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8.緊縛:皮肉な入れ子
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「私が見てきましょうか」
千ヶ沼が申し出た。そういえば彼女は気配を消さんばかりに静かにして、私と洋氏のやり取りをじっと聞いていたんだよな。まずいことを会話に乗せてしまわなかったか、急に心配になった。
「――いや、その必要はなさそうだ」
洋氏の答に被さるように、足音が近付いてくるのが分かった。現れた家政婦は、遠目からでも汗をかいているのが見て取れた。
「遅かったな。何があった?」
これまで使用人に対してさほどぞんざいな言葉遣いではなかった洋氏も、さすがにいらいらしている。家政婦は「申し訳ございません」と謝りつつ、抱えていた青い工具箱を床に置いた。サイズはランドセルぐらいあるか。そういえばどうして持ち手を掴まずに抱えてきたのだろう?
「この取っ手の部分が壊れていて、針金でぐるぐるにしばってあったんですが、ほとんど意味をなさなくて。逆にかえって蓋を開けるときの邪魔になると思い、はずそうとしたのですが、思いのほか針金がきつくて」
「分かった分かった。私に任せなさい」
そう言ってしゃがみ込み、工具箱の持ち手に手を掛ける洋氏。私も上から覗き込んだ。なるほど、持ち手には番線がぐるぐるに巻かれていた。ご丁寧に端と端とをより合わせて硬くねじってある。
「駄目だ、外せん」
洋氏の声に焦りが混じる。この場にいるもう一人の男として、私は交代を申し出た。力にはまるっきり自信がないが、女性である家政婦や千ヶ沼にやらせる状況ではなかろう。
「うーん――がちがちですね。何か道具がないと開けられそうにない」
しかしその道具は工具箱の中だ。単純なジレンマに内心笑ってしまいそうになる。
「ほんのわずかでも隙間があれば、金属の棒を差し込んでぐるぐる回せそうですけど」
千ヶ沼がアイデアを出したが、残念ながらその隙間が見当たらないのだ。
「ここにいる他の男性を呼びましょう」
私が言うと洋氏は「そうですな」と同意し、家政婦に伝える。
「坂藤さんを呼んで来て。彼の握力なら行けるかもしれない」
「分かりました」
「どこにいるのか分からないのでは。私も手分けして探します」
申し出た千ヶ沼を、洋氏が止める。
「いや、お気持ちだけで結構ですよ。客人にそこまでさせられない。誘拐犯罪に巻き込んでしまっただけでも申し訳ないのに」
「分かりました。でも、今後お手伝いができることがあれば、遠慮なく言ってください。私もできないことはできないときっぱり断りますから」
態度が明確でいい。この緊急時に勝手なことをされるのも困るが、何もしないで岩のように動かないでいるのもまた困る。
「坂藤さんという方は何かスポーツをやってらっしゃるんですか。この硬い針金をほどけるとしたら相当な力がいりますよ」
「特に何というのはやっていないと思う。いや、知らないんだがね。ただ力が強くて、スプーン曲げが流行った頃、試しにやってみたら力任せで曲がったと」
あの“ハンカチのおじさん”がそんなに力持ちだとはちょっと想像しづらい。そもそも、職業が何なのかまだ聞いていないんだった。
「それにしても何でこんな針金を……いつ壊れたのかも分からん」
独りごちている洋氏には尋ねにくかったので、千ヶ沼に坂藤について聞いてみた。彼女が知っている保証はないけれども。
「坂藤さんはこちらの安生寺家とは遠い親戚筋に当たる人ですが、今回のパーティにはあくまでも仕事上のお付き合いがあるということで呼ばれたんですよ確か。そうでしたわね?」
私の気遣いもむなしく、千ヶ沼は洋氏に確認を求めた。
「あ? ああ、そうだよ。坂藤さんは輸入雑貨の品定めをする目利きでね。よい物を安く買い付けてくる。昔からそういう鑑識眼があった」
洋氏が答えたところで、家政婦が戻ってきた。すぐ後ろ、坂藤が着いて来ている。相変わらずハンカチを手に握りしめ、ひーふー言って駆け付けてくれた感じだ。
「お役に立てることがあると聞きましたが何かありましたか」
坂藤が言った。呼吸は意外と乱れていない。
「細かい説明はあとでする。とにかく、この工具箱を開けられるよう、針金を外してもらいたい」
「針金? 工具箱に針金ってどういう……ああ」
工具箱の現状を目の当たりにして、彼も飲み込めたらしい。何度かうなずくと、腕まくりをした。
「何でまたこんなことに」
「分からない。脇尾さんが見たときにはこうなっていたようだ。それよりも早く頼む。実は、弟が部屋で倒れてるみたいなんだ」
「ええ?」
「ドアを開けようとすると、チェーンが掛かっていてね。開けるために工具が、ペンチか何かがいる」
「分かりました。超特急で――」
手にしていたハンカチをそのまま針金の捻り部分にあてがい、指先に力を込める坂藤。肩から腕に掛けての筋肉の動きが見て取れる。
「痛っ」
突如の短い悲鳴。坂藤が右手の人差し指を口元に持って行く。針金の端で切ったか? 口から戻した指先は血が滲んで赤くなっていく。
「大丈夫かね? 無理はするな。確実に開けてくれればいいのだから」
「いや、でも吉平さんが倒れているとなると悠長に構えていられません」
血を止めることも治療もせずに、再び針金をほどこうとする坂藤。ハンカチの色は茶系統なのだが、そこにも血が染みていくのが分かった。
「――外れた!」
程なくして坂藤が叫んだ。言葉の通り、より合わさっていた針金の両端は二つに分かれ、工具箱の蓋も開けられるようになっていた。
続く
千ヶ沼が申し出た。そういえば彼女は気配を消さんばかりに静かにして、私と洋氏のやり取りをじっと聞いていたんだよな。まずいことを会話に乗せてしまわなかったか、急に心配になった。
「――いや、その必要はなさそうだ」
洋氏の答に被さるように、足音が近付いてくるのが分かった。現れた家政婦は、遠目からでも汗をかいているのが見て取れた。
「遅かったな。何があった?」
これまで使用人に対してさほどぞんざいな言葉遣いではなかった洋氏も、さすがにいらいらしている。家政婦は「申し訳ございません」と謝りつつ、抱えていた青い工具箱を床に置いた。サイズはランドセルぐらいあるか。そういえばどうして持ち手を掴まずに抱えてきたのだろう?
