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九.感謝と思惑
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「えっ。アウルばあさんが」
戸口のところに出て来た男性はメモ書きを見、メイズから事情を聞いてしばし絶句した。
「くれぐれもこちらの身重の女性には知らせないで欲しいという風でした」
言い添えるメイズ。応対に出た男はデイモンと名乗り、胸を叩いて請け負った。
「もちろんだ。奥さんの耳には入らないようにするよ」
それからメイズの顔を見て、
「しかしあなたの処遇をどうするか、俺には権限が何にもない。旦那様を呼んでくるから、もうしばらく待っといて欲しい。悪く思わないでくれよ」
「当然です」
訪問直前にきちんと被り直した帽子を脱ぎ、お辞儀する。デイモンが走り去ってまた戻って来るまでに約二分を要した。
そのデイモンの先導で現れたのは思いのほか若い男性で、メイズの姿を認めるや、すっと駆け寄ってきた。
「お待たせしてすまなかったね。僕がここの主のアランです」
「マイケル・メイズです」
メイズは新たに自己紹介をして、メモ書きを示した。事の次第を理解してもらったところで、メイズにとって本題に入ろうとした。
が、それより先にアランが切り出した。
「アウルさんは我が妻が最も信を置いている産婆でね。これまでにも二度、子供を取り上げてもらっている。彼女がそばにいなければ安心できない、町の医者は嫌だというほどだから助かりました。ここに書いてあるように、何でもお世話しますよメイズさん」
「あ、ありがとうございます」
「ついては、当地での宿は?」
「それが何も手配をしておりません。野宿を厭わないつもりできましたが、夜になると冷え込みそうですね」
「だったらうちにどうぞ泊まってください。ご予定は?」
「それが……少なくとも二週間ほどは」
これを言うとまずいかなと思いつつ、正直なところを打ち明けた。そもそも本当に研究のために来たのではないのだから、期間はどうとでもなるのだが。
「おお、二週間!」
メイズの返答に何故かアランは嬉しげに声を大きくした。さらに満面の笑みで、両腕を大きく広げる。日本の人々に慣れたメイズにとってオーバーそのもののジェスチャーである。
「三番目の子供が生まれる予定日も二週間後なんですよ。これは何かの縁に違いない」
「なるほど。確かに奇縁です」
アランは、ハグはできないと見て取ったかメイズの両手をがっちり握りしめると、小刻みに上下に振った。
「いくらでも滞在してください。赤ん坊の顔を見ていくつもりで」
「ありがたいお話しですが、本当にいいので?」
「何度も言わせんでください。ここはすんなり、応じると言ってくれればいいのですよ」
「ではご厚意に甘えさせていただきます」
妙な成り行きではあったが、ショーラック農場に潜り込むことができた上に、寝泊まりする場所の確保までかなった。
(トラブルやハプニングはあったけれども、結果から言えば順調すぎて怖いな。油断しないように気を付けよう)
あてがわれた個室に荷物を置き、少し落ち着いたところで肝に銘じたメイズ。ショーラック農場の内部の人間が不正取引に関与している可能性は、当然考えておかなければならない。
部屋は客室だった。メイズは作業員部屋に押し込まれるんだろうなと覚悟していただけに、これは望外のもてなしと言える。何より、潜入活動するのに個室というのは重要だ。しかも鍵付き。
(親しい産婆さんをちょっと助けただけで、どれだけ信用されたんだろう)
お手伝いさんらしき三十絡みの女性に案内され、「日当たりがあまりよくないのでご不便をおかけすると思いますが」云々と申し訳なさげに言われたのだが、ちゃんと暖房が入っていて充分だった。
さらに今し方、さっきの女性が温かいお茶と菓子を置いて行ってくれた。
(ここまで至れり尽くせりだと恐縮してしまう。もしくは、自分の正体が相手方には筒抜けで、寝泊まりできる場所の提供も過剰なもてなしも、僕を油断させるための手口なのかと疑うべきなんだろうか)
疑念が浮かんだが、そればかり考えている表情や態度に出かねない。メイズは顔の皮膚を手のひらでこすって、もみほぐした。そしてぺちぺちと叩いて気合いを入れ直す。
「よし」
こちらは当たり前の行動を取ればいい。まずは礼だ。それに食費については自分の分を出すべきだろう。
当面の方針を定め、お茶を飲み干すと、メイズは部屋を出た。
冬という季節に加え、もう夕刻を過ぎているため農作業はほぼ終了しているようだった。少なくとも、メイズの見える範囲――家屋内や窓から見える光景――でそれらしき仕事をしている者は見当たらない。
(潜入活動は夜がいいのか、日中がいいのか、まだ判断しかねるな。全員が出払うようなら、邸内を探るのは昼の方がやりやすいかもしれない。何にせよ、ここで一時的に働いていたドーソン・クラークという男を知っている者がいないか、当たってみないことには始まらない。ただ、問題はそのタイミング)
考えながら、本邸の中心部であろう方角に歩みを進める。
