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尋ねてみた。レイモンドは語学と諜報の能力を試され、今朝、その身分の取り扱いに関する結論が出される手筈になっている。
「言うまでもない、合格だ。本人の希望通り、諜報活動に従事することになる」
「そうですか」
安心した。ユトヴィア語を教える内に、あの見知らぬエイシア人に情が移ったのかもしれない。
「近々、初仕事も与える」
「え? こんなに早く、ですか……」
「働いてもらわないと、意味がない」
「ど、どんな内容なのでしょう、その任務とは」
「残念だが、君に打ち明けるわけにはいかない。気になるようだったら、クラステフ君もいっしょに行動するかね? それならば聞かせてやってもよいが」
「わ、私に諜報なんて、できるはずが」
慌てて首を振るクラステフ。
「それでは黙って、待つことだ。彼なら素晴らしい成果を見せてくれるだろう。万が一、失敗しても、我々は一切、関知しないがね」
「え……」
クラステフが絶句している間に、クリフは右手を軽く振った。
「以上だ。行ってよろしい」
「……」
クリフの事務的な口調に、これ以上何を言っても無駄だと悟るクラステフだった。
――事件は、ちょうど二ヶ月前に発生した。いや、現時点で事件と表現するのは早計である。単なる自然死かもしれない。
侯爵のベバリー=ソントンが、自宅のベッドの上で死去した。年齢は四十八歳。酒をいくらか多めに飲むものの、身体は丈夫な方であった。
しかし、死の半年前から、ソントン侯爵はふせっていた。病気なのかどうか、はっきりしない。夫人のヒルジアがつきっきりで看病に当たったが、その甲斐もなく、逝ってしまったのだ。
何らかの病気が元で亡くなったものという見方もできたため、遺体は解剖された。が、死の原因は解明されず、結局は自然死ということで落ち着いた。
死因が不明である点を除けば、取り立てて騒ぐような話ではまったくない。だが、ソントン侯爵の死から一ヶ月も経たない内に、今度は侯爵の弟のネッド=ソントンが死去してしまった。死因は判然とせず、ソントン侯爵と同様、自然死とされた。
が、これは少しも『自然』な結論ではなかったのだ。ネッドは兄とは年齢が十五も離れていた。つまり、三十三の若さで自然死したことになる。にわかに疑義を唱える声が高まったのは、断るまでもない。
一番に疑われたのは、侯爵夫人のヒルジア=ソントンである。夫と義弟の死によって、彼女は家の財産のほとんど全部を手に入れることができる。さらには、愛人まで作っていた。トニオ=ヨークというヒルジアの不倫相手は、もぐりの化学者で、怪しげな薬を調合しては市民に売りつけて生計を立てていた。
この化学者の存在が知れ渡ると同時に、世間で噂になったのが、毒殺説だ。ヒルジアはトニオ=ヨークから何らかの毒をもらい、それを使って夫と義弟を死に至らしめたのではないか。動機は、財産を手にするためと二人にとっての邪魔者を消すためだろう……。
司法局は捜査に乗り出した。だが、遺体はすでに二体ともこの世になく、灰と煙に化していた。おかげで、毒殺かどうかの断定が不可能となり、初期の段階で捜査はつまずいてしまった。
捜査はほとんど進まなくとも、世間の噂は日に日に高まった。夫人と愛人が共謀して、侯爵を毒殺したのではないかという噂。
だが、あまりに捜査が進まぬため、噂は分裂を始めた。ソントン侯爵の死因は毒殺であるという部分だけが一人立ちし、犯人については関係する者を取っ替え引っ替えに当てはめる様相を呈してきたのだ。
無論、最大多数の意見が、ヒルジアとヨークの共犯説なのは変わりないのだが、その他にも、ソントン侯爵の愛人やネッド=ソントンの娘(ネッドの妻はすでに他界)、ソントン家の召使い、ソントンと血縁のある他の貴族、果ては出入りの家庭教師までもが犯人としてその名を挙げられている――。
「レイモンド君。この事件の真相に関わるかもしれぬ重大事を探ってもらう。それが君に与える最初の任務だ」
枢密司法官のアゴスタ=クリフの声が、重々しく室内を巡った。
「具体的には、ソントン邸に侵入し、毒殺の証拠をつかむこと。これが最重要課題だ。分かるな?」
「はい」
ひざまずいていたレイモンドは、ややうつむき加減のまま、声を返す。
「世間が何と言っているかは知らん。我々はヒルジアがソントン候を毒殺したと考えている。ネッド=ソントンを殺害したかどうかは別にして、だが」
クリフは言葉を切った。
ヒルジア=ソントンが夫を殺害するのは困難ではないと、司法局では見ていた。食事にヒ素を混ぜ、ソントン侯爵を病床に就かせる。その後、甲斐甲斐しく世話をするふりをして、少しずつヒ素を飲ませていけば、半年後には衰弱死を装っての殺害は可能である。遺体を検査をしても、毒が検出されることは、滅多にない。
一方、ネッド=ソントンの死に、ヒルジアが関わっているかどうか、依然として不明瞭なままである。ネッドが倒れてから、その看病には彼の娘で、十六になるロミーがつきっきりで行っている。ロミーはこの時点でヒルジアを疑っており、この伯母の訪問を拒んだばかりか、一切の見舞品も受け取らなかったという。よって、ヒルジアがネッドに毒を盛る機会はなかったはずなのだ。
