1 / 11
1.出来不出来
しおりを挟む
父が吠えていた。
壁を通して、隣の部屋にまでじんじん響いてくる。
僕は耳をふさぐため、ヘッドホンをかける。プレーヤーを作動。流れ出る音楽は、夏の恋だの愛だのを歌ったもの。季節外れにも程がある。
いつもは仕事にかまけて自分達の存在をかまいもしないのに、今日はどうしたのだろう。何か面白くないことがきっかけとなって、そのとばっちりを弟が受けている。そう想像した。
いつまでもこんなつまらないことを考えているのは、時間の無駄。机に広げていた本を手に取り、背もたれに身体を預ける。これでまた楽しいひとときを得られる……。
どれぐらいの時間が経っていたのか。背中の方向から影が差したので、部屋に誰か入ってきたのだと気付いた。急いでヘッドホンを外す。
「進、いるな。ちょっとこっちへ来なさい。話がある」
こちらが振り返る前に、僕の城への侵入者――父が言った。目の前には、痩身だが、肩の辺りだけはがっちりとした父の身体があった。
「どうして? 何かあったの?」
さしたる意味もなく、問い返す。その理由を聞いたところで、僕は父の言う通りにするだろう。そして父も、僕が反抗する場面は思い描いていまい。
「正のことだ」
それだけで充分理解できるだろうとでも言いたげに、父はきびすを返すとさっさと出て行く。僕は飛び降りるように椅子から離れると、すぐにあとを追った。
隣の弟の部屋は、僕の部屋と同じ造りになっている。もちろん、装飾品の違いはあるが、基本的には一緒。……そのはずなのに、部屋の明るさはずっと冷たく、雰囲気は重たかった。こういう場に放り込まれるなんて、迷惑この上ない。早くも、自分の部屋へ戻りたくなった。
「とにかく座りなさい」
言われて、カラフルな模様のクッションの一つに腰を下ろす。
小さなテーブルを挟み、向こうには難しい顔をした父。その横には、身体を縮こまらせている弟の姿。
「双子で、見た目もこれだけ似ているっていうのに、どうしてこうも出来が違うんだろうな」
もはや怒鳴り疲れていたのだろうか。父は呆れ口調で始めた。その目は、僕と弟を見比べるような感じだ。
「片や一発で合格、片や浪人とはな……。しかもだ。帰ってきて覗いてみたら、正は……」
視線を動かす父。まず正に、ついで勉強机の方を見た。
僕もつられて、ふと見れば、勉強机のスタンドは点けっ放しになっていた。その下には、僕にとっては懐かしい、受験参考書。でも、開けてあった様子はない。推して知るべし、か。
ただ、僕が見るに、正はそんなに頭が悪い訳ではない。その辺り、父は分かっているのだろうか。
「その上、もう無理だ、おまえと同じ大学になんか入れっこないと言い出す始末だ。しょうがない奴だ」
別に大人ぶって言うつもりはないけれど、父の嘆きも分からぬではない。エリートで通っている父のこと、その息子が一人とて『落ちこぼれ』てもらっては困るのだろう。外面に傷が付くってところか。
それにしても、早く結論部分に移ってもらわないと、僕も困る。話を片付けて、こんなうっとうしい環境からは、一分でも早く逃げ出したい。
「私が見るところ、正はもうだめだ。酷な言い方をするようだがな。いや、いい面も持っている」
言葉が過ぎたとようやく思い直したのか、父は急ぎ口調で言い添えた。
「正は、暗記するというのが苦手らしいな。ええ?」
弟を観察していると、わずかにうなずくのが分かった。
僕は少しだけ父に感心した。へえ、少しは正のいい面を見ているじゃないか。そういう意味である。
父は続けた。
「だが、大学に入ってからの勉強には充分、適応できるだろう。どちらかと言えば、そういった具体的な学習に、こいつは向いている。おまえもそう思わないか、進?」
「あ、うん。お、思うよ」
突然、話を振られ、僕はどもりながら肯定の返事をした。しかし、これに嘘偽りの気持ちはない。正味、弟は受験生向きでない受験生だ。
「と言って、いくら私が手を回しても、無条件で大学にパスさせることはできん。そこでだ」
父の顔が、秘密めかした表情になる。
「……話す前に、おまえに聞いておこう。これからの話が、本決まりになろうが潰れようが、絶対に漏らしてはならない。この約束、守れるか?」
「……」
父の言い方と目つきに一瞬、戸惑いを覚えたが、要は他言無用という意味だ。それぐらい、何てことない。そう判断して、僕は答えた。
「守ります」
「では話すから、よく聞いてくれ」
言葉を切ると、父は部屋のドアを見やった。閉じているを確認したようだ。母にも内緒にしておきたいほどのことなのか。僕は訝ると共に、緊張を覚えた。
弟の方は、すでに話の内容を聞かされているのだろう。うなだれたままでいる。
自分一人、緊張して身を固くした。
「進、おまえ、もう一度受験して、合格する自信はあるか?」
「え……?」
父の言葉を聞いたその瞬間だけ、頭が混乱した。ために間の抜けた声を発してしまった。が、直後に理解できた。
替え玉受験。
