くぐり者

崎田毅駿

文字の大きさ
上 下
9 / 26

九.感謝と思惑

しおりを挟む
「えっ。アウルばあさんが」
 戸口のところに出て来た男性はメモ書きを見、メイズから事情を聞いてしばし絶句した。
「くれぐれもこちらの身重の女性には知らせないで欲しいという風でした」
 言い添えるメイズ。応対に出た男はデイモンと名乗り、胸を叩いて請け負った。
「もちろんだ。奥さんの耳には入らないようにするよ」
 それからメイズの顔を見て、
「しかしあなたの処遇をどうするか、俺には権限が何にもない。旦那様を呼んでくるから、もうしばらく待っといて欲しい。悪く思わないでくれよ」
「当然です」
 訪問直前にきちんと被り直した帽子を脱ぎ、お辞儀する。デイモンが走り去ってまた戻って来るまでに約二分を要した。
 そのデイモンの先導で現れたのは思いのほか若い男性で、メイズの姿を認めるや、すっと駆け寄ってきた。
「お待たせしてすまなかったね。僕がここの主のアランです」
「マイケル・メイズです」
 メイズは新たに自己紹介をして、メモ書きを示した。事の次第を理解してもらったところで、メイズにとって本題に入ろうとした。
 が、それより先にアランが切り出した。
「アウルさんは我が妻が最も信を置いている産婆でね。これまでにも二度、子供を取り上げてもらっている。彼女がそばにいなければ安心できない、町の医者は嫌だというほどだから助かりました。ここに書いてあるように、何でもお世話しますよメイズさん」
「あ、ありがとうございます」
「ついては、当地での宿は?」
「それが何も手配をしておりません。野宿を厭わないつもりできましたが、夜になると冷え込みそうですね」
「だったらうちにどうぞ泊まってください。ご予定は?」
「それが……少なくとも二週間ほどは」
 これを言うとまずいかなと思いつつ、正直なところを打ち明けた。そもそも本当に研究のために来たのではないのだから、期間はどうとでもなるのだが。
「おお、二週間!」
 メイズの返答に何故かアランは嬉しげに声を大きくした。さらに満面の笑みで、両腕を大きく広げる。日本の人々に慣れたメイズにとってオーバーそのもののジェスチャーである。
「三番目の子供が生まれる予定日も二週間後なんですよ。これは何かの縁に違いない」
「なるほど。確かに奇縁です」
 アランは、ハグはできないと見て取ったかメイズの両手をがっちり握りしめると、小刻みに上下に振った。
「いくらでも滞在してください。赤ん坊の顔を見ていくつもりで」
「ありがたいお話しですが、本当にいいので?」
「何度も言わせんでください。ここはすんなり、応じると言ってくれればいいのですよ」
「ではご厚意に甘えさせていただきます」
 妙な成り行きではあったが、ショーラック農場に潜り込むことができた上に、寝泊まりする場所の確保までかなった。

(トラブルやハプニングはあったけれども、結果から言えば順調すぎて怖いな。油断しないように気を付けよう)
 あてがわれた個室に荷物を置き、少し落ち着いたところで肝に銘じたメイズ。ショーラック農場の内部の人間が不正取引に関与している可能性は、当然考えておかなければならない。
 部屋は客室だった。メイズは作業員部屋に押し込まれるんだろうなと覚悟していただけに、これは望外のもてなしと言える。何より、潜入活動するのに個室というのは重要だ。しかも鍵付き。
(親しい産婆さんをちょっと助けただけで、どれだけ信用されたんだろう)
 お手伝いさんらしき三十絡みの女性に案内され、「日当たりがあまりよくないのでご不便をおかけすると思いますが」云々と申し訳なさげに言われたのだが、ちゃんと暖房が入っていて充分だった。
 さらに今し方、さっきの女性が温かいお茶と菓子を置いて行ってくれた。
(ここまで至れり尽くせりだと恐縮してしまう。もしくは、自分の正体が相手方には筒抜けで、寝泊まりできる場所の提供も過剰なもてなしも、僕を油断させるための手口なのかと疑うべきなんだろうか)
 疑念が浮かんだが、そればかり考えている表情や態度に出かねない。メイズは顔の皮膚を手のひらでこすって、もみほぐした。そしてぺちぺちと叩いて気合いを入れ直す。
「よし」
 こちらは当たり前の行動を取ればいい。まずは礼だ。それに食費については自分の分を出すべきだろう。
 当面の方針を定め、お茶を飲み干すと、メイズは部屋を出た。
 冬という季節に加え、もう夕刻を過ぎているため農作業はほぼ終了しているようだった。少なくとも、メイズの見える範囲――家屋内や窓から見える光景――でそれらしき仕事をしている者は見当たらない。
(潜入活動は夜がいいのか、日中がいいのか、まだ判断しかねるな。全員が出払うようなら、邸内を探るのは昼の方がやりやすいかもしれない。何にせよ、ここで一時的に働いていたドーソン・クラークという男を知っている者がいないか、当たってみないことには始まらない。ただ、問題はそのタイミング)
 考えながら、本邸の中心部であろう方角に歩みを進める。
 と、廊下の角を折れたときに、ちょうど人と出くわした。

 続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

江戸の検屍ばか

崎田毅駿
歴史・時代
江戸時代半ばに、中国から日本に一冊の法医学書が入って来た。『無冤録述』と訳題の付いたその書物の知識・知見に、奉行所同心の堀馬佐鹿は魅了され、瞬く間に身に付けた。今や江戸で一、二を争う検屍の名手として、その名前から検屍馬鹿と言われるほど。そんな堀馬は人の死が絡む事件をいかにして解き明かしていくのか。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

忍び零右衛門の誉れ

崎田毅駿
歴史・時代
言語学者のクラステフは、夜中に海軍の人間に呼び出されるという希有な体験をした。連れて来られたのは密航者などを収容する施設。商船の船底に潜んでいた異国人男性を取り調べようにも、言語がまったく通じないという。クラステフは知識を動員して、男とコミュニケーションを取ることに成功。その結果、男は日本という国から来た忍者だと分かった。

局中法度

夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。 士道に叛く行ないの者が負う責め。 鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。 新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。

劇場型彼女

崎田毅駿
ミステリー
僕の名前は島田浩一。自分で認めるほどの草食男子なんだけど、高校一年のとき、クラスで一、二を争う美人の杉原さんと、ひょんなことをきっかけに、期限を設けて付き合う成り行きになった。それから三年。大学一年になった今でも、彼女との関係は続いている。 杉原さんは何かの役になりきるのが好きらしく、のめり込むあまり“役柄が憑依”したような状態になることが時々あった。 つまり、今も彼女が僕と付き合い続けているのは、“憑依”のせいかもしれない?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...