「言うまでもない、合格だ。本人の希望通り、諜報活動に従事することになる」
「そうですか」
安心した。ユトヴィア語を教える内に、あの見知らぬエイシア人に情が移ったのかもしれない。
「近々、初仕事も与える」
「え? こんなに早く、ですか……」
「働いてもらわないと、意味がない」
「ど、どんな内容なのでしょう、その任務とは」
「残念だが、君に打ち明けるわけにはいかない。気になるようだったら、クラステフ君もいっしょに行動するかね? それならば聞かせてやってもよいが」
「わ、私に諜報なんて、できるはずが」
慌てて首を振るクラステフ。
「それでは黙って、待つことだ。彼なら素晴らしい成果を見せてくれるだろう。万が一、失敗しても、我々は一切、関知しないがね」
「え……」
クラステフが絶句している間に、クリフは右手を軽く振った。
「以上だ。行ってよろしい」
「……」
クリフの事務的な口調に、これ以上何を言っても無駄だと悟るクラステフだった。
――事件は、ちょうど二ヶ月前に発生した。いや、現時点で事件と表現するのは早計である。単なる自然死かもしれない。
侯爵のベバリー=ソントンが、自宅のベッドの上で死去した。年齢は四十八歳。酒をいくらか多めに飲むものの、身体は丈夫な方であった。
しかし、死の半年前から、ソントン侯爵はふせっていた。病気なのかどうか、はっきりしない。夫人のヒルジアがつきっきりで看病に当たったが、その甲斐もなく、逝ってしまったのだ。
何らかの病気が元で亡くなったものという見方もできたため、遺体は解剖された。が、死の原因は解明されず、結局は自然死ということで落ち着いた。
死因が不明である点を除けば、取り立てて騒ぐような話ではまったくない。だが、ソントン侯爵の死から一ヶ月も経たない内に、今度は侯爵の弟のネッド=ソントンが死去してしまった。死因は判然とせず、ソントン侯爵と同様、自然死とされた。
が、これは少しも『自然』な結論ではなかったのだ。ネッドは兄とは年齢が十五も離れていた。つまり、三十三の若さで自然死したことになる。にわかに疑義を唱える声が高まったのは、断るまでもない。
一番に疑われたのは、侯爵夫人のヒルジア=ソントンである。夫と義弟の死によって、彼女は家の財産のほとんど全部を手に入れることができる。さらには、愛人まで作っていた。トニオ=ヨークというヒルジアの不倫相手は、もぐりの化学者で、怪しげな薬を調合しては市民に売りつけて生計を立てていた。
この化学者の存在が知れ渡ると同時に、世間で噂になったのが、毒殺説だ。ヒルジアはトニオ=ヨークから何らかの毒をもらい、それを使って夫と義弟を死に至らしめたのではないか。動機は、財産を手にするためと二人にとっての邪魔者を消すためだろう……。
司法局は捜査に乗り出した。だが、遺体はすでに二体ともこの世になく、灰と煙に化していた。おかげで、毒殺かどうかの断定が不可能となり、初期の段階で捜査はつまずいてしまった。
捜査はほとんど進まなくとも、世間の噂は日に日に高まった。夫人と愛人が共謀して、侯爵を毒殺したのではないかという噂。
だが、あまりに捜査が進まぬため、噂は分裂を始めた。ソントン侯爵の死因は毒殺であるという部分だけが一人立ちし、犯人については関係する者を取っ替え引っ替えに当てはめる様相を呈してきたのだ。
無論、最大多数の意見が、ヒルジアとヨークの共犯説なのは変わりないのだが、その他にも、ソントン侯爵の愛人やネッド=ソントンの娘(ネッドの妻はすでに他界)、ソントン家の召使い、ソントンと血縁のある他の貴族、果ては出入りの家庭教師までもが犯人としてその名を挙げられている――。
「レイモンド君。この事件の真相に関わるかもしれぬ重大事を探ってもらう。それが君に与える最初の任務だ」
枢密司法官のアゴスタ=クリフの声が、重々しく室内を巡った。
「具体的には、ソントン邸に侵入し、毒殺の証拠をつかむこと。これが最重要課題だ。分かるな?」
「はい」
ひざまずいていたレイモンドは、ややうつむき加減のまま、声を返す。
「世間が何と言っているかは知らん。我々はヒルジアがソントン候を毒殺したと考えている。ネッド=ソントンを殺害したかどうかは別にして、だが」
クリフは言葉を切った。
ヒルジア=ソントンが夫を殺害するのは困難ではないと、司法局では見ていた。食事にヒ素を混ぜ、ソントン侯爵を病床に就かせる。その後、甲斐甲斐しく世話をするふりをして、少しずつヒ素を飲ませていけば、半年後には衰弱死を装っての殺害は可能である。遺体を検査をしても、毒が検出されることは、滅多にない。
一方、ネッド=ソントンの死に、ヒルジアが関わっているかどうか、依然として不明瞭なままである。ネッドが倒れてから、その看病には彼の娘で、十六になるロミーがつきっきりで行っている。ロミーはこの時点でヒルジアを疑っており、この伯母の訪問を拒んだばかりか、一切の見舞品も受け取らなかったという。よって、ヒルジアがネッドに毒を盛る機会はなかったはずなのだ。
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