壁を通して、隣の部屋にまでじんじん響いてくる。
僕は耳をふさぐため、ヘッドホンをかける。プレーヤーを作動。流れ出る音楽は、夏の恋だの愛だのを歌ったもの。季節外れにも程がある。
いつもは仕事にかまけて自分達の存在をかまいもしないのに、今日はどうしたのだろう。何か面白くないことがきっかけとなって、そのとばっちりを弟が受けている。そう想像した。
いつまでもこんなつまらないことを考えているのは、時間の無駄。机に広げていた本を手に取り、背もたれに身体を預ける。これでまた楽しいひとときを得られる……。
どれぐらいの時間が経っていたのか。背中の方向から影が差したので、部屋に誰か入ってきたのだと気付いた。急いでヘッドホンを外す。
「進、いるな。ちょっとこっちへ来なさい。話がある」
こちらが振り返る前に、僕の城への侵入者――父が言った。目の前には、痩身だが、肩の辺りだけはがっちりとした父の身体があった。
「どうして? 何かあったの?」
さしたる意味もなく、問い返す。その理由を聞いたところで、僕は父の言う通りにするだろう。そして父も、僕が反抗する場面は思い描いていまい。
「正のことだ」
それだけで充分理解できるだろうとでも言いたげに、父はきびすを返すとさっさと出て行く。僕は飛び降りるように椅子から離れると、すぐにあとを追った。
隣の弟の部屋は、僕の部屋と同じ造りになっている。もちろん、装飾品の違いはあるが、基本的には一緒。……そのはずなのに、部屋の明るさはずっと冷たく、雰囲気は重たかった。こういう場に放り込まれるなんて、迷惑この上ない。早くも、自分の部屋へ戻りたくなった。
「とにかく座りなさい」
言われて、カラフルな模様のクッションの一つに腰を下ろす。
小さなテーブルを挟み、向こうには難しい顔をした父。その横には、身体を縮こまらせている弟の姿。
「双子で、見た目もこれだけ似ているっていうのに、どうしてこうも出来が違うんだろうな」
もはや怒鳴り疲れていたのだろうか。父は呆れ口調で始めた。その目は、僕と弟を見比べるような感じだ。
「片や一発で合格、片や浪人とはな……。しかもだ。帰ってきて覗いてみたら、正は……」
視線を動かす父。まず正に、ついで勉強机の方を見た。
僕もつられて、ふと見れば、勉強机のスタンドは点けっ放しになっていた。その下には、僕にとっては懐かしい、受験参考書。でも、開けてあった様子はない。推して知るべし、か。
ただ、僕が見るに、正はそんなに頭が悪い訳ではない。その辺り、父は分かっているのだろうか。
「その上、もう無理だ、おまえと同じ大学になんか入れっこないと言い出す始末だ。しょうがない奴だ」
別に大人ぶって言うつもりはないけれど、父の嘆きも分からぬではない。エリートで通っている父のこと、その息子が一人とて『落ちこぼれ』てもらっては困るのだろう。外面に傷が付くってところか。
それにしても、早く結論部分に移ってもらわないと、僕も困る。話を片付けて、こんなうっとうしい環境からは、一分でも早く逃げ出したい。
「私が見るところ、正はもうだめだ。酷な言い方をするようだがな。いや、いい面も持っている」
言葉が過ぎたとようやく思い直したのか、父は急ぎ口調で言い添えた。
「正は、暗記するというのが苦手らしいな。ええ?」
弟を観察していると、わずかにうなずくのが分かった。
僕は少しだけ父に感心した。へえ、少しは正のいい面を見ているじゃないか。そういう意味である。
父は続けた。
「だが、大学に入ってからの勉強には充分、適応できるだろう。どちらかと言えば、そういった具体的な学習に、こいつは向いている。おまえもそう思わないか、進?」
「あ、うん。お、思うよ」
突然、話を振られ、僕はどもりながら肯定の返事をした。しかし、これに嘘偽りの気持ちはない。正味、弟は受験生向きでない受験生だ。
「と言って、いくら私が手を回しても、無条件で大学にパスさせることはできん。そこでだ」
父の顔が、秘密めかした表情になる。
「……話す前に、おまえに聞いておこう。これからの話が、本決まりになろうが潰れようが、絶対に漏らしてはならない。この約束、守れるか?」
「……」
父の言い方と目つきに一瞬、戸惑いを覚えたが、要は他言無用という意味だ。それぐらい、何てことない。そう判断して、僕は答えた。
「守ります」
「では話すから、よく聞いてくれ」
言葉を切ると、父は部屋のドアを見やった。閉じているを確認したようだ。母にも内緒にしておきたいほどのことなのか。僕は訝ると共に、緊張を覚えた。
弟の方は、すでに話の内容を聞かされているのだろう。うなだれたままでいる。
自分一人、緊張して身を固くした。
「進、おまえ、もう一度受験して、合格する自信はあるか?」
「え……?」
父の言葉を聞いたその瞬間だけ、頭が混乱した。ために間の抜けた声を発してしまった。が、直後に理解できた。
替え玉受験。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる