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12.名誉ある敗北
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「ぎゃっ」
この試合二度目の悲鳴を上げた佐波は、技を解いてしまった。そして、ぐったりとして動かない長崎の肩口を、何やら罵りながら蹴りつけた。
と同時にレフェリーがゴングを要請。カンカンカンカンと高い音が連打された。
“絞め落としてのレフェリーストップ裁定か。それにしてはタイミングが若干おかしかったような”という空気が観客の間に流れている。
ざわつきが起きかけたとき、本部席からの場内アナウンスが告げた。
<ただいまの試合、十三分、十三分ジャストで長崎選手のかみつきによる反則負けでございます>
長崎は絞め落とされ、意識を失う寸前に相手の内ももにかみついていた。佐波のタイツには、その歯形がくっきりと残っていた。
「参ったするでもなく、絞め落とされるでもなし。名誉の反則負けを選んだってことですか」
三日ぶりにもらった電話で、一戦の顛末を福田から事細かに聞いた小石川は、呆れ半分、感嘆半分の心持ちで言った。
「そうなるな」
「――あの、俺ごときが気にするのは生意気だと分かっています。承知の上で聞きますけど、社長はどういった反応をされていたんでしょうか」
「ほんと生意気だよな。社長か。道山社長は喜んでいたよ」
「喜んで……」
「しょうもない試合になりそうだったのを、最後に来て盛り上げて帳尻を合わせたって意味でな」
笑い声を立てる福田だったが、いつもと比べて元気がない。巡業に復帰したはいいが、居心地の悪さを感じているのかもしれなかった。
そこのところは深く突っ込まず、小石川は当面のライバルになるであろう佐波について尋ねた。
「随分と悲鳴を上げていたみたいですが、佐波の奴は意外と気が弱いんじゃないかと思えてきました」
「かもしれん。普通は痛くても、歯を食いしばってぐっと堪える場面だった。あんなに悲鳴を上げてちゃ、客の目には弱々しく映るからいけねえ。技術はあるくせに、何でああも声を上げるんだか。アメリカン・プロレスのオーバーアクションに憧れている訳でもあるまいに」
小石川には、首を傾げる福田の姿が容易に想像できた。
(佐波に案外、気持ちの弱いところがあるんだったら、付け入る隙はあるってことだ。この大けがで遅れた分を取り戻し、挽回するチャンスはある!)
己に言い聞かせてから、小石川は話題を次の試合に持って行った。
「二回戦は第三試合まで終わってるんでしたよね。水橋はどうでした?」
プロレスラーとしては体格に恵まれていないものの、スピードと切れでカバーできるそのお手本が水橋と言えた。小石川は年齢が近い水橋をライバルと目しながら、弟のように感じることもある。端的に言えば応援しているのだ。
「相手は苦手にしてる開原だ。ガチンコでやれば、ますます苦戦は免れないでしょうけど」
「まあ聞いていろよ」
メモ書きのページをめくるような音がした。
本来、前座の黄金カード的位置付けの水橋と開原の一戦は、名古屋大会で組まれた。この日は興行そのものがビッグマッチだがテレビ等の中継なしで、プレミアム(プレミア)感を煽っている。
この一戦、興行の幕開けを飾る第一試合に組まれたとあって、頭からガチンコという訳にはいかなかった。プロレスとしての好試合を繰り広げて、会場をあたためるという重要な役目を負っている。故に、十分経過のアナウンスがあるまでは通常通りの試合をやれと命じられてのゴングと相成った。
「十分? そんなにですか」
「おうよ。俺も聞いたとき、長いなと感じたが口出しできるもんでなし」
「十分間のプロレスを経て、真剣勝負に移行するのか……大変そうだ。あっ、そもそもこの試合は何分一本勝負なんですか」
通常、プロレス興行の第一試合と言えば十五分一本勝負が一番多い。
「十五分だ」
「えっ。つまり五分でけりを付けろと」
「別に短くはないぞ。秒殺なんて言葉はプロレスよりも、総合格闘技の方に多いのは認識としてあるだろ」
「そう、ですね」
ひとまず合点が行ったところで、試合経過に耳を傾ける。
「十分までは、ほぼいつも通りの流れだったと思いな。水橋が蹴りを出せば、その足を取って関節を狙う開原。水橋が空中殺法に出れば、時折すかしてカウンターを食らわす開原。丸め込みの応酬になり、十分経過の目前にキックアウトする際に水橋のつま先が開原の下腹部に当たった――という体で、開原が怒りを爆発させて喧嘩地合になったという筋書きだ。
ただ、いつも通りの流れとは言ったが、やはり違うところもあったな。十分経過したあとのことを考えて、どちらも体力を温存しようというきらいがあった」
「そりゃそうでしょう。俺だって同じ立場に立たされたら、同じことをします。十分経過の時点でへとへとになっていたら、いい打撃を一発もらって終わりになりかねない」
「そこなんだが、社長が少々おかんむりでな。客は充分に沸いていたと思うんだが、気に入らなかったらしい。六分ぐらい過ぎた頃に、竹刀を持ってリングサイドまで出て来たんだよ」
