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3.アクシデント
しおりを挟む電話口に出たその瞬間、松坂美沙子は内心、嫌な予感を高めた。というのも、相手の口調が相当、慌てているらしく感じられたからである。
「大変」
切羽詰まったように、ただこの単語を繰り返すだけの相手。他にも何か言っているのだが、意味が取れない。
何度か声を聞いている内に、美沙子は声の主に思い当たった。
「あなた……江崎さん?」
「あ、そうですそうです」
少しは落ち着いた様子。それでも、電話向こうの江崎優佳は、全力疾走でもしたかのように息を弾ませている。
息が整うのを待って、美沙子はゆっくりと聞いた。
「どうしたの? 正の試験、見に行ってくれてたんじゃないの?」
「それが……」
不意に、彼女の涙声が、送受器から流れてきた。
美沙子の不安は、一気に頂点に達した。
「江崎さん? 正がどうかしたの?」
悲鳴のように声を高くする美沙子。意味がないと分かっていても、送受器を強く握りしめ、何度も揺さぶってしまう。
「松坂のおばさん……正君が、交通事故に」
「……」
言葉が出ない。
気が付いたら、息が苦しかった。
「――交通事故って」
「今、**病院です」
急に責任感に目覚めたかのように、江崎はしっかりした声を出した。
「すぐに来てください。……あの、危ないらしいんです!」
意識が飛んでしまっていた美沙子は、その声で覚醒できた。
「……分かったわ。ありがとう」
何故か、自分でも妙に落ち着いた声でそう言って、送受器を置く。そしてすぐさま、財布と家の鍵だけを握って外へ飛び出した。
(お父さんや進に連絡する暇ない)
そんな思いが、一瞬だけだが、頭をよぎった。
「手を尽くしたのですが……」
美沙子の耳には、医者の言葉がまるで、太古、祈祷師が唱えた呪詛のように届いていた。最初の二言三言で全てを悟った美沙子に、あとの言葉は理解できない。
「おばさん、しっかりして」
江崎優佳の声。我に返ると、床にくずおれた己の姿があった。何人かの手で引き起こされ、ようやく立ち上がる。
「ご確認、願えますか」
まだ、医者の言葉をすぐには理解できないでいる美沙子。しかし、ぼんやりと考える内に、ようやく思い当たる。息子の死の確認……。
冷たい感じのする廊下を、医者のあとについて江崎優佳と二人で行く。
「あの……きれいなまま、死んだんでしょうか」
恐る恐る。そんな口調で彼女は尋ねた。死に顔を確認するのが恐い。
「ええ」
医者は背中を向けたまま、小声をもってうなずいた。
「そのままですよ。……少なくとも、顔だけは」
最後の単語は、遠慮がちに小さな声で発せられた。
それからの時間は、美沙子にとって、長くも短くも感じられた。生きていない息子との対面、医者からの説明、現場に赴いての警察からの説明、警察署での今後のことの説明、そして通夜の準備……。
「江崎さん、でしたか……どういう状況だったのか……話してくれますか」
隣で夫が言っていた。美沙子も、江崎から何度もその話を聞き出しているが、すぐにおぼろげになってしまう。無意識の内に、息子の死を忘れたがっている、ううん、なかったものにしたがっているのかもしれない。
江崎は高校のとき、正や進と同じ学年だった子だ。特に、正とは同じクラスだったこともあって、親しかったようだ。
去年、正が受験に失敗したとき、美沙子の脳裏には、この女生徒のせいだという考えが、一瞬であるがよぎった。恋愛をすれば男だけ成績が落ちるという噂話を聞いて、それを鵜呑みにしていたのだ。江崎と正がそう呼べるほどの関係だったかどうかは、美沙子には分からない。が、美沙子は江崎のその後の態度を見て、じきに考えを修正した。正の再挑戦を、側でサポートしてくれたのだ。その様は、双子の兄の進よりも積極的だったと言えるほど。
(受験当日だって、進は急に健康診断に行くとか言い出して、逃げたのに……。江崎さんはついて行ってくれた)
そんなことを思いながら、美沙子は何度目かの、江崎の話に耳を傾けていた。
彼女の話があらかた終わったところで、夫が口を開いた。
「どこか上の空の調子で、ふらふらと車道に飛び出した、か……」
その表情は、ずいぶんと難しげである。
江崎が、遠慮がちに付け加えた。
「……あの日は朝から正君、様子がおかしかった気がするんです」
「おかしかった?」
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