忍び零右衛門の誉れ

崎田毅駿

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 状差しらしき物を見つけた。便せんが覗いている。
 手を伸ばし、抜き取る。レイモンドにとって習得したばかりの文字が、つらつらと並んでいた。
(宛名はヒルジア=ソントン。送り主は……トニオ=ヨークだ)
 期待感と緊張感が高まる。だが、内容に目を通して、レイモンドは落胆した。
(ただの恋文ではないか……)
 第三者が読めば、馬鹿々々しくなるような単語の連続であった。
 レイモンドは、そのまま手紙を戻そうとして、ふと不審に思った。
(何故、単なる恋文をこんな場所に? 旦那から隠すにしても、厳重に過ぎるのではないか)
 今一度、便せんを開き、じっくりと見つめるレイモンド。ふっと、無意識の内に、日本語式に読んでいた。つまり、右から左、上から下へと。
(折り句だったのか! 一文字ずつ、行の末を拾っていけば、『準備完了 ヒ素 送る』となる!)
 つい、紙を握りしめてしまった。すぐさま手を離し、しわをきれいに伸ばすと、状差しへ返しておいた。
(他の手紙も見ておくべきか)
 少し考え、レイモンドは邸内が寝静まっているのを確認してから、再度、状差しへ手を伸ばした。
 先ほどの他にも五通、ヒルジアとヨークが共謀し、毒殺を行ったことを示唆する暗号が込められた手紙があった。
 そして、最後の手紙に目を通したとき。
(これは……馬鹿な)
 レイモンドは、妙な意識にとらわれた。
(これによると、ヒルジアらが毒殺したのは、ソントン候一人ではないらしい。その弟君のネッド=ソントンも……。しかし、ネッドに毒を盛ることは叶わなかったはず。これはいったい)
 レイモンドが疑問を解くため、考えを推し進めてようとすると、ふっ、と周囲が暗くなった。
(しまった。ろうそくが尽きたか。心なしか、空気も淀んだ気がする。備えのろうそくはあるが、ここは引き下がるのがよさそうだ。務めは果たした)
 己を納得させると、レイモンドは間を置かず、ソントン邸を去るための行動を開始した。

「先頃の働き、大変な勲功である」
 そう言ったアゴスタ=クリフに、レイモンドは深々と頭を下げた。
「ありがたきお言葉。感に堪えません」
「そんなに謙遜しなくてもいい。実際、君は立派にやり遂げた。隠し部屋を探り出し、手紙を見つけ、なおかつ暗号を解いた。これにより、ヒルジア=ソントンとトニオ=ヨークを拘束し得たのだから、大したものだよ」
 レイモンドは面を上げた。
「ありがとうございます。ですが、ただ一つ、気になっている点があるのですが……」
「何だね? 君の身分は、私が保証しよう」
「いえ、そのことではありません。事件に関するお話で。ヒルジアとヨークの二人が、ソントン侯爵を殺害した方法は分かります。しかし、ネッド=ソントン候を殺害した手段について、私は皆目、見当がつかないのであります」
 すると、クリフも難しい顔を作った。
「――そこなのだよ」
「と言いますと?」
「我々の頭を悩ませる差し当たっての問題は、そのことだよ。手紙によれば、あの二人がネッドをも毒殺したのは間違いない。だが、二人ともネッドに毒を盛る機会はなかったはずなのだ。まさか、娘のロミーが関与していたとも思えない。司法局としては、二件の殺人罪で二人を処罰したいのだが、このままではネッド殺しは逃げられかねないのだ」
「私がもう少し、配慮をして深く調べておれば……」
「レイモンド君の責任ではない。ともかく、今は休みたまえ。任務を果たした者の権利だ」
 クリフの言葉に送り出され、レイモンドは部屋から退出した。

「どう思うかと言われてもねえ」
 クラステフは、いきなりの問いかけに呆れてしまった。
 久しぶりに会ったレイモンドは、顔色はよかったが、何事か悩んでいる様子だったので、つい尋ねてしまったのが失敗だった。
「私は一介の言語学者。犯罪手法に造詣はありませんの、残念ながら」
「しかし、クラステフ先生」
 レイモンドにとって、クラステフは先生であり、恩人である。
「このようなことを相談できるのは、あなたしかいないのです。ケントラッキー海軍大尉もよい人ですが、あの方とお会いできる機会は極端に少なくて」
「レイモンド。あなたは休暇中の身。どうやって侯爵夫人がネッド=ソントンを殺したかなんて余計なこと、考えなさんな」
「分かっているつもりなんですが……」
「なら、悩んでもしょうがない。だいたい、今日は、身の振りようが決まったから、あなたを診てくれたお医者にその報告をするんでしょうが」
「そうでした」
 レイモンドがそう言ったところで、二人は病院の石の門を抜けた。
 挨拶は簡単に終わった。向こうの医者が、このような報告にさしたる関心を示さなかったのが、その理由として大である。
「まあ、元気になってよかったの。何か別のことで具合が悪くなれば、いつでも診て進ぜようぞ」
「は、はあ、どうも。ありがとうございました」
 はなはだ曖昧な礼を述べ、部屋を辞去してから、レイモンドはクラステフと揃って、院内の廊下を歩いていた。
「いい暇つぶしにはなったけど、あの医者、もうちょっと感動ってものがあってもいいのに」
 クラステフがぶつぶつ文句を言っているところへ、レイモンドが改まって尋ねてきた。
「さっき見かけた、あの細い棒は何なのでしょう?」
「細い棒って? どこで見かけたのよ」
「病院の中でです。細い小さな棒を口にくわえている人が、嫌に目に着いたんです」
「……その棒をくわえていたってのは、患者さん?」
「だと思いますが」
「じゃあ、分かったわ。体温計のことを言っているのね」
「体温計……?」
 耳慣れぬ言葉に、目を瞬かせるレイモンド。
「そう。特性のガラスの管に、水銀という液状の金属を一定量流し込み、その長さで温度を測定する。これが温度計よ。体温計というのは温度計の一種と言っていいわね。普通、口にくわえて、身体の温度を計るのよ」
「病人が使う物ですか?」
「もちろん。それがどうかした?」
「当然、ネッド=ソントン候も使っていたんですかね」
「そりゃまあ、そうでしょうね。だから、それが何なのよ」
 多少いらいらして、クラステフは語気を強めた。
 レイモンドは穏やかな口調のまま、続ける。
「体温計の先に毒を塗っておくと、どうなるのでしょう?」
「あ――」
 クラステフは、片手を口に当てた。

 二日後、ヒルジアとヨークの二人が、ソントン侯爵並びにその弟ネッド=ソントンの殺害を認めたという事実は、あっという間に世間に広まった。ヨークが医療器具の業者に手を回し、ネッドの看病に当たっていたロミーへ、特別あつらえの体温計を使うよう、手渡していたという。無論、体温計にはヒ素が塗布されていた。

――事件の一.終わり
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