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4.虚実の狭間に
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両手で頭から顔にかけてガードし、立ち上がるチャンスもしくは宇城の足を掴む隙を窺う小石川。だが、攻撃は止まらないどころか意外とスピードがあって、足は掴めそうにない。やむを得ず、小石川は身体をじりじりと右に移動させ始めた。そちらに動くことがコーナーの一つに辿り着く最短距離だった。
白い色をしたニュートラルコーナーを背に、もたれかかるようにして立ち上がろうというのが小石川の狙いであった。
これもうまく機敏にやらないと拳と膝蹴りの的になってしまう。サンドバッグ状態になったら、たとえ意識が飛んでなくても止められる恐れが高い。
(膝はともかく、宇城さんはパンチを打つのは苦手なはず)
転倒事故で右肩の筋をひどく傷め、野球をやめる原因となったのは有名な話だった。
下からの蹴りに注意の多くを割き、拳や平手は額で受け止める。これを徹底すれば活路は開くと信じた。
(このままやられたら、俺が馬鹿みたいじゃないか。あんな卑怯な手、宇城さんが使ってくるとは意外だった。若手の中なら卑怯は俺の専売特許だと思っていたのに)
思惑通り、打撃をさばき、どうにかコーナーにもたれながらも立ち上がることに成功した。と思った次の瞬間。
(何だ?)
小石川の顔のすぐ前を、黒い何かが下から上へと通り抜けた。スピードがあって目では捉えられなかった。
正体を確かめるべく視線で追ったそのとき、小石川の脳天を衝撃が襲う。
言葉にしがたい電流のようなしびれが、頭のてんっぺんから尾てい骨近くまで一気に走った。頭蓋骨に穴があき、首をやってしまったと感じたほどだ。
小石川は前のめりに崩れ落ちながら、後ろが再び鬼の形相でコーナーに詰めてくるのを見た。再びストンピングの雨あられを食らって、あとは意識が途切れ、た。
目を開けたとき、真っ先に視界に入ったのは白地に黒の格子模様だった。
小石川は病院の天井だと直感した。身体を動かそうともぞもぞすると、「おっ。目が覚めたか」という声が右側から聞こえた。
「起き上がるのはもうちょい我慢しろ。ナースコールするから」
声の主は福田だった。コーチ役も兼ねるベテランが若手の入院に付き添うとは。小石川は頭の中で今シリーズのスケジュールを思い描きながら聞いた。
「どうしたんすか福田さん。試合は? 今日は確か東京へ戻って後楽園……」
「ああ、やっぱりおまえ記憶が飛んでるか」
「ええ?」
「開幕戦からもう四日が経っている。今夜は静岡だ」
「よ」
それだけ言って二の句が継げなかった。四日も経過しているなんて、想像の埒外だ。
「ずっと昏睡状態だったんじゃないぞ。途中目覚めて返事もしてたんだが、ぼーっとしてやがるなと思ったら案の上だ。きれいさっぱり消えてるか」
「はあ。何かすいません」
「気にするな。俺がいるのは、例のトーナメントに早々に負けちまったからだよ」
「え、福田さんが? 誰とでしたっけ」
「鶴口の小僧だ、けっ」
唾を吐くような声を出す福田。
「えっ、あんなアマレス上がりのぺーぺーに。福田さんが不覚を取るんですか」
「おまえ、そんだけ口がきけりゃ、先生に診てもらわなくても大丈夫じゃねえか。って、遅いな、あのおばさんナース」
個室のドアの方を振り返る福田。
「どうやって負けたんですか、鶴口に。関節技なんてほとんど知らない奴ですよ。福田さんなら五分かからず捻るかと」
「あとで聞かせてやるよ。おまえの方こそ、どうやって負けたのか覚えているのか?」
「えっと」
思い出そうと試みる。相手は……宇城宙馬。決まり手は……分からない。突然、頭上からラグビーボール型の岩でも突き立てられたような衝撃があった。それだけは覚えている。
「ううーん、だめだ。思い出せない」
「そうか。それもあとで教えてやる。ナースが来たようだぜ――おっ」
ドアが開くのを見て、福田がちょっと高い声を上げた。
「よかったな。若くてきれいなねーちゃんにチェンジしてるぞ」
諸々の検査を受けて、とりあえず上体を起こしていいと許可が出た。また二人きりになった個室で、小石川は福田と面を見合わせていた。
「出血が見られたから、穴を開けて吸い出していたなんて」
頭蓋の亀裂骨折に脳内出血、その他多数の裂傷が主に顔に集中。左手の小指もぽっきり折れていた。レスラーにとって重要な首が無事だったことは朗報と言えたが、全治にふた月は掛かるとされた。
「かかと落としを食らったんだよ、おまえさんは」
「かかと落とし……そうか」
倒れる寸前、目の前を通過したのは宇城さんのどちらかの足先だったか。得心がいった小石川。
「宇城さん、そんなに素早く動けたなんて。油断した」
歯がみする彼へ、福田が言う。
「油断には違いねえが、元々宇城は身体をより大きく見せるために、動きを研究してるんだよ。あの巨体がプロレスであんまり素早く動くと、巨体っぽく見えないんだ。動くべきときだけ動いていた。そこを見誤った、おまえの思い込みが敗因の一つ」
厳しい言われように、敗れた悔しさが相まって、しゅんとなる小石川。
「それでもスピードではおまえの方が上回ってるはずなんだがな。それまでにダメージをもらいすぎだ。やっぱあれか。張り手が原因か」
「――そうですよっ、聞いてください」
急に腹立たしさがぶり返し、膨れ上がった。
続く
白い色をしたニュートラルコーナーを背に、もたれかかるようにして立ち上がろうというのが小石川の狙いであった。
これもうまく機敏にやらないと拳と膝蹴りの的になってしまう。サンドバッグ状態になったら、たとえ意識が飛んでなくても止められる恐れが高い。
(膝はともかく、宇城さんはパンチを打つのは苦手なはず)
転倒事故で右肩の筋をひどく傷め、野球をやめる原因となったのは有名な話だった。
下からの蹴りに注意の多くを割き、拳や平手は額で受け止める。これを徹底すれば活路は開くと信じた。
(このままやられたら、俺が馬鹿みたいじゃないか。あんな卑怯な手、宇城さんが使ってくるとは意外だった。若手の中なら卑怯は俺の専売特許だと思っていたのに)
思惑通り、打撃をさばき、どうにかコーナーにもたれながらも立ち上がることに成功した。と思った次の瞬間。
(何だ?)