「そ、それは珍しい……」
続く
この試合二度目の悲鳴を上げた佐波は、技を解いてしまった。そして、ぐったりとして動かない長崎の肩口を、何やら罵りながら蹴りつけた。
と同時にレフェリーがゴングを要請。カンカンカンカンと高い音が連打された。
“絞め落としてのレフェリーストップ裁定か。それにしてはタイミングが若干おかしかったような”という空気が観客の間に流れている。
ざわつきが起きかけたとき、本部席からの場内アナウンスが告げた。
<ただいまの試合、十三分、十三分ジャストで長崎選手のかみつきによる反則負けでございます>
長崎は絞め落とされ、意識を失う寸前に相手の内ももにかみついていた。佐波のタイツには、その歯形がくっきりと残っていた。
「参ったするでもなく、絞め落とされるでもなし。名誉の反則負けを選んだってことですか」
三日ぶりにもらった電話で、一戦の顛末を福田から事細かに聞いた小石川は、呆れ半分、感嘆半分の心持ちで言った。
「そうなるな」
「――あの、俺ごときが気にするのは生意気だと分かっています。承知の上で聞きますけど、社長はどういった反応をされていたんでしょうか」
「ほんと生意気だよな。社長か。道山社長は喜んでいたよ」
「喜んで……」
「しょうもない試合になりそうだったのを、最後に来て盛り上げて帳尻を合わせたって意味でな」
笑い声を立てる福田だったが、いつもと比べて元気がない。巡業に復帰したはいいが、居心地の悪さを感じているのかもしれなかった。
そこのところは深く突っ込まず、小石川は当面のライバルになるであろう佐波について尋ねた。
「随分と悲鳴を上げていたみたいですが、佐波の奴は意外と気が弱いんじゃないかと思えてきました」
「かもしれん。普通は痛くても、歯を食いしばってぐっと堪える場面だった。あんなに悲鳴を上げてちゃ、客の目には弱々しく映るからいけねえ。技術はあるくせに、何でああも声を上げるんだか。アメリカン・プロレスのオーバーアクションに憧れている訳でもあるまいに」
小石川には、首を傾げる福田の姿が容易に想像できた。
(佐波に案外、気持ちの弱いところがあるんだったら、付け入る隙はあるってことだ。この大けがで遅れた分を取り戻し、挽回するチャンスはある!)
己に言い聞かせてから、小石川は話題を次の試合に持って行った。
「二回戦は第三試合まで終わってるんでしたよね。水橋はどうでした?」
プロレスラーとしては体格に恵まれていないものの、スピードと切れでカバーできるそのお手本が水橋と言えた。小石川は年齢が近い水橋をライバルと目しながら、弟のように感じることもある。端的に言えば応援しているのだ。
「相手は苦手にしてる開原だ。ガチンコでやれば、ますます苦戦は免れないでしょうけど」
「まあ聞いていろよ」
メモ書きのページをめくるような音がした。
本来、前座の黄金カード的位置付けの水橋と開原の一戦は、名古屋大会で組まれた。この日は興行そのものがビッグマッチだがテレビ等の中継なしで、プレミアム(プレミア)感を煽っている。
この一戦、興行の幕開けを飾る第一試合に組まれたとあって、頭からガチンコという訳にはいかなかった。プロレスとしての好試合を繰り広げて、会場をあたためるという重要な役目を負っている。故に、十分経過のアナウンスがあるまでは通常通りの試合をやれと命じられてのゴングと相成った。
「十分? そんなにですか」
「おうよ。俺も聞いたとき、長いなと感じたが口出しできるもんでなし」
「十分間のプロレスを経て、真剣勝負に移行するのか……大変そうだ。あっ、そもそもこの試合は何分一本勝負なんですか」
通常、プロレス興行の第一試合と言えば十五分一本勝負が一番多い。
「十五分だ」
「えっ。つまり五分でけりを付けろと」
「別に短くはないぞ。秒殺なんて言葉はプロレスよりも、総合格闘技の方に多いのは認識としてあるだろ」
「そう、ですね」
ひとまず合点が行ったところで、試合経過に耳を傾ける。
「十分までは、ほぼいつも通りの流れだったと思いな。水橋が蹴りを出せば、その足を取って関節を狙う開原。水橋が空中殺法に出れば、時折すかしてカウンターを食らわす開原。丸め込みの応酬になり、十分経過の目前にキックアウトする際に水橋のつま先が開原の下腹部に当たった――という体で、開原が怒りを爆発させて喧嘩地合になったという筋書きだ。
ただ、いつも通りの流れとは言ったが、やはり違うところもあったな。十分経過したあとのことを考えて、どちらも体力を温存しようというきらいがあった」
「そりゃそうでしょう。俺だって同じ立場に立たされたら、同じことをします。十分経過の時点でへとへとになっていたら、いい打撃を一発もらって終わりになりかねない」
「そこなんだが、社長が少々おかんむりでな。客は充分に沸いていたと思うんだが、気に入らなかったらしい。六分ぐらい過ぎた頃に、竹刀を持ってリングサイドまで出て来たんだよ」
「そ、それは珍しい……」
続く
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