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5.異変:遅延と密室?
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よくあるパターンとはつまり……人物Aが何らかの食べ物を口にして倒れ、「水、水」と口走る。騒然とする中、人物BがAに駆け寄って水を飲ませる。が、その甲斐なくAは毒で死んでしまう。警察の捜査により、Aの体内及び口にした食べ物の残りから毒が検出されたが、動機があり、かつ食べ物に毒を入れる機会のあった者はいない。さて犯人はどうやって殺したのか。答は、駆け寄ったBの飲ませた水に毒が入っていた。Aが死んで大騒ぎになったのに乗じて、コップはすぐに回収して洗い、食べ物にも毒をこっそり振りかけておく。なおBが犯人とは限らない……とまあ、こんな感じのやつだ。
これを公共の乗り物の中でやるのは犯人にとってどこから目撃されているか分からないなど、リスクが高そうで、かなり大胆な犯行になるが、不可能ではあるまい。
私がこういった思い付きを伝えると、電話の向こうで蹴鞠屋は「そうそう、分かってるじゃないか」と言ってきた。よほどのオーバージェスチャをしているのだろう、衣擦れの音まで電話が拾ったようだ。
「今日の事件の場合は、女性が渡した水に毒が入っていた」
「うん? ていうことは、実行犯には逃げられたのかい? 君が拘束していたのは撮影者だけなんだろう?」
「甘く見ないでもらいたいね。僕は列車がホームに着く前に、くだんの女性にも声を掛けておいた。というのも、倒れた男が死亡したことに予想以上に怯えている風に見えたのだよ。彼女が真に実行犯であるなら、このあと電車が駅に滑り込んでドアが開くなり、人混みにまぎれて逃げるはずだ。だけどあんなに動揺していては、周りの客だって不審に感じる。簡単には逃走できない。これはおかしいなと踏んで、『何も心当たりがないのなら、逃げない方がいいですよ』と言葉を掛けたんだ。すべては撮影されているから逃げなくても大丈夫と落ち着かせたところで、『それよりもあのペットボトルはあなたの持ち物ですか』と聞いたら、首を横に振る。そして倒れた男を指差しながら、『電車の中でちょっとした芝居を撮るから、このペットボトルを倒れた僕に渡してくれないかと頼まれた』と証言したよ。この証言を信じるなら、撮影者が怪しくなる。毒入りのペットボトルを女性に託したのが被害者本人となると、撮影者の殺人への関与が困難になる」
「撮影者が仲間の男を毒殺し、罪を見ず知らずの女性になすりつけようとしたってことかい?」
「僕がその線で撮影者を問い詰めたら、認めたよ。そこで御役御免になれたらよかったんだが、捜査に当たった警察から、一緒に来て事情を聞かせてくれと頼まれてしまって」
事件を解決したのはいいが、とんだことで足止めを食らった訳か。
「おいおい、どうするんだ? さっき伝えたように、こちらは現在進行形の事件だぜ。到着が遅れれば遅れるほど、不利になる可能性が高いんじゃないか」
「かもしれない。今から村田刑事に連絡して、事情を伝えて早期に解放するよう、口添えを頼もうと考えたんだが、安生寺家が巻き込まれた事件については村田刑事相手でも話せないだろ?」
「それもそうか」
「だから他の理由付けをひねり出してやってみるつもりだ。それが成功したとしても、もうしばらくは掛かるだろう。本当にすまない」
「分かった。こちらのことは任せてくれ。安生寺さん達にはうまく言っておくよ」
「頼んだよ。ああ、もう時間だ」
警察官らしき野太い声が背景に聞こえ、電話は慌ただしく切られた。
やれやれ。どうしたものか。
名探偵の行くところに事件ありというのは、真実のようだ。たとえ偶然にしろ、事件が蹴鞠屋のような探偵を引き寄せているとしか思えない。
そのこと自体は事件の早い解決につながるからいいとして、他の事件の解決に遅延をもたらしかねないのは困る。私はまだ第三者的立場だから、「困る」の一言で済ませられるが、依頼者である安生寺洋氏にとってはそれどころではなかろう。極端な言い方をするなら、充分な謝礼を出す用意があって依頼を受けてもらったのに、独占的に事件解決に尽力せず、他の事件に首を突っ込み、無償で解決してやるとは契約違反だ!とでもなるかもしれない。冗談抜きで、大事な我が子を誘拐された親がどれほど取り乱すことがあるかは、私自身も傍らから目の当たりにした経験がある。
気が重いが、遅れそうだということだけでも伝えておかねばなるまい。踏切の不具合が起きたとでもしておこうか。もしあとで調べられたら、嘘がばれる恐れ、なきにしもあらずだが。
私が「うーん」と唸りながら部屋を出たところへ、廊下の突き当たりに人影が現れた。「――唸ってなんかいて、どうかされました?」
千ヶ沼令子だった。彼女は明らかに何か言い掛けていたのをやめ質問してきたのが、私には分かる。
「私のような凡人は今後の展開を想像すると、悪いことばかり思い浮かべてしまうんです。蹴鞠屋が来れば多少は安心度がアップするんですが」
とりあえずそう答えて、相手の言葉を待つ。
「そうでしたか。実は呼びに来たんです。安生寺さん――洋さんに頼まれて」
「誘拐犯が動いたんですか?」
蹴鞠屋が来ない内から――という思いから、総毛立つ心地を味わった。いざとなったら、電話を通して状況を逐一、蹴鞠屋に伝えるしかない。