と、廊下の角を折れたときに、ちょうど人と出くわした。
続く
戸口のところに出て来た男性はメモ書きを見、メイズから事情を聞いてしばし絶句した。
「くれぐれもこちらの身重の女性には知らせないで欲しいという風でした」
言い添えるメイズ。応対に出た男はデイモンと名乗り、胸を叩いて請け負った。
「もちろんだ。奥さんの耳には入らないようにするよ」
それからメイズの顔を見て、
「しかしあなたの処遇をどうするか、俺には権限が何にもない。旦那様を呼んでくるから、もうしばらく待っといて欲しい。悪く思わないでくれよ」
「当然です」
訪問直前にきちんと被り直した帽子を脱ぎ、お辞儀する。デイモンが走り去ってまた戻って来るまでに約二分を要した。
そのデイモンの先導で現れたのは思いのほか若い男性で、メイズの姿を認めるや、すっと駆け寄ってきた。
「お待たせしてすまなかったね。僕がここの主のアランです」
「マイケル・メイズです」
メイズは新たに自己紹介をして、メモ書きを示した。事の次第を理解してもらったところで、メイズにとって本題に入ろうとした。
が、それより先にアランが切り出した。
「アウルさんは我が妻が最も信を置いている産婆でね。これまでにも二度、子供を取り上げてもらっている。彼女がそばにいなければ安心できない、町の医者は嫌だというほどだから助かりました。ここに書いてあるように、何でもお世話しますよメイズさん」
「あ、ありがとうございます」
「ついては、当地での宿は?」
「それが何も手配をしておりません。野宿を厭わないつもりできましたが、夜になると冷え込みそうですね」
「だったらうちにどうぞ泊まってください。ご予定は?」
「それが……少なくとも二週間ほどは」
これを言うとまずいかなと思いつつ、正直なところを打ち明けた。そもそも本当に研究のために来たのではないのだから、期間はどうとでもなるのだが。
「おお、二週間!」
メイズの返答に何故かアランは嬉しげに声を大きくした。さらに満面の笑みで、両腕を大きく広げる。日本の人々に慣れたメイズにとってオーバーそのもののジェスチャーである。
「三番目の子供が生まれる予定日も二週間後なんですよ。これは何かの縁に違いない」
「なるほど。確かに奇縁です」
アランは、ハグはできないと見て取ったかメイズの両手をがっちり握りしめると、小刻みに上下に振った。
「いくらでも滞在してください。赤ん坊の顔を見ていくつもりで」
「ありがたいお話しですが、本当にいいので?」
「何度も言わせんでください。ここはすんなり、応じると言ってくれればいいのですよ」
「ではご厚意に甘えさせていただきます」
妙な成り行きではあったが、ショーラック農場に潜り込むことができた上に、寝泊まりする場所の確保までかなった。
(トラブルやハプニングはあったけれども、結果から言えば順調すぎて怖いな。油断しないように気を付けよう)
あてがわれた個室に荷物を置き、少し落ち着いたところで肝に銘じたメイズ。ショーラック農場の内部の人間が不正取引に関与している可能性は、当然考えておかなければならない。
部屋は客室だった。メイズは作業員部屋に押し込まれるんだろうなと覚悟していただけに、これは望外のもてなしと言える。何より、潜入活動するのに個室というのは重要だ。しかも鍵付き。
(親しい産婆さんをちょっと助けただけで、どれだけ信用されたんだろう)
お手伝いさんらしき三十絡みの女性に案内され、「日当たりがあまりよくないのでご不便をおかけすると思いますが」云々と申し訳なさげに言われたのだが、ちゃんと暖房が入っていて充分だった。
さらに今し方、さっきの女性が温かいお茶と菓子を置いて行ってくれた。
(ここまで至れり尽くせりだと恐縮してしまう。もしくは、自分の正体が相手方には筒抜けで、寝泊まりできる場所の提供も過剰なもてなしも、僕を油断させるための手口なのかと疑うべきなんだろうか)
疑念が浮かんだが、そればかり考えている表情や態度に出かねない。メイズは顔の皮膚を手のひらでこすって、もみほぐした。そしてぺちぺちと叩いて気合いを入れ直す。
「よし」
こちらは当たり前の行動を取ればいい。まずは礼だ。それに食費については自分の分を出すべきだろう。
当面の方針を定め、お茶を飲み干すと、メイズは部屋を出た。
冬という季節に加え、もう夕刻を過ぎているため農作業はほぼ終了しているようだった。少なくとも、メイズの見える範囲――家屋内や窓から見える光景――でそれらしき仕事をしている者は見当たらない。
(潜入活動は夜がいいのか、日中がいいのか、まだ判断しかねるな。全員が出払うようなら、邸内を探るのは昼の方がやりやすいかもしれない。何にせよ、ここで一時的に働いていたドーソン・クラークという男を知っている者がいないか、当たってみないことには始まらない。ただ、問題はそのタイミング)
考えながら、本邸の中心部であろう方角に歩みを進める。
と、廊下の角を折れたときに、ちょうど人と出くわした。
続く
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