「この取っ手の部分が壊れていて、針金でぐるぐるにしばってあったんですが、ほとんど意味をなさなくて。逆にかえって蓋を開けるときの邪魔になると思い、はずそうとしたのですが、思いのほか針金がきつくて」
「分かった分かった。私に任せなさい」
そう言ってしゃがみ込み、工具箱の持ち手に手を掛ける洋氏。私も上から覗き込んだ。なるほど、持ち手には番線がぐるぐるに巻かれていた。ご丁寧に端と端とをより合わせて硬くねじってある。
「駄目だ、外せん」
洋氏の声に焦りが混じる。この場にいるもう一人の男として、私は交代を申し出た。力にはまるっきり自信がないが、女性である家政婦や千ヶ沼にやらせる状況ではなかろう。
「うーん――がちがちですね。何か道具がないと開けられそうにない」
しかしその道具は工具箱の中だ。単純なジレンマに内心笑ってしまいそうになる。
「ほんのわずかでも隙間があれば、金属の棒を差し込んでぐるぐる回せそうですけど」
千ヶ沼がアイデアを出したが、残念ながらその隙間が見当たらないのだ。
「ここにいる他の男性を呼びましょう」
私が言うと洋氏は「そうですな」と同意し、家政婦に伝える。
「坂藤さんを呼んで来て。彼の握力なら行けるかもしれない」
「分かりました」
「どこにいるのか分からないのでは。私も手分けして探します」
申し出た千ヶ沼を、洋氏が止める。
「いや、お気持ちだけで結構ですよ。客人にそこまでさせられない。誘拐犯罪に巻き込んでしまっただけでも申し訳ないのに」
「分かりました。でも、今後お手伝いができることがあれば、遠慮なく言ってください。私もできないことはできないときっぱり断りますから」
態度が明確でいい。この緊急時に勝手なことをされるのも困るが、何もしないで岩のように動かないでいるのもまた困る。
「坂藤さんという方は何かスポーツをやってらっしゃるんですか。この硬い針金をほどけるとしたら相当な力がいりますよ」
「特に何というのはやっていないと思う。いや、知らないんだがね。ただ力が強くて、スプーン曲げが流行った頃、試しにやってみたら力任せで曲がったと」
あの“ハンカチのおじさん”がそんなに力持ちだとはちょっと想像しづらい。そもそも、職業が何なのかまだ聞いていないんだった。
「それにしても何でこんな針金を……いつ壊れたのかも分からん」
独りごちている洋氏には尋ねにくかったので、千ヶ沼に坂藤について聞いてみた。彼女が知っている保証はないけれども。
「坂藤さんはこちらの安生寺家とは遠い親戚筋に当たる人ですが、今回のパーティにはあくまでも仕事上のお付き合いがあるということで呼ばれたんですよ確か。そうでしたわね?」
私の気遣いもむなしく、千ヶ沼は洋氏に確認を求めた。
「あ? ああ、そうだよ。坂藤さんは輸入雑貨の品定めをする目利きでね。よい物を安く買い付けてくる。昔からそういう鑑識眼があった」
洋氏が答えたところで、家政婦が戻ってきた。すぐ後ろ、坂藤が着いて来ている。相変わらずハンカチを手に握りしめ、ひーふー言って駆け付けてくれた感じだ。
「お役に立てることがあると聞きましたが何かありましたか」
坂藤が言った。呼吸は意外と乱れていない。
「細かい説明はあとでする。とにかく、この工具箱を開けられるよう、針金を外してもらいたい」
「針金? 工具箱に針金ってどういう……ああ」
工具箱の現状を目の当たりにして、彼も飲み込めたらしい。何度かうなずくと、腕まくりをした。
「何でまたこんなことに」
「分からない。脇尾さんが見たときにはこうなっていたようだ。それよりも早く頼む。実は、弟が部屋で倒れてるみたいなんだ」
「ええ?」
「ドアを開けようとすると、チェーンが掛かっていてね。開けるために工具が、ペンチか何かがいる」
「分かりました。超特急で――」
手にしていたハンカチをそのまま針金の捻り部分にあてがい、指先に力を込める坂藤。肩から腕に掛けての筋肉の動きが見て取れる。
「痛っ」
突如の短い悲鳴。坂藤が右手の人差し指を口元に持って行く。針金の端で切ったか? 口から戻した指先は血が滲んで赤くなっていく。
「大丈夫かね? 無理はするな。確実に開けてくれればいいのだから」
「いや、でも吉平さんが倒れているとなると悠長に構えていられません」
血を止めることも治療もせずに、再び針金をほどこうとする坂藤。ハンカチの色は茶系統なのだが、そこにも血が染みていくのが分かった。
「――外れた!」
程なくして坂藤が叫んだ。言葉の通り、より合わさっていた針金の両端は二つに分かれ、工具箱の蓋も開けられるようになっていた。
続く
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