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4.片割れ
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初めて聞く話だった。美沙子は目を見開き、身を乗り出した。
その様子に気圧されたか、江崎は顔の前で手を振った。
「いえ、あの、おかしかったと言ったって、私が感じただけなんです。ただ、何となく……」
「それでもいいわ、話してみて」
求める美沙子の横で、夫は押し黙り、考え込む様子。いや、状況を見守っていると言った方が適切か。
江崎が始める。
「はい……。朝、駅で待ち合わせしてたのはご存知ですよね?」
「ええ」
「そのときから正君、何か様子が変で。どういう風にと言われたら困るんですが、ぼんやりした感じでした」
「ぼんやり……」
正がときどき、そんな様子を見せることがなかったとは言えない。でも、受験当日にぼんやりなんて、ありそうにない話だ。
「それ、リラックスしていたというのじゃないわね?」
美沙子の問いに、しばらく考える風にしてから、やがて首を横に振った江崎。そして続けた。
「私が話しかけてからは、よく喋っていたし、リラックスしていたと言えると思います。でも、私がプラットホームに上がってきて、彼の様子を見たときは……ぼんやりとしか言い様がありません」
「英単語帳とか参考書とか、何も見ていなかった?」
「そう言えば……見ていませんでした」
首を傾げる江崎。
これには、美沙子も奇異な感じを抱かざるを得ない。あれだけ自信なさげだったあの子が、当日、何も見ていなかったなんて。開き直っていた態度の表れだろうか。そうだとしたら、リラックスしていたという話とは辻褄が合う。でも、ぼんやりというのと開き直りとは、違うのではないか。
「終わってからは、どうでしたか」
ふっと思い付いて、美沙子は尋ねた。事故に遭う直前も、正の様子はおかしかったのだろうか。
「終わってからとは、試験が終わったあとという意味ですよね……。そうですね、躁鬱病って言うんでしょうか? 凄く気分が高揚している状態と、逆に凄く落ち込んでいる状態が繰り返し表れる、そんな感じでした」
分かりにくかったので、美沙子は、具体的にどうだったのかを聞く。
「こんな言葉を口走っていたはずです……『もう大丈夫』って。笑いながら、何度も『大丈夫』と言って、私の肩に手を回してさえきました。そんなこと、今までになかったからびっくりしちゃって」
江崎の言葉に、美沙子も少なからず驚かされた。いくら試験が終わって開放的な気分になっていたにしても、あの子がそんな振る舞いをするなんて、考えにくかった。進ならともかく、どちらかと言えば引っ込み思案の正に似合わない。
「かと思ったら、突然、黙り込んでしまって……。ずっとうつむいたまま、どんどん先に行ってしまうんです。『だめだ、だめだ』みたいなことをぶつぶつ言いながら」
「……普通じゃないな」
夫がようやく口を開いた。
「だが、自分から道路へ飛び出したというんじゃなかったんだろう?」
「はい。それこそ、ぼんやりしていて、あっと思ったときには、もう……」
唇を噛みしめる様子の江崎。
話が途切れた。息子の死の瞬間の話が出れば、それに続くものはない。
その内に、夫がつぶやいた。
「……進の奴、まだ帰ってこないのか」
それについては、美沙子も気になっていた。
とうの昔、健康診断を受けた病院に連絡を入れ、事故の発生を知らせている。それなのに暗くなった今になっても、帰って来る気配がない。
「どうしたのかしら……」
まさか、あの子まで事故に遭った? そんな妄想を美沙子が抱いたとき、ようやく、玄関の方で音がした。
「進?」
美沙子は名を呼びながら立ち上がった。玄関へと通じる廊下に出ると、暗がりに人影が見えた。電灯はつけていたはずだから、帰ってきたこの子が消したのだろうと、美沙子は判断した。
「……ただいま。遅くなって、ごめん」
その様子に気圧されたか、江崎は顔の前で手を振った。
「いえ、あの、おかしかったと言ったって、私が感じただけなんです。ただ、何となく……」
「それでもいいわ、話してみて」
求める美沙子の横で、夫は押し黙り、考え込む様子。いや、状況を見守っていると言った方が適切か。
江崎が始める。
「はい……。朝、駅で待ち合わせしてたのはご存知ですよね?」
「ええ」
「そのときから正君、何か様子が変で。どういう風にと言われたら困るんですが、ぼんやりした感じでした」
「ぼんやり……」
正がときどき、そんな様子を見せることがなかったとは言えない。でも、受験当日にぼんやりなんて、ありそうにない話だ。
「それ、リラックスしていたというのじゃないわね?」
美沙子の問いに、しばらく考える風にしてから、やがて首を横に振った江崎。そして続けた。
「私が話しかけてからは、よく喋っていたし、リラックスしていたと言えると思います。でも、私がプラットホームに上がってきて、彼の様子を見たときは……ぼんやりとしか言い様がありません」
「英単語帳とか参考書とか、何も見ていなかった?」
「そう言えば……見ていませんでした」
首を傾げる江崎。
これには、美沙子も奇異な感じを抱かざるを得ない。あれだけ自信なさげだったあの子が、当日、何も見ていなかったなんて。開き直っていた態度の表れだろうか。そうだとしたら、リラックスしていたという話とは辻褄が合う。でも、ぼんやりというのと開き直りとは、違うのではないか。
「終わってからは、どうでしたか」
ふっと思い付いて、美沙子は尋ねた。事故に遭う直前も、正の様子はおかしかったのだろうか。
「終わってからとは、試験が終わったあとという意味ですよね……。そうですね、躁鬱病って言うんでしょうか? 凄く気分が高揚している状態と、逆に凄く落ち込んでいる状態が繰り返し表れる、そんな感じでした」
分かりにくかったので、美沙子は、具体的にどうだったのかを聞く。
「こんな言葉を口走っていたはずです……『もう大丈夫』って。笑いながら、何度も『大丈夫』と言って、私の肩に手を回してさえきました。そんなこと、今までになかったからびっくりしちゃって」
江崎の言葉に、美沙子も少なからず驚かされた。いくら試験が終わって開放的な気分になっていたにしても、あの子がそんな振る舞いをするなんて、考えにくかった。進ならともかく、どちらかと言えば引っ込み思案の正に似合わない。
「かと思ったら、突然、黙り込んでしまって……。ずっとうつむいたまま、どんどん先に行ってしまうんです。『だめだ、だめだ』みたいなことをぶつぶつ言いながら」
「……普通じゃないな」
夫がようやく口を開いた。
「だが、自分から道路へ飛び出したというんじゃなかったんだろう?」
「はい。それこそ、ぼんやりしていて、あっと思ったときには、もう……」
唇を噛みしめる様子の江崎。
話が途切れた。息子の死の瞬間の話が出れば、それに続くものはない。
その内に、夫がつぶやいた。
「……進の奴、まだ帰ってこないのか」
それについては、美沙子も気になっていた。
とうの昔、健康診断を受けた病院に連絡を入れ、事故の発生を知らせている。それなのに暗くなった今になっても、帰って来る気配がない。
「どうしたのかしら……」
まさか、あの子まで事故に遭った? そんな妄想を美沙子が抱いたとき、ようやく、玄関の方で音がした。
「進?」
美沙子は名を呼びながら立ち上がった。玄関へと通じる廊下に出ると、暗がりに人影が見えた。電灯はつけていたはずだから、帰ってきたこの子が消したのだろうと、美沙子は判断した。
「……ただいま。遅くなって、ごめん」
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