまでの四葉の手口から言って、命令に従って金を払いさえすれば、無事に解放するはずだ。ただ……幸が帰って来たあとも、事件を表沙汰にできなくなる」
「……」
 香織は尋ね返さなかった。彼女自身も警官だったから、警察組織の性質を知っている。
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