「いいえ、それが何だかおかしな具合で」
とにかくこちらへという千ヶ沼に着いていく。案内された先は、玄関にほど近い大きめの部屋で、確か洋氏の弟、吉平が使っているはず。ドアの前には洋氏と家政婦もいた。
「何かあったのですか」
「吉平に用があって来たんだが、呼んでも返事がない。開けようとしたが、鍵が掛かっている」
続く
これを公共の乗り物の中でやるのは犯人にとってどこから目撃されているか分からないなど、リスクが高そうで、かなり大胆な犯行になるが、不可能ではあるまい。
私がこういった思い付きを伝えると、電話の向こうで蹴鞠屋は「そうそう、分かってるじゃないか」と言ってきた。よほどのオーバージェスチャをしているのだろう、衣擦れの音まで電話が拾ったようだ。
「今日の事件の場合は、女性が渡した水に毒が入っていた」
「うん? ていうことは、実行犯には逃げられたのかい? 君が拘束していたのは撮影者だけなんだろう?」
「甘く見ないでもらいたいね。僕は列車がホームに着く前に、くだんの女性にも声を掛けておいた。というのも、倒れた男が死亡したことに予想以上に怯えている風に見えたのだよ。彼女が真に実行犯であるなら、このあと電車が駅に滑り込んでドアが開くなり、人混みにまぎれて逃げるはずだ。だけどあんなに動揺していては、周りの客だって不審に感じる。簡単には逃走できない。これはおかしいなと踏んで、『何も心当たりがないのなら、逃げない方がいいですよ』と言葉を掛けたんだ。すべては撮影されているから逃げなくても大丈夫と落ち着かせたところで、『それよりもあのペットボトルはあなたの持ち物ですか』と聞いたら、首を横に振る。そして倒れた男を指差しながら、『電車の中でちょっとした芝居を撮るから、このペットボトルを倒れた僕に渡してくれないかと頼まれた』と証言したよ。この証言を信じるなら、撮影者が怪しくなる。毒入りのペットボトルを女性に託したのが被害者本人となると、撮影者の殺人への関与が困難になる」
「撮影者が仲間の男を毒殺し、罪を見ず知らずの女性になすりつけようとしたってことかい?」
「僕がその線で撮影者を問い詰めたら、認めたよ。そこで御役御免になれたらよかったんだが、捜査に当たった警察から、一緒に来て事情を聞かせてくれと頼まれてしまって」
事件を解決したのはいいが、とんだことで足止めを食らった訳か。
「おいおい、どうするんだ? さっき伝えたように、こちらは現在進行形の事件だぜ。到着が遅れれば遅れるほど、不利になる可能性が高いんじゃないか」
「かもしれない。今から村田刑事に連絡して、事情を伝えて早期に解放するよう、口添えを頼もうと考えたんだが、安生寺家が巻き込まれた事件については村田刑事相手でも話せないだろ?」
「それもそうか」
「だから他の理由付けをひねり出してやってみるつもりだ。それが成功したとしても、もうしばらくは掛かるだろう。本当にすまない」
「分かった。こちらのことは任せてくれ。安生寺さん達にはうまく言っておくよ」
「頼んだよ。ああ、もう時間だ」
警察官らしき野太い声が背景に聞こえ、電話は慌ただしく切られた。
やれやれ。どうしたものか。
名探偵の行くところに事件ありというのは、真実のようだ。たとえ偶然にしろ、事件が蹴鞠屋のような探偵を引き寄せているとしか思えない。
そのこと自体は事件の早い解決につながるからいいとして、他の事件の解決に遅延をもたらしかねないのは困る。私はまだ第三者的立場だから、「困る」の一言で済ませられるが、依頼者である安生寺洋氏にとってはそれどころではなかろう。極端な言い方をするなら、充分な謝礼を出す用意があって依頼を受けてもらったのに、独占的に事件解決に尽力せず、他の事件に首を突っ込み、無償で解決してやるとは契約違反だ!とでもなるかもしれない。冗談抜きで、大事な我が子を誘拐された親がどれほど取り乱すことがあるかは、私自身も傍らから目の当たりにした経験がある。
気が重いが、遅れそうだということだけでも伝えておかねばなるまい。踏切の不具合が起きたとでもしておこうか。もしあとで調べられたら、嘘がばれる恐れ、なきにしもあらずだが。
私が「うーん」と唸りながら部屋を出たところへ、廊下の突き当たりに人影が現れた。「――唸ってなんかいて、どうかされました?」
千ヶ沼令子だった。彼女は明らかに何か言い掛けていたのをやめ質問してきたのが、私には分かる。
「私のような凡人は今後の展開を想像すると、悪いことばかり思い浮かべてしまうんです。蹴鞠屋が来れば多少は安心度がアップするんですが」
とりあえずそう答えて、相手の言葉を待つ。
「そうでしたか。実は呼びに来たんです。安生寺さん――洋さんに頼まれて」
「誘拐犯が動いたんですか?」
蹴鞠屋が来ない内から――という思いから、総毛立つ心地を味わった。いざとなったら、電話を通して状況を逐一、蹴鞠屋に伝えるしかない。
「いいえ、それが何だかおかしな具合で」
とにかくこちらへという千ヶ沼に着いていく。案内された先は、玄関にほど近い大きめの部屋で、確か洋氏の弟、吉平が使っているはず。ドアの前には洋氏と家政婦もいた。
「何かあったのですか」
「吉平に用があって来たんだが、呼んでも返事がない。開けようとしたが、鍵が掛かっている」
続く
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