忍び零右衛門の誉れ

崎田毅駿

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 密航者はすでに港から移送されており、おかげでクラステフは馬車に揺られる時間が短くて済んだ。
「案外、簡単な警備だけですわね」
 通路を抜けながら、クラステフは率直に漏らした。
 石造りの通路は、天井が卵形の曲線を描いている。わずかながら苔むしていることからも分かるように、石の向こうはすぐ外界らしい。何か一つ道具を手に入れさえすれば、楽に破れそうな気がする。警備に就いている人数も、これまでのところ二人しか見かけていない。
「さほど、凶悪な連中がいるわけでもないですからね」
 先を行くケントラッキー。
「あいつらだって、密航がばれて身柄を拘束された上に、罪を重ねてまで自由になっても、益はないと分かっているんですよ。逃げても、目立って仕方がない。まずは、見つかってしまう」
「分かりましたわ」
 牢の前に到達した。牢は六つあったが、人がいるのは一つだけだ。
 樫だろうか、太い木でできた格子の向こうに、男がうずくまっている。いや、うずくまっているのではない。膝から下を折り、かかとに自分の臀部を付けるような格好で座っている。身体の向きはクラステフらから見て右向きで、両手は太ももの上に置かれていた。
「彼ですね」
「ええ。奇妙な風体でしょう」
 ケントラッキーの言う通りだった。
 金髪で、服装もいかにもユーロペ系のなりをしている。だが、その肌の色は、白粉で白くしているのはあきらかであり、顔の造作もエイシア人だった。
「話しかけてみたときの反応はどうだったんですか?」
 ケントラッキーに尋ねるクラステフ。問題の男は、二人をまるで気にしていないのか、身じろぎ一つない。
「船倉から引きずり出して、船員やら港湾官が聞いたときは、だんまりだったそうです。こちらに連れて来てから、色々な言葉で聞いてみたところ、返事し始めたんですが、我々には理解できない言葉でしたのでね。その内、あいつも無駄な努力と悟ったようで、また口を閉ざしてしまい、今朝からはあの通り」
 ケントラッキーは牢内の男を手で示した。
「食事はどうです?」
「あの男ですか? 食べていますよ」
「あの、そのような意味ではなくて、ナイフやフォークを使っているかどうか」
「先生、密航者にナイフやフォークを使わせやしませんよ」
 苦笑を浮かべたケントラッキー。
「いくら逃げる可能性は低かろうと、凶器となる道具を渡すわけにはいきません」
「あ、そうでしたわね。でも、それじゃ、どうやって食事を?」
「パンとスープだけですから、何の道具もいりません」
「そうですか……。食文化から出身圏を探れるかと期待したんですけれど」
「ご希望に添えず、残念ですな。何なら、試みにフォークの一本も使わせてみましょうか?」
 本気で言ったらしく、ケントラッキーは足の向きを換えようとする。すぐにもフォークを取りに行く態勢だ。
「すみません、結構です。とりあえず、話しかけてみましょう」
 クラステフは小脇に抱えていた資料を開いた。彼女にしても、研究している言語すべてを空で操れるわけではない。
「ケントラッキー大尉。彼に試した言語を全部、お聞かせください」
「――なるほどね」
 海軍大尉は質問の意味を理解したようで、すらすらと十三の言語を答えた。
「それぞれの通訳者本人も連れて来ましょうか」
「いえ、それには及びません。エイシア系だとすれば、かなり絞り込めました。それから……ネゼルランからの船に潜んでいたと」
 確認を取る。
「その通り」
「教えてくださいますか、大尉。これらの国の中で、ネゼルランと交易のあるのはどこでしょう?」
 と、クラステフは資料の端に書き出したいくつかの国名を、ケントラッキーに見せた。
 肩を寄せるようにして、国名リストを眺めるケントラッキー。
「これとこれ、それにこの三つだと思いますね。状況は刻々と変化するものですが、我々がつかんでいる情報では、これで正しいはずです」
「分かりました。――念のために聞いておきますが、この三国の中に、ネゼルランのみと交易を行っている国、ありますか?」
「ネゼルランとだけですか? ふん、そうですね、ネゼルランただ一国はさすがにないですが、もう一国――エイシアの大国、『眠れる獅子』と言われるシンナとも交わりを持っている国があります。それが、このヤパンです」
「エイシアの島国ね。鎖国を取っている」
 クラステフは大きくうなずいた。予想が当たった。
「ヤパンの者である可能性が高いと?」
「そこまでは言い切れませんけど、まず、あの化粧を落としてみましょう。髪の色だって落ちるはずです」
 クラステフの提案に対するケントラッキーの反応は、首を横に振るというものだった。
「言い忘れていましたが、肌の化粧ですがねえ、落とそうとしたら暴れるんですよ。手の着けようがないぐらいに」
「困りましたわね……。とにかく、話しかけてみます」
 クラステフは別の資料を一番上に持って来た。ヤパンに関する辞書のような冊子だ。体系的にまとめられた物ではないが、その内容を参考に、挨拶ぐらいならできる。
「ええっと……」
 口の中で、発音のための文字を何度も繰り返して読み、なるべく正確を期そうとする。
「『あなたはヤパンから来ましたか?』」
 男に反応が見られた。身体をぴくりと動かすと、顔をクラステフへと向けてきた。その目は見開かれていた。
『御主……日本の言葉を話せるのか?』
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