小石川の顔のすぐ前を、黒い何かが下から上へと通り抜けた。スピードがあって目では捉えられなかった。
正体を確かめるべく視線で追ったそのとき、小石川の脳天を衝撃が襲う。
言葉にしがたい電流のようなしびれが、頭のてんっぺんから尾てい骨近くまで一気に走った。頭蓋骨に穴があき、首をやってしまったと感じたほどだ。
小石川は前のめりに崩れ落ちながら、後ろが再び鬼の形相でコーナーに詰めてくるのを見た。再びストンピングの雨あられを食らって、あとは意識が途切れ、た。
目を開けたとき、真っ先に視界に入ったのは白地に黒の格子模様だった。
小石川は病院の天井だと直感した。身体を動かそうともぞもぞすると、「おっ。目が覚めたか」という声が右側から聞こえた。
「起き上がるのはもうちょい我慢しろ。ナースコールするから」
声の主は福田だった。コーチ役も兼ねるベテランが若手の入院に付き添うとは。小石川は頭の中で今シリーズのスケジュールを思い描きながら聞いた。
「どうしたんすか福田さん。試合は? 今日は確か東京へ戻って後楽園……」
「ああ、やっぱりおまえ記憶が飛んでるか」
「ええ?」
「開幕戦からもう四日が経っている。今夜は静岡だ」
「よ」
それだけ言って二の句が継げなかった。四日も経過しているなんて、想像の埒外だ。
「ずっと昏睡状態だったんじゃないぞ。途中目覚めて返事もしてたんだが、ぼーっとしてやがるなと思ったら案の上だ。きれいさっぱり消えてるか」
「はあ。何かすいません」
「気にするな。俺がいるのは、例のトーナメントに早々に負けちまったからだよ」
「え、福田さんが? 誰とでしたっけ」
「鶴口の小僧だ、けっ」
唾を吐くような声を出す福田。
「えっ、あんなアマレス上がりのぺーぺーに。福田さんが不覚を取るんですか」
「おまえ、そんだけ口がきけりゃ、先生に診てもらわなくても大丈夫じゃねえか。って、遅いな、あのおばさんナース」
個室のドアの方を振り返る福田。
「どうやって負けたんですか、鶴口に。関節技なんてほとんど知らない奴ですよ。福田さんなら五分かからず捻るかと」
「あとで聞かせてやるよ。おまえの方こそ、どうやって負けたのか覚えているのか?」
「えっと」
思い出そうと試みる。相手は……宇城宙馬。決まり手は……分からない。突然、頭上からラグビーボール型の岩でも突き立てられたような衝撃があった。それだけは覚えている。
「ううーん、だめだ。思い出せない」
「そうか。それもあとで教えてやる。ナースが来たようだぜ――おっ」
ドアが開くのを見て、福田がちょっと高い声を上げた。
「よかったな。若くてきれいなねーちゃんにチェンジしてるぞ」
諸々の検査を受けて、とりあえず上体を起こしていいと許可が出た。また二人きりになった個室で、小石川は福田と面を見合わせていた。
「出血が見られたから、穴を開けて吸い出していたなんて」
頭蓋の亀裂骨折に脳内出血、その他多数の裂傷が主に顔に集中。左手の小指もぽっきり折れていた。レスラーにとって重要な首が無事だったことは朗報と言えたが、全治にふた月は掛かるとされた。
「かかと落としを食らったんだよ、おまえさんは」
「かかと落とし……そうか」
倒れる寸前、目の前を通過したのは宇城さんのどちらかの足先だったか。得心がいった小石川。
「宇城さん、そんなに素早く動けたなんて。油断した」
歯がみする彼へ、福田が言う。
「油断には違いねえが、元々宇城は身体をより大きく見せるために、動きを研究してるんだよ。あの巨体がプロレスであんまり素早く動くと、巨体っぽく見えないんだ。動くべきときだけ動いていた。そこを見誤った、おまえの思い込みが敗因の一つ」
厳しい言われように、敗れた悔しさが相まって、しゅんとなる小石川。
「それでもスピードではおまえの方が上回ってるはずなんだがな。それまでにダメージをもらいすぎだ。やっぱあれか。張り手が原因か」
「――そうですよっ、聞いてください」
急に腹立たしさがぶり返し、膨れ上がった。
続く
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